連載 ある学徒兵の戦後(8)

             上尾 龍介

2001.4.20 200


 その日、兵隊たちにはさまざまな動揺が見られた。

 戦争という現実、優勢な大軍が今夜にも上陸してくるかという恐怖をともなった巨大な現実が、自分の目の前で忽然として消えてしまうという、およそ想像することすらできぬ情況が、現に自分の目の前で起こったということに、誰もが呆然自失の状態に陥っていたと言ってよいだろう。

 思ってみれば「戦争」というものは、僕らが小学校に入る以前から、日本という国の社会環境の中では、全く当たり前のこととして日常生活の中に定着していたのだ。

 軍歌を歌いながら、日の丸の小旗を振って出征兵士を送り出すこと、そして日盛りの小学校の運動場で合同葬が行われることなど。それらは、思ってみれば戦争というものは、僕らの世代の者にとっては、たとえば毎年迎える入学式や卒業式などと同じような、年中行事に似た、定例の行事の一つになってしまっていたのだ。

 だから「戦争というものがなくなる」などということは、僕らの世代の者にとっては、その思考の中に、というより、その日常の生活感覚の中に、すっぽりと欠落していた、と言ったほうが当たっている。

 そのような、日常の大前提となっていた「戦争」というものが、この日限りでなくなる、というのであるから、しかも、それが自分の目の前で、まるで奇蹟のようにおこったのであるから、兵隊たちは自分の気持ちをどう始末すればいいのか、という混乱の渦の中に投げ出されていたし、自分の態度をどう表現すればよいかを知らなかった。

 兵隊たちには、その誰もに、さまざまな形での動揺が見られたのだが、戦争が終わってホッとしたという気分、重い荷物をどっかと降ろしたという深い安堵の気分が、あたりにはひとしく流れていた。
 ソ連軍と戦わなくて済んだ、という現実が、何か拍子抜けしたような、そして、なぜか無限に広がっていくような、理由のつけようのない、不思議な、どこか嬉しさに似たようなものが、心の底の方から浮かび上がってくるような、そんな感情の中に僕は沈んでいた。そして、苦役に似た演習の毎日からも、明日からは解放されるのだ、という思いが時々頭をもたげては、さながら明るいランプのように、橙色の灯を心のなかにともした。その灯は胸の中を明るくした。

 ほんの先ほどまでの極度の緊張が、瞬時に、弦の切れた弓のように萎んでしまって、陣地には奇妙な平穏が流れていた。初年兵に気合を入れる古兵の大声もなければ、何やら指示を与える下士官の引き締まった声もなかった。

 僕たち末端の兵には、この当時一切が知らされていなかったのだが、戦後になって調べてみると、この二日前、八月十三日には北部の清津港一帯の海岸平野に上陸したソ連軍は、日本軍守備陣地を撃破し、次の攻撃体勢に移ろうとしていたのだった。ソ連軍が上陸地点として清津を選び、我々が守備する咸興を選ばなかったことは、五十九師団にとっては、天与の幸運であったと言わねばならない。

 言うまでもないことだが、もし敵が、我々が守る咸興の海岸平野を上陸地点に選んでいたならば、巨大な戦車を先頭に上陸して来た敵軍は、第一の攻撃目標として、我々の砲兵陣地に集中砲火を浴びせ、壊滅した陣地に、なお残存する無力な砲兵達を、戦車で蹂躪していたに違いないのだ。

 今になって、振り返って思うことだが、僕はここで、危ない命を拾ったことになる。

 僕が小隊長に呼ばれたのはこの日の午後であった。

 何事ならんと思い、緊張して駆けつけざま、僕は直立して敬礼した。彼は待っていたように

 「上尾。少し裏山を歩かんか」

と言った。

 僕は怪訝に思い、一瞬ためらったが、幾ばくかの後「ハイッ」と返事をすると彼の後に従った。

 先に立った彼は、雑木林の山道をゆっくりと歩いていった。僕は事情がのみ込めず、彼が何を考えているのかもわからぬままに、注意深く、少し離れて、彼の動作に眼を配りながら、後をつけるように歩いていった。
 突然軍刀を抜いて斬りかかって来ることを恐れていたのだ。だから全身を眼にして、充分な間合いを取りながら歩いて行った。

 敗戦の報を聞いて、逆上しているかも知れない一人の日本軍の将校を、僕は極度に警戒していたのだ。

 「なあ、上尾よ」

と言って彼が歩きながら振り返った時、僕は恐怖を感じて足を止め、思わず後ろへさがった。度の強い黒ぶちの眼鏡が、ま深にかぶった将校用の戦闘帽の下からチラとこちらを見た。射すくめられたように、ぼくはまた二、三歩さがった。彼は立ち止まると、

 「どうしたんだ。上尾。」

と少し訝るような口調で語りかけ、僕を見た。そして、

 「さて、ここらで腰を下ろすか」というと、雑木林に囲まれた山畑の畦に、どっかりと腰を下ろした。

 彼が腰を下ろすと、少し離れて、僕も同じように腰を下ろした。この畑は山道から一段低くなっていたので、ちょっと腰を下ろすには恰好の場所であった。だが、僕は用心して足場をしっかり踏み固めていた。

 彼は軍刀を杖のように突き立てると、その上に両手を重ね、僕のほうを向いた。そしてぽつりとした口調で言葉を吐いた。短い言葉であったが、それは僕にとっては天が落ちる程の意外な言葉であった。

 「戦争が終わって、よかったなあ」と彼がいうのである。それは日本軍の将校の口から洩れるにはあまりにも唐突なひと言であった。

 耳を疑うという言葉は、こんな場合のために用意された修辞であったのだろうか。

 僕は動悸が打つほど驚いていた。だが、驚きながら、一方では本能的に、彼の本心を疑っていた。

 もしかすると、俺をここまで呼び出して試しているのかも知れぬ、と思ったのだ。僕は用心しながら言葉を探した。そして

 「はあ。」

と曖昧な返事をした。返事をしながら彼の方を見ると、軍刀の柄に手を置いたままの姿勢で天を仰ぐようにして、

 「なあ、上尾。ほんとに、終わってよかったなあ。」

と言った。その言葉は感慨が洩れてくる時の深い響きがあった。僕はしんから驚いた。これが第一線の砲兵小隊長の口から洩れた言葉であることに驚いていたのである。それが僕を試すために吐いた作りごとの言葉などでないことは、彼の表情からも、物腰からも、よく理解できた。僕の警戒は次第に解けていった。

 島田見習士官は、この日、僕と、あれこれの思いを語りあいたかったのだ。京都御所の裏手にある基督教系の古い大学が、入隊する前に彼が学んだ母校であることを僕は知っていた。

 彼は遠い昔のことでも語るように、懐かしさをこめて学生時代のことを語り、おだやかであった京都の町の話をした。

 僕たちは上官と部下であることをいつしか忘れて話し込んでいた。彼も僕も、日本に帰り着いたら、また学生に戻りたいなどと、互いの未来のことを、時を忘れて語りあった。

 その時、彼はふと思い出したように

 「上尾は、たしか、お父さん達が平壌に居られるんだったな」

と言った。そして、現地除隊になれば、すぐ家に帰れるじゃないか。などと言った。僕は、なるほど、現地除隊ということもあるのか、と思い、まだ見たことのない平壌の家族の住まいのことなどを、夢見るように思い描いていた。


かみお りゅうすけ/九州大学名誉教授

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