インタビュー 現在の経済危機をどうみるか
         −大恐慌の教訓から考える−

                   侘美 光彦

2001.6.20 202−2002.1.20 209 


 侘美光彦氏の著書『大恐慌型不況』 


インタビューの主な内容・項目へのリンク
1990年代アメリカの長期景気拡大とニューエコノミー論 
2001年から始まった米景気の減速
85年プラザ合意と日本のバブル 
日本のバブル崩壊と平成不況・デフレの怖さ 
戦後の大恐慌回避体制と日本のデフレスパイラル 
デフレスパイラル下の財政金融政策と不良債権 
ドルの基軸通貨体制と「ユーロドル市場」・統一通貨ユーロ 
市場経済論の誤りと社会主義市場経済の理論・可能性

 −−一九九〇年代の一〇年間にわたって続いてきたアメリカの景気拡大が、最近では急速に減速してきたようです。まず、どうしてあのような景気拡大が可能になったのでしょうか。

 難しい問題ですが、ひとつは、よく言われるようにIT(情報技術)革命が進んで、IT産業あるいはその関連産業の設備投資が増大して、設備投資ブームと言われるものができあがったこと、これが基本であることは間違いありません。IT産業とよばれる新しい産業分野がうまれるだけでなく、どの産業もIT投資をすすめることで、設備投資がすすんだわけです。

 しかし、もうひとつ重要な要因があります。それは、この一〇年間、アメリカ企業は好況期のなかでリストラをやってきた、好況期の首切り・合理化をどんどんすすめた、ということです。普通は、首切り・合理化というのは不況期に強まるものですが、好況期にこれをやって、非常に生産性をあげたということです。

 では、何故それができたのかということですが、これについては、アメリカの株式市場に重大な変質があったと考えることができます。

 アメリカの株式市場は、日本の場合との違いがあります。金融は、直接金融と間接金融にわけることができますが(投資家が株式や債券を直接に買って企業などの資金調達に参加する直接金融と金融機関への預貯金をつうじて参加する間接金融)、今のアメリカでは直接金融の比重が大きいのです。ということは、個人や企業の貯蓄が直接、株式市場に流れるということです。大まかにみて、家計貯蓄の六〇%ぐらいが銀行に行かずに株式市場に流れます。そのときに、家計の貯蓄は実際には、証券会社、保険会社、ミューチュアル・ファンド(アメリカにおける投資信託の一種)、年金基金などというものを介して株式市場に流れますが、これらが、いまやアメリカでは最大の機関投資家になっており、こういう機関投資家が、企業の大株主になっているわけです。

 一九三〇年代の株式市場についての研究では、「経営と所有の分離」がおこなわれた、投資家が分散して大株主がいなくなった、と言われたし、事実そうだったのですが、今ではそれが逆転したのです。こういう機関投資家が支配的な株主になってしまうと、そこでは「経営と所有が一致」するわけです。

 つまり、自分たちへの配当とか株価を有利にするために、強力な権限を企業にたいして行使することになります。それが、リストラ要求ということで、中間職への首切りなどが強力にすすめられる、というようなことになりました。これは、第二の株式革命かもしれません。そういう事態が進展して、株価は上昇する。株価が上がれば一般の個人株主も市場にはいってきて、借金してまで株を買うというようなことが社会的にひろがって、その結果、株価はさらに上昇する、そして設備投資が昂進する。。というかたちで、普通の景気循環より長い景気循環がうまれました。

 もちろん、八〇年代末から九〇年ごろまでに、アメリカでも「バブルの崩壊」があって、その時に不良債権の処理をすみやかにすすめた、という日本との違いもあります。これが第三の要因と言うこともできますが、しかし、主な要因は最初に言った二つがうまくかみあった、ということです。

 ただし、よく言われる「ニューエコノミー論」(IT革命にともなう生産性上昇などで景気循環がなくなったとする論)というのは、取るに足らないものです。今までも、これに近い論は、何度もあらわれてきました。六〇年代に好景気がつづくと、「景気循環はなくなったのではないか」という論があらわれ、近代経済学の分析から景気循環論がなくなって、経済成長論になってしまう。。ということがありました。こうした論が出てくるのは、もう三回目ぐらいで、その度ごとに「景気循環はなくなった」と言って、結果は、その度ごとにその論がひっくり返されたわけです。今回は、IT革命とむすびつけて、それを言ったということにすぎません。そしてすでに、アメリカ経済の減速で、これが間違いだったということが事実によって証明されています。

 −−IT産業の拡大ということについては、どう評価されますか。

 IT産業とその関連の設備投資の拡大というものは、あきらかに経済成長に貢献しています。しかし、かつての鉄道や自動車といったものが出てきたときに比べて、IT産業がどの程度のものなのか、鉄道・自動車以上のものであるかどうかは疑問です。第三次産業革命と言えるほどのものかどうかは、まだ、はっきりわかりません。もっと長いスパンで見る必要があるように思われます。

 −−今はじまっている経済減速はどう評価されますか。

 ひとつには、ITブームの崩壊があります。それが、一般企業の設備投資の縮小へと向かいはじめたところに、今度は、株価の急落がはじまったということでしょう。ただ、この株価の下落の仕方が、従来たとえば一九二九年恐慌のときとはかなり違っています。どこが違うかというと、当時の株式市場はものすごいバブルでもあったわけですが、この株式市場に入る中心の資金、全体の動向を決定する資金は、一種の間接金融だったという点です。

 当時は、ブローカーズ・ローン(株式取引所で株の仲買人=ブローカーに銀行が行なう短期貸付で株価高騰時には高利となる)といって銀行経由が中心の資金だったわけです。もちろん一般の企業もそれに参加できるので、だんだん大企業などの比重が大きくなったのですが、それが大量に株式市場に入ってくる。

 それで、株価が上がると、個人の株主もそこに入ってくる、という循環ですすみ、株式ブームをつくっていました。ところが、株価がピークに近づき、いったんそれがダメだとなったら、その資金が一挙に引き揚げられる。すると、あっと言う間に株価が崩壊するというように、劇的な促進効果と抑制効果があったわけです。

 ところが、現在はそれにあたるものがないんです。現在は、銀行経由の資金が株式市場にまわっているというのではなくて、さっき言ったように、ミューチュアル・ファンドとか年金基金とかといういろいろな資金が入っているわけです。これらはもちろん、株価が下がりはじめると警戒して、少しずつ引き揚げられはじめますけど、劇的に引き揚げるということはなくて、また少し買いもどす、すると一般投資家もまた入ってくる、そしてまた危なくなると引き揚げる−−というような動きを何回もくりかえします。

 だから、もうこの二〜三年のあいだ、株価は上がったり下がったりしています。そうした動きをくりかえしながら、株価はなかなか下がらないという現象がつづいて、景気が伸びていました。それがついに、産業側の設備投資の縮小、経営悪化がはじまって、いよいよこの株式市場も長期的な下落に入ってきた、というのが今の段階ではないかと思います。

 まだ株価は上がったり下がったりはしていますが、この景気悪化がもっとすすめば、確実に下がってきます。長期的には、かならず下がると思います。株価が崩壊する、バブルが崩壊する、ということは、もう三年ぐらい前から言われてきて、なかなか崩壊しなかった。なぜ崩壊しなかったのか、ということのほうが問題です。それは、株式市場の性格が変わってきたので、そう劇的にはいかないということです。

 ただし、いったん景気後退がはじまると、重要なのは、アメリカの場合には日本と違って貯蓄率がマイナスで、個人も企業も借金して消費をする、あるいは株を買っており、その借金を返さなければならないわけですから、景気が悪化すると、それによる引締め効果はかなりきついだろうと思います。アメリカの景気はどうなるかと、さかんに議論されていますが、このまま行くと景気後退はかなりきついものになるだろう。そうすると株価はもっと下がるだろうということです。

 問題は、そのつぎに何が来るか、ということです。世界経済にとって、いちばん劇的ないちばん危険なことは、外資の引き上げ、ドル暴落です。そこまでいくかどうか、まだわかりません。今回は起きないかもしれませんし、ごく小さなドル暴落ぐらいになるかもしれません。しかしそこまで行くと、世界経済にとって深刻なことになります。

 じつは、アメリカのドルは、長期的に、円やマルクからみると非常に下がっています。ところが、他の国の通貨にたいしては、ドルは高いんです。発展途上国などにたいしては非常に高くなっています。だから、ドルはその両者の真ん中にいるということです。今は一・が一二〇円ぐらいですが、一時期は八〇円ぐらいまでいった。かつての固定相場制の時の一・=三六〇円からみると四倍ぐらい円が高くなったのですが、日本の生産性がアメリカの四倍も高くなったということはないわけですから、そのギャップでアメリカは長期的に非常に有利になっています。ところが、発展途上国や先進国でもイタリアやイギリスにたいしては、アメリカが支えているということです。アメリカは、日本やドイツにたいしては負担をもとめて、アジアの国にたいしては、輸出しやすくしている、という構造をもっています。それで、アメリカ経済が減速すると、まずはアジアに影響して、それが日本にはねかえってくるということです。

 −−そこで日本経済の問題です。一九八五年のいわゆるプラザ合意(八五年九月の五カ国蔵相会議でドル高是正が合意された)を契機にしてバブルが膨張したのですが、その実体とはどういうものだったのでしょう。

 バブルに実体というものはありません。文字どおりバブルですから。要するに、過剰な貯蓄があって、それが生産や設備投資にむかうよりも、不動産や株の価格上昇で利益を得ようとして、そこに流れこんでいくということで、そんなものは長期的にかならず崩壊します。崩壊すれば、必ず大きな損をする人たちがでてきます。もちろん、個人的にみれば得をする人たちは株が上がっても下がっても得をするわけなのですが。

 だからバブルに実体はないのですが、八五年以降に何故バブルが発生したのかということが問題です。七〇年代に石油ショックが二度あって世界経済、とくに先進国経済が低成長に入りました。七〇年代は全体にまだ物価が高くて、アメリカは一〇%以上のインフレだったのですが、八一年から八四年にレーガン政権がいわゆるレーガノミックスで、その物価上昇率を下げるのに成功しました。スタグフレーション(景気停滞とインフレが併存する状況)の解消に成功したわけです。

 そうすると、低成長で物価上昇率が下がったときに、貯蓄はどこに向かうかというのが社会的問題になりました。低成長ですから、設備投資に向かうのは相対的に少ないわけで、貯蓄は為替と株と土地の三つに向かったということです。そこでヘッジファンド(株や為替など世界中のあらゆる金融商品に投資し相場の上下にかかわらず利益を追求する投機基金)などというものが現れて、大規模に活躍するようになりました。だからバブルの根拠は、レーガノミクス以降ずっと、世界的に存在しました。バブルは、日本だけでなくアメリカにもヨーロッパにも発生しました。

 ところが日本の場合は、金融政策でもっともまずいことを繰り返したわけです。あきらかに、日本のバブルの異常さは、金融政策の失敗に理由があります。

 八五年プラザ合意というと、だれもがドルの下落をかんがえます。たしかにドルが急激に下がったのですが、そのとき同時に、世界の金利を下げるということをやったんです。当時、アメリカの金利は世界一高かった。とくに物価上昇率が低くて、金利が上がったものだから、実質金利はすごく高かったんです。だから、アメリカが貸し付けている発展途上国の累積債務問題なども発生しましたし、それが国内経済にも影響をおよぼすので、これを下げなければならなかったのです。

 ところが、アメリカだけが金利を下げたら、それまで入っていた外国資本が引き揚げられてしまう。だから、日本もヨーロッパも「協調」して金利を下げてくれということを、アメリカは要請というか、実際には強制したわけです。

 それにたいして、どの国も一応、金利を下げていくんですけど、ドイツなどはアメリカにかなり抵抗して、その対応の結果が、例のブラックマンデー(八七年一〇月一九日月曜日のニューヨーク市場の株価暴落)をよんだということもありました。ところが日本は、アメリカの言うとおりに下げて行ったんです。バブルがすでに起こっていて、物価上昇率が低いというときは、もっとも危険なバブルが発生します。

 たとえば、一九二九年のアメリカ経済にしてもそうです。あまり言われていませんが、その前に好況期が七〜八年つづいて、物価がほとんど上昇しない、むしろ下落気味でした。そうすると、大企業はもうかりますが、中小企業はもうかりません。だから、設備投資が最初のうちは元気でも、減退ぎみになります。そうすると、お金はどこに行くかというと、主には株式や不動産に向かいます。それで異常な株式ブームがうまれました。

 それに似たことが八〇年代後半の日本で起こったわけです。物価上昇率はきわめて低く、むしろ下落気味だったので、そういう時は異常なバブルが発生する危険があるので、金利を下げるのではなくて、むしろ早く金融を引締めなければならなかった。ところが、日本はどんどん金利を下げて行った。アメリカの陰謀ではないか、という説があるくらい、アメリカの言うとおりに金利を下げました。その時、日銀はバブルがふくらんでいっても傍観していました。その判断の理由はまったく単純なことで、「インフレの危険がない」ということです。「物価は非常に安定している」ので、引き締める必要はない、と言っていたんです。

 つまりインフレだけを警戒していたのです。当時すでにデフレがはじまっていたのですが、その意味を十分理解せず、バブルにたいする警戒心はまったくなかったわけです。それで、バブルがどんどんふくらんでいって、どうしようもなくなってから、一挙に金融を引締めたんです。それで、バブルは劇的な崩壊をしてしまいました。だから、金融緩和も失敗、金融引締めも失敗で、失敗の連続でした。こうして、日本では異常なバブルとその崩壊が起きてしまいました。八九年から九〇年にバブルが崩壊したのですが、もっと前の八六、七年ぐらいから引締めをやるべきだったのです。歴史を知らなかったということです。日銀、それに大蔵省も若い官僚は、歴史を知らない人ばかりですから。三重野日銀総裁の前の澄田総裁などは、あとになって、あの政策は失敗だったと自ら言っています。

 この段階で金融政策は失敗したわけですが、バブルが崩壊していわゆる平成不況になっても、金融政策は失敗を続けています。

 −−日本の異常なバブルとその崩壊そして平成不況と続いた、八〇年代後半から九〇年代をとおして、政府の経済政策が失敗だったということですが、そこで指摘しておられるデフレの怖さとはどういうことですか。

 政府の連続的な経済政策の失敗は、まさに歴史に残るのではないか、と私は雑誌に書いたぐらいです。日本政府はデフレにたいして、まったく警戒心がなかったのです。

 八〇年代前半のアメリカ・レーガン政権のいわゆるレーガノミックス以降、世界的にはグローバリゼーション、規制緩和、金融自由化という風潮がずっとひろがって、日本ではとくに市場主義者が、物価は下がった方が良い、物価が下がれば消費者のためになる、ということを言い続けてきました。今でもそういう人びとが主要な政策担当者にいるので、どうしようもないのですが。この人たちは、デフレがどんなに怖いものかということを認識できていません。

 二九年恐慌では、バブルが崩壊して史上最大の大恐慌になったのですが、その基本的な原因はバブル崩壊ではないのです。バブル崩壊も要因ではあるのですが、追加要因、促進的要因だったのです。最大の原因は、デフレ・スパイラルにありました。

 これについては、少し説明が必要です。デフレーションというのは、持続的に物価が下落することです。景気が悪いときは物価が下がります。物価が下がったら、通常は、賃金も下がります。原料価格も安くなります。だから、企業からみると投資しやすくなります。投資が拡大すれば、また景気が回復し、需要も拡大し、物価も上がっていきます。これが普通のデフレです。

 ところが、二九年恐慌では史上はじめてデフレ・スパイラルが起こりました。つまり、〈所得・物価の下落→投資の縮小→いっそうの所得・物価の下落〉という、デフレがデフレをよぶ悪循環が起こりました。これには二つの事象が関連しています。

 一つの問題は、寡占価格の下方硬直性、つまり独占企業の製品価格がわずかしか下がらなかったことです。農産物など自由競争的な商品の価格は猛烈に下がったのですが、独占企業の製品価格はあまり下がらず、これらのあいだにギャップがうまれました。景気が悪くなったことにたいして、価格を自分たちで決定できる独占企業は、その製品価格を下げないことによって利潤率を維持するよう対処したわけです。しかし、たくさんの中小企業や零細企業が競争しあっている産業では、そんなことはできませんから、少しでも多くの商品作って安く投げ売りするので、その価格は暴落しました。そうすると大企業の方は、需要が減って商品の販売量は減るわけですから、操業率の大幅な縮小、生産縮小をしなければならなかった。それで、社会的需要は急減し、失業が増えました。

 もう一つの問題は、賃金の下方硬直性です。一般の物価は下がったのに、大企業の賃金は下がらなかったことです。これには、アメリカの特殊事情があって、当時のフーバー大統領と財界・企業が賃金を下げないという約束をしていました。ただそこには抜け道があって、賃金を下げないというのは、時間賃金を下げない、雇用している常勤労働者の時間賃金は下げないということです。だから、労働者を首にしてしまえば、企業の賃金支払総額は下がるわけです。大企業は、パートタイマーなどを増やして、失業者を増やして、操業率を大幅に低下させるという方策をとりました。

 そして、労働者が二つにわかれてしまいました。雇用されている労働者は、まさに労働貴族です。物価が下がっているのに高い賃金をもらっているわけですから。他方で、首になった労働者、失業者や半失業者は大変なことになりました。

 このように、二つの問題、寡占価格の下方硬直性と賃金の下方硬直性があって、いっきに社会的需要が縮小していったということです。しかも、賃金が下がらなかったので、投資条件が悪化してしまったんです。社会的需要が縮小しているときに、投資を増やせば、賃金に喰われてしまうので、投資が需要面からも投資条件面からも縮小してしまいました。だから、価格が下がれば、普通はそれを利用して投資を拡大するところが、反対に投資が縮小してしまいました。投資が減少すれば、社会的需要も縮小して、また物価が下がるという、まさに悪循環に陥ったわけです。この過程が、大まかに言って三回ぐらい繰り返されました。投資が一年おきぐらいに、半分、半分という具合に、三年間ぐらいかかって激減してしまいました。

 そして、当時のアメリカでは企業の粗投資がマイナスになるという異常な事態になりました。景気が悪いときに純投資(新規の設備投資と在庫投資)がマイナスになるのは普通ですが、粗投資(純投資に加えて、老朽化した旧設備の維持や磨滅・消耗の補填などの減価償却をふくめた投資)がマイナスになる、実質的には新しい投資どころか償却投資もやらないという壊滅状態になってしまいました。これが大恐慌の基本的要因です。だから、デフレ・スパイラルが起こったため、投資が壊滅して、資本主義そのものが危なくなるという恐慌が発生したということです。

 そのうえに、バブルの崩壊にともなう銀行経営の悪化がありました。これが付随的要因です。当時のアメリカでは、景気後退がはじまる前に、個人の住宅ローンとか自動車ローンが増え、中小企業もたくさん借入していますから、そういう債務がふくらんでいました。そのような時、所得が下がれば、返済ができなくなります。物価が下がったからといって、その債務額が軽減されるわけではありませんし、もともと可処分所得の限界部分で返済しているのですから、所得が下がれば返済ができなくなります。いわゆるデット・デフレーション、債務デフレが起きました。資産が目減りする資産デフレとはちがって、債務が減らないという意味の債務デフレです。

 そうなると、全銀行の経営が悪化して、とくに不動産担保貸付や株式担保貸付をやっているような特殊な銀行ではなく、普通の銀行の経営が悪化しました。債務デフレは、デフレ・スパイラルが発生してから起きたわけで、それで銀行の経営が悪化したのです。それに加えて株価が暴落したので、株式担保貸付をやっている銀行も担保価値を失い、経営が悪化し始めました。そして三三年三月には、アメリカの全銀行が営業を停止するという事態にまで立ち至ったわけです。

 −−戦前の大恐慌も、教科書で書かれているような、ニューヨーク株価の暴落だけを見てはその原因がわからないようですね。それから戦後の半世紀以上にわたって、あれほどの大恐慌は経験していませんが、それは何故ですか。

 第二次世界大戦後は、あのような大恐慌が起こらない仕組みができました。それは、意図して作ったのではなくて、結果的にうまくいったということです。その最大の機構は、とくにアメリカ経済で五〇年代から、はっきりあらわれたインフレ体制です。なぜ絶えずインフレになるかというのは、話すと長くなるのですが、いずれにしても絶えず物価が上がっていけばデフレは発生しません。不況の時も物価は下がらない、あるいは安定しているわけです。そうすると、先程言った、寡占価格の下方硬直性、賃金の下方硬直性は表にはあらわれません。

 戦後も、寡占的企業が経済の中枢にあり、大きな労働組合があるので、寡占価格と賃金の下方硬直的傾向はあるんですが、それがあえて物価を下げないという方向にはたらく必要がなくなりました。要するに、デフレが発生しない構造ができたので、デフレ・スパイラルも発生しなくなりました。だから、みんな長いあいだデフレを忘れていました。デフレ・スパイラルがいかに怖いかということを、すっかり忘れてしまっていたのです。

 五〇年代から、ずっと長期的に物価が上昇し続けてインフレが続いたのですが、これは、債務者に有利になります。名目所得が上がれば債務返済は楽になりますから、中小企業などには有利だったのです。もちろん、猛烈なインフレが起これば話は別ですが。その長期のインフレ体制というものが、当局は意識していたかどうかわかりませんが、大恐慌回避体制として機能してきたわけです。

 戦後の大恐慌回避体制のもうひとつは、よく言われる金融のセーフティネット、要するに大きな銀行は倒産させないという政策です。銀行は通貨を供給しているわけですから、そういう銀行は倒産させないということです。預金保険機構などを作って、取り付けがあっても、それが代わって支払う。お金がなければ、政府や中央銀行が援助する、という金融恐慌を起こさせない体制を作りました。この二つが、戦後ずっと大恐慌を起こさせないようにはたらいていたわけです。

 マルクス主義経済学者のなかで「恐慌・恐慌」といつも言っている人がいますけど、第二次大戦後、終戦直後の時期は別として、五〇年代以降は恐慌といえるものは起こりませんでした。好況と不況という景気循環です(戦前の〈好況→恐慌→不況〉という循環のなかの恐慌とここでいう不況とは、生産の減少、失業の増大、利潤の減少といった点で共通しているが、銀行恐慌と物価水準の下落の有無において違っている)。いまでも、大恐慌回避体制は基本的には維持されています。アメリカではデフレは発生していませんし、ヨーロッパではまだかなりインフレです。

 ところが、先進国のなかで日本だけ、八五・八六年ごろからデフレ基調がはじまりました。

 −−その大恐慌回避体制が日本で崩れはじめたということですか。

 日本は先程言った、グローバリゼーション、規制緩和がすすんだ頃から、円高も影響して、物価がゆるやかに下がりはじめました。好況になってちょっと上がりかけましたが、すぐにまた下がっています。それで、平成不況がはじまってからまた、ずっと下がっています。

 日本の場合は、二九年恐慌の時とはちがって、デフレ・スパイラルが最初に起こったのではなくて、バブルの崩壊が起こって、これが原因でしだいに不況が深刻になっていきました。それは、銀行が土地や株の時価を担保に貸付をやっていたので、バブル崩壊でその土地や株の時価が下がるとただちに担保価値がなくなって、大量の不良債権が発生することになったわけです。

 二九年恐慌の時は、銀行が株を担保に貸付をやっても、その担保価値は時価の二分の一だったのです。本来、銀行というものはそういうものです。だから、貸付が不良債権になるのは、株価が半分以下に落ちた段階からで、それまでは不良債権化しなかったのです。ということは、事態がかなりすすんでから不良債権化したということです。ところが、日本の場合は、銀行貸付がすぐに不良債権に転化したわけで、二九年恐慌の時よりもはるかに不良債権の発生率は大きかったということです。

 私は、九四・九五年頃から今回の不況はこれまでとは違いますよ、と言ってきました。変動相場制がはじまって以来、大きな不況は三度目です。七四・七五年の第一次石油ショックの時の世界同時不況、第二次石油ショックをうけた八〇年からの不況。これは両方とも石油コストの上昇という一種の供給制約があるなかで、財政ないし金融の引締めが加わって不況になった、いわば「循環性恐慌型」不況でした。だから、供給制約が解除されると比較的簡単に景気は回復しました。

 しかし、今回は違います。供給制約はないのです。原料価格が上がったとか、賃金が上がったとか、そういう条件はないのです。先程言ったように、日本の場合にはむしろ物価は下がっているのです。そのなかで不況が発生したわけです。そして、不良債権の発生、金融機関の経営悪化とともに、不況が深刻化しています。デフレがすすみ、金融危機がすすむなかでの不況です。したがって、これは戦後はじめての、まったく新しい形の不況ということができます。そういう意味で、むしろ「大恐慌型」不況である、と私は命名していました。

 ちょうどその頃、景気も少しずつ上向きはじめて、経済企画庁は景気過程が自律的回復期に入った、というような事を言っていたのですが、その時でも、物価水準は下がっていましたし、失業率も少しずつ増えていました。倒産も増えていました。だから、生産が上向いていても、他の景気指標は少しずつ悪化していた。とくにデフレは進行していたわけです。ところが、経済企画庁が景気は自律的な回復期に入ったと言ったものだから、九七年から橋本政権が財政構造改革をやるという判断にたって、財政引締めをやりはました。これが歴史に残る経済政策の大失敗となったわけです。

 そしてこれ以後、おだやかなデフレが、事実上のデフレ・スパイラルに転化してしまいました。九七年の秋から大型金融機関の倒産が起こりはじめ、大企業のリストラが大規模に開始されました。物価が下がって、景気が悪化していく。それがついに大型金融機関の倒産、大企業のリストラ、設備投資の縮小へとつながって、景気はさらに悪化していく。そして今度は、所得が下がっていきました。名目所得が下がるというのは、戦後はじめての事です。所得が下がれば、みんな警戒しますから、消費は縮小する。だから、ゆるやかですが、デフレ・スパイラルに入っているということです。その状況は、現在でも変わっていません。昨年あたり、生産は増加したのですが、失業は減らないし、倒産規模は大きくなっていって、ついに今年に入ってからは生産が大きく落ちこみはじめています。

 −−何十兆円の公共投資も効果はないわけですね。

 九一年からでは、すでに一三〇兆円以上の公的資金を注ぎ込み、史上例をみない超低金利政策、実質上のゼロ金利政策をやっても、まったく効きません。

 それは当たり前で、デフレ・スパイラルに陥ったら、大企業を中心に設備投資を縮小していきます。投資ができない状態になります。こうした時に、公共投資をしても、それは一時的な効果はあったとしても、乗数的な需要拡大効果を生まないからです。大企業が投資を拡大しようとしないのです。

 金融政策で、金利をゼロにしても、量的緩和をやっても、企業が設備投資を拡大しなければ、銀行は貸付を拡大する事ができないわけです。だから、銀行で余った資金は、国債を買ったり、外国に行ったりしている状態です。政府と日銀とのあいだで、お互いに相手が悪いと言い合っているのですが、両方とも、経済状態にたいする認識がまちがっています。デフレ・スパイラルに陥ったら、財政政策も金融政策も効かなくなるのです。

 −−デフレ・スパイラルに陥ったら財政政策も金融政策も効かなくなるということですが、それでは、有効な方策というものはないのですか。

 とくに金融政策というものは効きません。ケインズの言う「流動性のわな」の状態(利子率がある水準まで低下すると、人びとが低い金利しか生まない債権を保有するよりも現金を選好するため、中央銀行がさらに金融を緩和しても、資金が投資に向かわない状態)に陥りますから、どんなに金融緩和をしても設備投資は増加しません。だから、この状態を変えるには、まずデフレをストップさせることです。しかし、いったんデフレ・スパイラルに入ってしまったときには、なかなか、それがむずかしいのです。

 何故かというと、投資が縮小し消費も縮小すると、社会的需要が縮小しているわけですから、大企業はともかく、中小企業としては価格競争をするしかありません。中小企業は安売りをするしかないのですが、そうすると自分の首をしめることになります。それがまた社会的需要の減少にむすびつくという形で、ゆっくりですがデフレがスパイラル化する(悪循環に陥る)のですから、デフレが止まらないのです。

 二九年恐慌のときに、アメリカ政府はデフレを止めようとして、大変な政策を実施しました。そのときのデフレ・スパイラルは、今の日本よりもっと猛烈なものでした。とくに農産物価格は三〇%の水準にまで下がり、物価は半分以下に下がりました。これを止めるために、ドル切下げをやったり、中小企業にカルテルをつくらせたり、農産物を買い支えたりする事までやりました。価格を下げさせないために、今では考えられないような手段をとったわけです。もちろん、公共投資なども拡大したのですが、そういう異常な手段を取らざるをえないほど、いったんデフレ・スパイラルに陥ったら、それを止めるのは大変なことです。普通のデフレならば、市場自身の力で回復するので、そう難しいことではないのですが、デフレ・スパイラルに陥ったら、そうはいきません。いわば緊急措置をとる以外にないのです。

 −−今の日本では、不良債権の処理が問題だとさかんに言われていますが、これはどうなのでしょうか。

 たしかに今、景気対策が効かないものだから、ほとんどの人が原因を構造問題に求め、不良債権を解消すれば景気が良くなると言っています。しかしこれは、完全に間違いです。そういう人たちは、今の経済状況をデフレ・スパイラルとは認めません。最近ようやく、政府はデフレ不況だと言っていますが、デフレ・スパイラルについては「そんなことを言うのは脅迫だ」などと否定しているのです。

 もちろん、不良債権がなければ、銀行が融資しやすいのは確かです。銀行は、引当金(貸倒れなどの損失に備える積立金)などの損失が生じませんから、健全だと思われる企業に融資すれば良いのです。ただ、今の状況では不良債権がまだまだ増え続けているものですから、これを非常に警戒しています。問題は、不良債権がなくなったとしても、企業側に投資力がなかったら、つまり企業側の投資条件が良くならなかったら、銀行は企業に貸し付けられないということです。だから不良債権を解消しても、それで直接、景気回復に向かうわけではないのです。

 それに、不良債権の処理をやると、さらに金融引締めが起こります。不良債権にもいろいろの段階があります。完全に不良債権になっているもの、不良債権になりかけているもの、そして「あやしげ」なものがあります。この「あやしげな」債権まで返済を求めたり直接償却したりするわけですから、短期的には企業の倒産が増え、失業が増えるでしょう。だから、不良債権の処理を政府がはじめると、さらに景気が悪化していくことは確実です。もちろん、これを通り越して、景気回復政策が有効になるかどうかという問題が重要なのですが、そのためにも、企業の投資条件を改善しなければなりません。

 −−素人考えですが、いくら企業の設備投資が景気をひっぱると言っても、リストラや賃金切下げなどがすすむなかで、結局は個人消費の回復が問題ではないのですか。

 そのように考えると、永遠に景気回復にはつながらないということになります。たしかに減税等の政策は消費の増加に役立ちますが、基本的には所得そのものが増加しなければなりません。そこで資本主義経済では、投資が拡大しはじめて、雇用が増え、企業利潤や所得が増えると、社会全体の需要が拡大していきます。だから、景気を回復するための基本は企業の設備投資であり、雇用の増大です。これが回復すれば、消費の縮小もしだいに解消していきます。今の経済状態は、設備投資が縮小した後に、消費まで縮小するという段階に来ています。

 したがって、設備投資をどうやって回復させるかということですが、IT(情報通信)関連分野はすでに限界に来ていますし、新しい産業を起こすといっても、具体的に大きな新産業分野は見あたりません。だからあえて言えば、「ゆるやかなインフレ」政策をとる以外に方法はないでしょう。物価がゆるやかに上がれば、中小企業は息をつくことができます。かつてのインフレ的な傾向にもって行く、どうやって物価をゆるやかに上げるか、それが非常に難しいのですが、「調整インフレ論」や「目的インフレ論」などが言われはじめています。しかし、これらの政策はデフレやデフレ・スパイラルが止まった後に、はじめて効果がでる政策にすぎません。

 −−物価の問題では、アジアなどの低賃金労働力を使って商品を安く生産することで、衣料品などの価格が大きく下がっているのですが、その影響はどう見ますか。

 この傾向は今後も続くでしょう。そういう事はずっと以前から行なわれてきました。資本主義の競争ですから、生産性が上がることで価格が下がるとか、低賃金で生産して価格を下げるとか、内容はいろいろありますが、衣料品とかコンピューターとか、個別の商品の価格を下げることは当然やっています。しかし問題は、物価全体の水準が下がっていることです。物価全体の水準が下がっているのは日本だけです。前にも言ったように、このデフレが、一定の条件でデフレ・スパイラル化する可能性があるということを政府が認識せず、放置していたため、本当にデフレ・スパイラルに陥ってしまいました。

 政府は最近になってようやく、デフレを問題にしはじめました。「悪いデフレと良いデフレ」という議論もあります。確かに、個別的商品の価格が下がるのは「良いデフレ」かもしれません。しかし、物価水準全体が下がるということになると、必ず所得は低下しますし、デフレ・スパイラルになる可能性があるわけですから、資本主義的政府としては、これを避けるのが懸命な道です。だから、アメリカ政府などは絶対に物価水準を下げさせません。ちょっと下がるとすぐに手を打ちます。ヨーロッパなどでは、むしろ高い水準のインフレ傾向が、ずっと続いています。

 日本だけが、デフレ状態に陥ってしまったということです。何故そういうことになってしまったのか。それには円高や国際競争の問題もあるのですが、最大の問題は日本政府が経済政策をとるうえで、デフレの恐さを知らなかった、歴史を知らなかったということです。最近でこそ、はっきりと、日本でもデフレは危険であるという評価になってはいますが、それまでは長い間デフレはほとんど議論になっていませんでした。だから、アメリカやヨーロッパなどではどこまで意識していたのかは、わかりませんが、まだ少しは二九年恐慌の歴史的教訓が残っていたと言えるかもしれません。

 実は、二九年恐慌のとき、アメリカでは激しいデフレが何年も続いたのですが、日本の場合には、世界的な農業恐慌の影響をうけた農産物価格は別として、その時のデフレはすぐに解消したのです。日本のいわゆる「昭和恐慌」は、世界大恐慌の一環として発生したのですが、硬直的な価格機構がすでに形成されていたアメリカの「大恐慌」とは違い、物価も賃金も弾力的だったので比較的急速に回復しました。またそれは、一九三一年からの対中国侵略、とくに対満州投資という帝国主義的植民地拡張、軍事膨張と不可分の関係にあったことも忘れてはいけません。

 −−ということは、日本は深刻なデフレを経験したことがないのですね。

 そう言うことができます。日本では戦後ずっと物価が下がったことがありません。もっと正確に言えば、一九三一年から物価が下がったことがないのです。だから、大蔵省はパニックに陥っていたようです。というのも、彼等は経済状況について何でもシミュレーション(仮想的分析)をするのですが、それをやろうにもデータとなる数字がないのです。そういう意味で、本当にデフレについては無知なのです。

 −−現在の経済危機を二九年恐慌との比較で評価していただいたのですが、その点から今後の日本と世界の経済の見通しについては、どう考えられますか。

 日本では、デフレや規制緩和の行き過ぎなどで、前に言ったような、第二次大戦後に作られた大恐慌回避体制の一部がほころびたと言うことができます。金融恐慌は、なんとか公的資金の投入で防ぎましたが、経済全体はデフレ・スパイラルに陥ってしまいました。それで、景気回復に非常に困っています。しかし、他の先進諸国では、依然として大恐慌回避体制が機能しています。したがって、アメリカの不況がはじまっていますが、それがすぐに二九年の大恐慌のような事態に進んでいくことにはならないと思います。

 現在の経済危機が、二九年恐慌に例えられたのは、一つにはバブルが発生して、それが崩壊したという点です。もう一つは、九七年夏に発生したアジア経済危機と、二〇年代当時の途上諸国の経済危機とが似ているという点です。というのも、二〇年代当時には、アメリカやイギリスの資金が大量に途上国に入っていて(ベルサイユ体制下でのドイツもそれに近い状態にあった)、バブル崩壊などの要因でそれが急速に引き上げられ、それによって経済が崩壊してしまったという事がありました。ところが、当時はまだ金本位制でしたから、金の海外流出が起こると、政府は金融引締めをやったわけです。今では信じられないかも知れませんが、金準備が減少したら金利を上げるというのが金本位制の原則です。景気が悪くなったら、金融を引き締めて財政も縮小する、ということをやったので、経済が一気に崩壊したのです。

 今回のアジア経済危機では、アメリカや日本からの短期資金が流出して通貨危機を引き金に経済危機が起こったときに、IMF(国際通貨基金)が引締め政策を勧告したのです。IMFの資金を途上国に貸し付ける条件として「財政の健全化」ということで財政引締め政策を要求したのです。要するに、金本位制的な政策を途上国に対して強制したのです。金本位制的というのは、自由競争的な市場主義的な政策ということですから、二〇年代と非常に似かよったアジア経済危機が生まれました。IMF自身が今ではあれは間違ったと言っています。しかしこういう政策をとると、デフレ・スパイラルにでも陥らないかぎり、回復は早いのです。それまで実質上の固定相場制をとっていたのが、変動相場制を強制されたわけですから、為替相場は暴落したのですが、それで輸出にとっては有利になったのです。そこで、アジア諸国も経済危機からいったん回復しました。

 いずれにしても、先進国でのバブル崩壊と、途上国での経済崩壊とが起こって、それで二九年恐慌と比較されたわけです。しかし、世界経済全体としてはまだ大恐慌回避体制が機能していますから、この不況は長引くかもしれませんけれど、大恐慌には至らないだろうと思います。

 −−世界経済にとって最も危険なのは、ドルの暴落だとも言われましたね。

 最初の話でも少しふれましたが、長期的に見たときに、一番大きな問題はドルの基軸通貨制です。変動相場制というのは金融市場や資本移動の自由化と密接な関係があり、したがって投機が抑制できないため、為替相場が変動すればするほど、ものすごい投機が生まれます。これほど金持ちが儲けるシステムというものもありません。利子率というのは、高くても年間に一〇%です。今の日本などは、ゼロ・コンマ何%です。だから、金利で儲けるというよりも、株価や為替相場で儲けようとします。そして、株価よりも為替相場の方がはるかに儲けが大きいのです。

 為替相場は一カ月に一〇%、二〇%も変動することがあるわけですから、それを金利に換算したら年利一〇〇%以上になります。これほど儲かるものはありません。ヘッジ・ファンドなどの投機基金が、ロシアの国債に投資したと言われていますが、あれは為替投機と必ず密着しているのです。失敗したら大変ですが、為替投機ほど儲ける可能性の大きいものはありません。こうした投機資金が、為替相場を猛烈に動かすわけですから、為替相場は安定的ではありえないのです。

 それで具体的に各国通貨の状況を見ると、為替相場(実効為替相場すなわち二国間の為替相場だけでなく一国の為替相場が他の多くの通貨に対してどのように変化しているかを見たとき)は「二極分化」している、と私は評価しています。円やマルクは、長期的に上昇し続けている。反対に、ポンドやリラは長期的に下がっています。そして、為替相場が上がる国の方が、経常収支の黒字が増えていき、為替相場が下がる国の方が、経常収支の赤字が増えていくという状況になっています。一般的な近代経済学の変動相場制の理論では、為替相場が経常収支を調整してくれるので、「黒字は赤字に変わり、赤字は黒字に変わる」と言っているのですが、実際には逆に、黒字と赤字が一方的に増大し「二極分化」しているわけです。どうしてそうなるのかという説明は、ここでは省きます。

 その中でドルが基軸通貨としての地位を維持しているわけですが、問題は、アメリカ経済が世界最大の地位にありながら、経常収支が赤字に陥っており、世界最大の純債務国になっているということです。債務国の通貨であるドルが、どうして基軸通貨であるのかということです。「基軸通貨たりえないものが、基軸通貨になっている」という人さえいますが、この点が今後の世界経済を考える一つの重要なポイントなのです。

 −−ドルの基軸通貨体制がはらむ問題が、今後の世界経済を考える重要点だというのは、どういうことでしょうか。

 第一の問題は、基軸通貨というのものが、「基軸通貨特権」を持っているということです。基軸通貨は、たとえば現在のドルについていえば、アメリカは国際的な決済において、自国の通貨ドルで支払いドルで受け取るわけですから、他国の通貨とのあいだの為替相場がどれだけ変動しても、リスクを負わないし、不利益も生じないということです。ところが、非基軸通貨国はそういうわけにはいきません。ドルで借りてドルで返すのですから、自国通貨の為替相場がドルに対して下落している国は、大変な負担が生じます。基軸通貨国は、非基軸通貨国に対して、為替相場変動のリスクをすべて転嫁しているのです。こういう関係は、金本位制の時(イギリスのポンド)でも同じでした。

 したがって基軸通貨国は、経常収支が悪化しても、インフレが極度に発生しても、その結果ドルが下落しても、直接的には損失をうけることはないのです。ドルにこうした「基軸通貨特権」があるので、アメリカにとっては、経常収支が赤字になっても、一向に差し支えないのです。アメリカの経常赤字が大きくなっているというので、ドルのサステイナビリティー(持続可能性)ということが問題にされますが、そういう事は、非基軸通貨国たとえばアルゼンチンの経常赤字なら大変なことなのですが、基軸通貨国であるアメリカの経常赤字については、あてはまらないのです。

 第二の問題は、「ユーロ・ドル市場」の問題です。少し説明しますと、基軸通貨が交替した時、歴史的にはポンドがドルに交替した時、二つの中心的金融市場ができ、相互に競いあいました。その時には、他の国は自分の預金や債権をどちらにおくかを選択可能になります。一般的には、より利子率の高い方におこうという選択になります。ポンドが次第に弱くなって、ドルが次第に強くなってくると、国際的にポンド信用が次第に少なくなり、ドル信用が次第に大きくなっていきます。こういう交替過程が生じます。実際には、二〇〜三〇年ぐらいかかってドルがポンドにかわっていきました。両大戦間期には、この二つの通貨が交錯していました。このような交替期には、ポンド建ての信用とドル建ての信用の二つがあって、この量が次第に交替していくのが、基軸通貨の交替過程なのです。

 ところが第二次大戦後、ドルが基軸通貨になって以来、まったく新しい事態が発生しました。それは、いわゆる「ユーロ・ドル市場」というものができた事です。「ユーロ・ドル市場」とは、各国がアメリカにおいているドル建て債権(アメリカにとっては債務、いちばん簡単なのは銀行預金)を、ドル建てのまま他の市場にもっていく。たとえばロンドン市場にいってそれを貸し付ける。昔のように、それをポンドに替えてイギリスで運用するのではなく、ドル建てのまま運用するわけです。簡単に言うと、これが「ユーロ・ドル市場」です。

 「ユーロ・ドル市場」について、よく誤解されるのが、ドルをヨーロッパに持って行ったら、ドルが流出するのではないか、ということです。しかし実際には、ドルはまったく流出しません。最初にアメリカにおいていたドル預金は、そのままだからです。ドル預金を、ドイツやイギリスのどこかに貸し付けたとしても、アメリカにはそのドル建て預金が残るからです。もともとは、日本のだれかが持っていたドル建て預金が、今度はイギリスのだれかのドル建て預金になる、というように、転々と運用されて大きな信用媒体になることで、「ユーロ・ドル市場」という非常に大きな市場が生まれたわけです。今では、ここでの「ユーロ」という意味は「ヨーロッパ」という意味ではなくて、アメリカ以外どの国で運用されても、日本で運用されても「ユーロ・ドル市場」という呼び方になっています。だから、この「ユーロ・ドル市場」はどのように発展していっても、アメリカの資本収支に影響しません。アメリカにとって、こんなに便利なものはありません。この市場がどんなに拡大しても、アメリカ以外の国の通貨建ての信用が増えることはなく、国際的にはドルが集中的に信用を生み出している事になります。

 もちろん貿易取引の場合には、たとえば日本が輸出すると、その支払を円建てでやるという場合があります。ドイツのマルクの場合には、円よりもずいぶん多く使われていて、ヨーロッパ向けの輸出ではマルク建てで決済する比重が大きくなっています(今後はヨーロッパ統一通貨のユーロ)。貿易取引においては、一般的に先進国の通貨建ての取引が少しずつ増えています。ただし、日本の円建ての取引は、あまり増えないのが特徴です。

 ところが金融取引では、そのほとんど、九〇%以上がドル建てでおこなわれています。そして変動相場制になって以来、貿易などの「実需」の取引よりも、金融的な資本取引の額の方が圧倒的に多くなっています。いろいろな統計があって正確に言うのは難しいのですが、「実需」に対して金融取引は一〇〇倍以上多いと言われています。それが、ほとんどドル建てでおこなわれているわけですから、ドルはいつまでたっても基軸通貨で居られるわけです。すなわち「ユーロ・ドル市場」があり、それによってほとんどの金融取引がおこなわれているということが、ドルの基軸通貨としての地位を支えているということができます。したがって、アメリカ経済が悪化しても、ドルの基軸通貨としての地位は変わらない、という基本的な構造がつづいているのです。

 ただし第三の問題として、長期的には大変なことが起こりつつあります。それは、ヨーロッパの統一通貨であるユーロです。一般の経済学者とくに近代経済学者は、ユーロを変動相場制のなかにあるひとつの通貨体制としか見ていません。というのは、ユーロも、ドルなどの通貨に対しては為替相場があり、それが変動するからです。しかしヨーロッパ各国にとっては、為替がなくなるということです。為替なき経済取引です。したがって、ユーロは従来の国際通貨体制とまったく異質の通貨体制なのです。長い間、そんなものができるのかと、疑いの眼で見られていましたが、だんだん本当になってきました。最終的にはまだ成功するかどうかは分かりませんが、これが成功したら、国際経済取引の在り方が根本的に変わります。さきほど言った「ユーロ・ドル市場」が、ヨーロッパではなくなります。そうなると、ドルの基軸通貨体制は崩れていくでしょう。それがいつになるかは、分かりませんが、二一世紀中に必ず起こるでしょう。アメリカ経済は、長期的にはまだ安定的かもしれませんが、ドルの基軸通貨体制が崩壊したら、ドルはいっきに暴落するでしょう。

 −−ヨーロッパの統一通貨・ユーロが成功したら、ドルの基軸通貨体制が崩れていく可能性がある、というのは興味深い評価ですが、アジアはどうなりますか。

 その時に、新しい通貨体制をどうするか、という大問題が生じてきます。これが二一世紀の国際通貨体制の最大の課題です。そこで円はどうするのか、という問題が突きつけられるのです。

 もし、ユーロが成功したら、アジアでもユーロのような通貨体制をつくるという選択肢がうまれてきます。もちろん、それは口で言っても簡単にできるものではありません。アジアには社会主義の国もありますから、どうしたら、そういう通貨体制ができるのか、という問題が生じます。

 そこで、社会主義の問題です。アジアや世界で経済的影響をもちはじめた中国は、「社会主義的市場経済」をかかげていますが、これをどのように考えますか。

 「社会主義的市場経済」と言われますが、その実態がよく分からないでしょう。私の勤務する立正大学には中国からの留学生が多いので、中国が導入しつつある市場経済とはどのようなものか、と質問してみると、結局のところ、「実態は資本主義的市場経済そのものだ」という返事が返ってきます。それでは何故、「社会主義的」と付いているのかと聞くと、「政治がまだ社会主義だから」「共産党が支配しているから」というわけです。「政治は社会主義で、経済は資本主義」という理解をしているようです。もしそうなら、経済過程について「社会主義的」という修飾語は意味をもたないものになります。日本でも、中国経済を「限りなく資本主義に近い社会主義経済」と表現する学者もいます。

 ところが、留学生との議論のなかで気づいた重要な点があります。それは、かれらが「市場経済」と「資本主義市場経済」をまったく区別していない、ということです。その違いが分かるかと聞いたら、分からないと答えるのです。これは、中国の留学生に限らず、おそらく、日本の普通の人に聞いても分からないかもしれません。「市場経済」といえば「資本主義経済」のことだと思っている人が多いのです。

 しかし、歴史的にはそうではありません。市場経済には、すでに何十世紀という歴史があります。資本主義経済とは、その市場経済が歴史的にある段階まで発展した時にはじめて成立したものです。

 イギリスで、いわゆる資本の原始的蓄積がおこなわれ、労働力商品がうまれ、産業革命がおこなわれて、はじめて資本主義経済となりました。それ以前も、市場経済はありましたが、それは資本主義経済ではありませんでした。市場経済が発展して、資本が主体となって生産と分配がおこなわれるようになり、資本相互が市場の中で競争し、社会的生産の中心を担うようになったのが資本主義経済です。

 したがって、市場経済が即、資本主義経済ではないのです。そこに来るまでには、マルクスが言ったように「血と涙の歴史」がありました。

 これに関連して、近代経済学の人たちは、資本主義経済における生産活動や取引の主体には「企業」という言葉を使いますが、これは曖昧な規定です。「企業」というのを、あらゆる社会に共通の言葉として使っています。だから、「社会主義的企業」や「資本主義的企業」という使い方をします。
 しかし、「資本主義的企業」の場合には、それは「資本」です。「資本」というのは、利潤を求めて競争しあっています。その間を価格が媒介し、市場原理がはたらいており、淘汰されるものも出てきます。「利潤なき企業は去れ」ということです。

 −−それでは、社会主義で市場経済を利用する場合にはどうなるのですか。

 ソ連などで、市場経済を導入したときには、近代経済学の理論で導入しました。とりわけ市場主義者の原理は、市場経済を導入すれば、放っておいてもうまく行くというものですから、これにしたがって市場経済は急いで導入されました。しかし、うまく行きませんでした。そうすると市場主義者は、市場経済の導入の仕方が「遅いからだ」「もっと早くやれ」と主張して、やればやるほど、ソ連経済は目茶苦茶なことになってしまいました。社会主義経済も崩壊したし、市場経済としても大混乱になりました。

 しかし中国の場合は、漸進的にゆっくりやっています。市場経済を少しずつ導入しているのですが、問題は、市場経済と資本主義経済の区別がはっきりしていないことです。そうすると、行き先は資本主義経済そのものになってしまいます。

 そこで、社会主義で市場経済を導入するときに、資本主義の原理とは違った原理があるのかどうか、ということが、一つの重要なポイントになります。

 これについては、かなりの説明が必要になります。この問題は、じつは『資本論』では説明できないのです。『資本論』を基礎にした宇野弘蔵氏の理論を、さらに良く整理しないと説明できません。

 『資本論』第一巻の「いわゆる原始的蓄積」の最終部分に、マルクスの有名な規定があります。これを要約すると、次のようになります。

 資本主義的生産以前の社会では、「自分の労働にもとづく個人的な私有」が存在していた。しかし資本主義的生産が確立すると、労働者がみずからの労働でつくりだした生産物(商品)は、労働者の私有物とはならず、それは資本(資本家)の所有物となる。だから「個人的な私有の第一の否定」がおこなわれる。ところが、革命で資本主義社会が崩壊し、社会主義の社会になると、この資本主義的私有はもう一度否定され、土地や生産手段の共同占有を基礎とする新しい「個人的所有」がうまれる−−。

 つまり、「否定の否定」(二重の否定)で、「自己の労働にもとづく所有」に帰るが、それは「共同所有を基礎とする個人的所有」だ、ということが書かれてあるので、とくに教条主義的な人たちは、しばしば、これを訓詁学的に引用して、社会主義的所有についての議論を行ないました。

 しかし宇野弘蔵氏は、このマルクスの規定が根本的に間違っていた、と鋭く批判しました。これは学問的にきわめて重要な指摘だったのですが、なぜか注目されたり、評価されたりすることがなく、ほとんど無視されたのです。

 −−所有についてのマルクスの規定の根本的な間違いというのは、具体的にどういうことなのでしょうか。

 マルクスは資本主義以前の「個人的所有」の規定を「自分の労働にもとづく私有」から出発させました。たしかに、労働は人間生活の基礎となる根源的なものです。しかし、「自分の労働にもとづく私有」というのは決して根源的なものではなく、いわゆる小生産者に固有のものにすぎません。すなわち、土地は領主から借りているが、自分の鋤や鍬などの生産手段を所有して働き、その生産物を自分の物にできる(ただし、そこから地代などを払わなければならない)−−という私有制ですが、これは社会全体にとっては一部であって、決して一般的な私有制とは言えません。

 むしろその外に、市場経済に固有のより一般的な私有が広く存在していました。現在の私有制では当たり前のことなのですが、貨幣で購入したものは合法的に自分の所有物になるという私有が、市場経済全般に共通の私有です。「自分の労働にもとづくから自分の所有物になる」というものではないのです。もしそうなら、土地などの私有はありえないことになります。なぜなら、土地は自然に存在するもので、労働にもとづくものではないからです。土地の私有というのは、市場経済が十分に発達していない時期には、ほとんどが強奪によるもので、権力的に所有され、それが分配されていました。それが市場経済の発展とともに、ほとんど全ての物、したがって土地も、商品として売買されることで合法的に私有化されるようになりました。

 そして資本主義経済になると、この市場経済の私有制が貫徹されて、資本家は生産手段や労働力商品を貨幣で購入し、両者の結合の結果得られた(つまり生産した)生産した商品を売って利潤を得ることになりました。すなわち、労働力も商品になって、資本家はそれを購入し、商品を生産しそれを売って得た貨幣は、また合法的に資本家の所有になるということです。マルクスはこれを搾取と言いましたが、剰余労働を源泉として生まれた利潤を、資本家は合法的に自分のものにすることができるのです。これが、市場経済の私有制を貫徹させた、資本主義の私有制です。

 マルクスは、資本主義的所有においては「個人的所有」が否定されるので、労働者自身の労働の結果が資本に搾取されると主張したのですが、実際にはそうではなくて、市場経済に固有の私有制が貫徹されることで、剰余労働にあたる価値部分も合法的に資本が取得するのです。だから、マルクスが「自分の労働にもとづく個人的所有」を前提としたことは、出発点から間違っていると、宇野弘蔵氏は批判したのです。

 −−市場経済に固有の私有制が貫徹されるということは、前に言われた、市場経済と資本主義経済との区別の問題にかかわると思いますが。

 マルクスも宇野氏も共通して指摘しているのですが、市場経済というのは、共同体と共同体とのあいだで発生したものです。つまり、共同体の再生産にとって必ずしも必要でない余剰生産物を、共同体と共同体とのあいだで交換する形をとって、市場経済が発生しました。同時に、その取引圏に共通の貨幣が生みだされ、その貨幣によって評価される商品価格が確定されていきました。そこで、その取引圏ごとに異なる商品の価格体系が生みだされたため、ひとつの商品についてみれば、安い取引圏でその商品を買い、それを高い取引圏に持って行って売れば、確実に利潤が生まれた。このような活動を行なう主体が資本でした。

 だから市場経済は、なによりも資本によって媒介された国際貿易の運動とともに拡大したのであり、その歴史は何十世紀にもわたるものでした。市場経済は共同体とは別のものとして発展し、それがある段階(資本がそれまで共同体内部で行なわれていた社会的生産の中心を担うようになった段階)で、その共同体を崩して資本主義経済が生まれました。言いかえれば、市場経済に固有の私有制も、共同体における特殊な所有関係とは別個に発展していったのです。

 そこで大事なことは、市場経済と資本主義経済とのあいだには、なによりも、社会的に労働力が商品化されるという、大きな社会的変質(一種の歴史的な断絶)が生まれなければならなかった、ということです。それは、市場経済に固有の私有制が貫徹されたということでもあります。労働力が商品となった資本主義のもとでは、労働者は自分の生産した物にたいする取得権をもっていませんし、賃金をもらうだけなのです。

 −−資本主義で市場経済に固有の私有制が貫徹しているとすれば、社会主義の市場経済というのはどうなるのでしょうか。

 資本主義では、市場経済に固有の私有制が全面的に貫徹しています。資本主義的市場経済と私有制は一体化しています。そこには、公有制などというものはほとんど存在しません。政府や公的機関が所有するものを、しばしば「公有」などと呼びますが、それは政府や公的機関が「私有」しているもので、税金などを使って市場で購入したものであり、そこではやはり私有制が貫徹しているのです。

 これに対して、資本主義的私有制ではない、社会主義社会の「公有」というのは、公的機関が所有するのではなくて、「共同所有」でなければなりません。それは、政府所有であると同時に国民全体の所有でもあるという一種の「共同所有」です。

 そうすると、私有制でない所有制を前提とした市場経済というものが存在できるのか、ということが問題になってきます。社会主義で市場経済を導入するということは、価格を弾力的にして、需給をその価格変動に敏感に反応させることであり、とりわけ企業が価格変動に反応して生産を拡大したり縮小したりすることです。この点では、一般的な市場経済と多くの点で共通していると思います。

 しかしその生産活動は、資本が主体ではなく、企業そのものが労働者の共同所有であるという点が異なります。この時、生産活動に必要なはじめの貨幣が労働者の共同所有なので、それで生産手段を購入し生産し販売すると、それは当然にも企業の労働者全体の共有になります。そこには労働力商品すなわち賃金がないのですから、利潤は発生しません。販売額から原料や設備の減価償却分等のコストをマイナスした部分から、税金・利子・蓄積分などを差し引いた残りは、労働者に配分される労働者所得になります。労働者たちは、この労働者所得をめざして生産活動を行なうのです。

 −−利潤なき企業で労働者所得をめざして生産活動を行なうというのは新鮮な理論ですが、そこにはやはり競争が存在するのですか。

 私有制ではなくて、労働者による共同所有を前提とした企業が、市場経済のなかで相互に競争するということです。しかし、利潤を求めるのではありません。資本主義経済では、労働者は自己の労働力を商品として販売し、その対価として賃金を受け取っているので、商品を生産し販売して得た貨幣額のうち最初の投下額を超過した分は、資本の所有物すなわち利潤となります。これに対して、社会主義的企業で労働者が共同所有する超過分は、基本的には労働者に分配されるものです。そこでは、賃金という概念も払拭されるし、労働力商品は止揚されるのです。

 こうした企業が、需給の変動に敏感に反応する市場機構のなかで、その価格変動に対応しながら、相互に競争することになります。各企業の労働者は、より高い労働者所得を求めて、生産性を高めより効率的に企業活動をすすめるようなります。

 このような市場機構のなかで、労働者の共同所有を前提にした企業が競争する−−理論的には、そういう形しか社会主義的市場経済はあり得ません。価格一つをとっても、国家が中央で管理するということは不可能です。経済規模が大きくなればなるほど、それは不可能になってきます。生産額や価格の問題は、市場経済の機能に任せるのが一番良いでしょう。市場経済を利用しながら、競争するということです。かつての社会主義経済は、そのような競争がないことから、堕落したものになっていきました。そのかわり、企業が資本を主体として競争するのではなくて、利潤のない企業が相互に競争して、ひとつの需給均衡効果が生まれるような社会をつくるということです。資本主義の次に来る、市場経済を利用した社会とは、そういう社会でしかあり得ないでしょう。そうなると、政府の役割は補完的なものになってきます。

 中国の場合も、社会主義市場経済と言うならば、そういう方向にもっていく以外にはないと思います。今のまま進んだら、資本主義経済そのものになってしまいます。しかし、中国では自由化が進んだとはいうものの、企業の状況を見た場合にはまだまだ私有化されているのは一部で、政府が大きな力をもっていますから、改善の余地はあると思います。ただ残念なことに、中国には、私が話してきたような理論がまったくありません。資本主義側の近代経済学者からは、中国には公有制が残っている、公有制は市場経済に適合しない、全て私有制にすべきだ−−と批判されて、中国側も有効な反論ができないという状況になっています。

 −−労働者が共同所有する企業の活動というのは、具体的にはどうなりますか。

 資本主義的市場経済を越えた来るべき社会主義的市場経済というのは、理論的には可能ですが、具体的にどうなるのかという事では、まだ多くの検討すべき問題があります。しかし、たとえば日本企業の生産・経営システムというのは、参考にすることができると思います。労働者が企業を共同所有するということは、企業活動に関する計画・研究・生産・販売・所得分配等々のすべてに労働者が参画し参与するということですから、分業・協業の組織をどうするかという問題があります。この点で、いわゆる日本的生産・経営システムというのは、生産や経営を協調的に行なうという労働管理システムですから、もちろん主体は資本で利潤追求のための競争原理でやっているのですが、企業内部のシステムとしては参考になると思います。

 そして、こういう企業が社会的規模で成立した場合に、株式市場はどうなるのか、金融市場はどうなるのか等々、まだいろいろな問題が出てきますが、将来は世界経済全体が市場経済で覆われるが、そのなかに資本主義もあれば社会主義もある、という世界像が考えられます。これを前提とした場合に、前に話したアジアの共同通貨というものも可能になるかもしれません。

 −−かつてのソ連などいわゆる社会主義の崩壊を総括しようとする時に、政治的な評価だけでなく経済的にどう評価するのか、これが明らかにならないと将来への展望が出てこないというのは大きな問題だと思うのですが。

 中国の場合には、この問題に理論なくして経験的に対処していると思います。ソ連などの経験を見て、市場経済を一度に導入したら大変なことになるというので、部分部分で少しずつ外資を導入したりしています。しかし、これから先はどうなるのかという事になると、明確な理論的指針がありません。中国から来た人と話をすると、これから先は、株式市場も金融市場も導入しますという話が出てきますが、そうなると結局、資本主義とどこが違うのかと危惧します。

 この問題を解決する経済理論の核心は、市場経済一般と資本主義的市場経済との区別、利潤なき企業の競争原理、という点にあると思います。アメリカや日本などの資本主義では利潤がないと企業は配当もできなくなって困りますが、利潤なき市場経済というのは可能だという事が重要です。これらの問題について、近代経済学はもちろんですが、マルクス経済学の陣営のなかでも説明できる理論は、非常に少ないのです。封建社会から資本主義社会への移行の歴史的な過程については論じられても、現実がどうなっているのか、これからどうなっていくのか、についてその理論がどのように適用されるのか、ほとんど明らかにされていません。

 これまで話してきた社会主義的市場経済の理論が、どのように現実のものになるか分かりませんが、これは二一世紀全体にかかわるほどの大きな問題です。いずれにしても、アメリカ中心の資本主義経済に大変革が起きて、その一方で社会主義的市場経済の問題が浮上してくるでしょう。

 −−本当に長時間にわたって詳しいお話をありがとうございました。


たくみ みつひこ/立正大学経済学部教授・同大学経済研究所長。一九三五年生まれ。五八年東京大学経済学部卒業、六五年同大学院経済学研究科博士課程修了。八〇〜九五年東京大学経済学部教授。九五年同大学名誉教授となる。以後現職。著書に『国際通貨体制--ポンド体制の展開と崩壊』七六年、『世界資本主義』八〇年、『世界大恐慌−−一九二九年恐慌の過程と展開』九四年(九七年日本学士院賞受賞)など。

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