連載 ある学徒兵の戦後(11)

             上尾 龍介

2001.820 204


 武装解除を受けた兵隊たちは、無抵抗のまま、方方の施設に収容されたのだったが、そこは学校の教室や、講堂や、武道場などであった。

 戦前の中等学校には「武道」という科目が設けられていて、どの学校にも、そのための「武道場」というものが設置されていた。武道というのは、男子の場合は剣道と柔道、女子の場合は弓道と薙刀(なぎなた)で、全員の必修科目であった。

 これら、学校の施設に収容された兵隊たちは、誰一人として、自分が「捕虜」であるという意識など持ってはいなかったので、至極のんびりした毎日を送っていたし、シベリヤへ送り込まれる、などということは、彼らの想像の領域にみじんも存在していなかったので、毎日が、むしろ楽しくさえあった。

 そこでは軍隊の規律も、すでに絶対のものではなくなりつつあったし、下士官や古兵達の厳しかった眼光も、日に日に穏やかなものに変わっていくのが感じられる日々であった。

 最下級の初年兵にとっては、この収容施設の中での日常は、入隊以来ただの一度も経験したことのない安堵と和らぎに満ちたものであった。

 このような日常の感覚は、僕たち初年兵だけでなく、古兵達にしても、もしかすると将校達にしても、恐らくは同様であったのかも知れない。

 もう戦闘はしなくてもすむのだ 。家へ帰れるのだ。

 という思いが、共通項として、この時の収容施設の中のすべての兵士たちの心を満たしていたのではなかったろうか。

 それは、俺はとうとう生き延びた。もう死ななくてもよいのだ。という、人間としての絶対の喜びであったように思われる。

 だが、このわずかな平安の直後に、近代の戦史の中でも稀にみる残酷な運命が、全員の上に訪れようとは、我々の誰一人として想像することはできなかった。

 その恐怖の運命は、我々が、この収容施設を後にして、ほんの三カ月とは経たぬ間に、突如として襲いかかって来たのだった。

 厳しい労働の間に、いつしか襤褸(ぼろ)と化していた薄い着衣の兵たちの痩せた体を、零下三十度に達する寒気は、その骨の芯まで刺し透した。

 それは恐るべき飢餓地獄であった。

 伐採現場の雪深い山の傾斜から収容所の丸太小屋まで辛うじてたどり着いた兵隊達は、そのまま倒れ込んで、起き上がる余力を誰も残してはいなかった。誰も死んだように眼を閉じたままであった。眼を開けているためには、かなりのエネルギーが彼らには必要であったのだ。

 それは、後日述べるであろうように、まぎれもない地獄の一つの様相であった。

 第二次大戦の広大な戦線の局所局所には、凄惨な此の世の地獄が、幾カ所かで繰り広げられたが、それらは形は違っていても、地獄という一点に関して言うならば、どれも共通したものを持っている。



 君は耐えられるか

       上尾 龍介


再び浮上することのない
小潜水艇の闇の中で
幾度も把手を廻し
エンジンに耳を当て
凍ってゆく心
天を仰ぎ
父を呼び 母を呼び
叫び 泣き
壁を叩き
息絶えた
若者の最期の時に
君は耐えられるか

松の芯を燃す暗い灯り
燃えるペチカ
黒ずむ煤
尿便の匂いこもる
伐採の丸太小屋に
もの言う者もない
兵士たちの飢えた夜
止まることのない下痢
汚物の匂いしみる毛布の中で
再び立つこともなく
うつろに死を待つ
若者の窪んだ眼
酷寒の捕虜収容所の
死に絶えていく時間との同居に
君は耐えられるか

敵が迫れば
戦って死ねと
手渡された
重い手榴弾

撤退する本隊
倒れながら
銃を引きずり
松葉杖の兵は
後を追ったが
ジャングルは篠つく雨

椰子の葉の小屋に
しずく垂れ
音もない山蛭の這う竹の病舎

米粒のような
傷口の蛆を取りながら
父と耕した山畑を想う
足のない兵士

繃帯の下に
今は眼さえ持たぬ若い男は
手榴弾を胸に抱いて
ふる里の遠い海鳴りを思った

打捨てられた野戦病院
風騒ぐ熱帯の闇
生の終焉を凝視する
年わかい病兵たちの
凍ってゆく時間の重さに
君は耐えられるか

そこだけがわずかに明るい
燈火管制の
夕餉の膳に
親たちは冷えた湯を呑み
病床の祖母さえも
湯だけを呑み
卓に置かれた
ひと切れの細い芋
戦いの日々の
絶え間なく襲う飢えの時間に
君は耐えられるか

いま近づく戦いの足おと
国際協力 国際貢献などと
現代の装いをこらした
破滅へのスローガンが
ニュースの画面を走り
音もなく響いてくる
むかし聞いた にがい言葉
東洋平和 一億一心

過ぎたむかし
町にも村にも 学校にさえも
声の大きな
“愛国者”がいて
熱い言葉が溢れ
遮られていった醒めた言葉

だが君よ
野に咲くとりどりの花のように
木々に囀る鳥たちのように
今日を豊かに生きることのほかに
何の幸せが地上にあろう

いま近づく戦いの足おと
暗い予感立ちこめる
街角に立って
熱風に灼かれて過ぎた日々の痛みを
誰に語ることもなく
手をこまぬいて今を生きることに
君は
それでも耐えられるか



※この詩は、一九九三年八月三日に広島市のアステールプラザ大ホールでひらかれた、「反帝平和・原水爆禁止・国際連帯 八月広島集会」で作者自身がよみあげて発表したものです。


かみお りゅうすけ/九州大学名誉教授

  連載一覧へ  トップページへ