焦点 九月十一日以来のドイツ政治情勢

                エーリヒ・ミューサーム

2001.12.20 208  


 イラク攻撃に反対するドイツのデモ 


 ドイツの政治情勢は、九月一一日以降に「ドイツ社会民主党」(SPD)と「緑の党」からなる連立政府がとった政策により一変した。アメリカの要求を受け入れて、アフガニスタンに連邦国軍を派遣することを含めてアメリカの「反テロの闘い」を積極的に支持すると同時に、国内でも「反テロの闘い」という名目で様々な措置が講じられている。

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 まず、アフガニスタンに対する連邦軍派遣をめぐる問題について話そう。

 ドイツ政府はSPDのシュレーダー首相や「緑の党」のフィシャー副首相兼外務大臣の主導で、アフガニスタンに派兵することを決め、連邦議会にこれを諮った。これに対しては与党内部にも反対の声があったが、野党四党の中で当初反対の姿勢を示していたのは、旧ドイツ民主主義共和国(DDR)の「ドイツ社会統一党 (SED) 」の流れを引き、現在でも旧東ドイツ地域で強い影響力をもつ「民主社会主義党 (PDS) 」だけであった。他の野党であるキリスト民主同盟( CDU) 、キリスト社会同盟 (CSU) 、自由民主党 (FDP) は派兵支持に回ったので、派兵決議は難なく行われると見られていた。

 しかしここでシュレーダー首相は、来年行われる総選挙での勝利を目指した行動に打ってでた。SPD党内での自分の地位を強め「緑の党」の影響力を弱めるために、アフガニスタンへの派兵に関する投票を信任投票と結びつけたのだ。この結果、派兵に関する問題がSPDと「緑の党」から成る連立政権の存続問題にすりかわってしまい、当初派兵に賛成していた野党が反対に回る姿勢を示し始めた。そのために、派兵に関する法案(=信任案)可決に必要な議員総数の過半数にあたる賛成票が得られるかどうかは、SPDと「緑の党」の議員一人ひとりの決定にかかることになったわけだが、前述のように、両党の複数の議員が派兵に反対することを公表していたので、連立政権が存続の危機にたたされた。

 ここでフィシャー外務大臣をはじめとする「緑の党」内の派兵賛成派の議員が、反対派の議員の説得に乗り出した。反対派の内八人の議員は派兵に賛成することには強固に抵抗したが、同時に連立を続けていくことには賛成していた。この事態を受けて、「緑の党」の中で次のような打開策が練られた。

 信任投票(=派兵投票)において「緑の党」から五票以上の反対票が出ると連立解消となる。したがって、連立の存続のためには反対派議員八人の内、最低四人が自分の信念にそむいた投票をする必要があり、また実際にそのような結果となったのである。つまり、派兵に反対した「緑の党」の議員は四人にとどまり、派兵が決議されると同時に連立政権も存続することとなった。

 八人の議員の中で誰が反対に回り誰が賛成に回るのかをどうやって決めたのかは定かでないが(じゃんけん?)、議員のこうした行動を見せつけられた若者は、例外なく政治は儀式に過ぎないと捉えたことだろう。連立政権を存続させることが最重要課題であったのなら、「緑の党」の反対派八人全員が派兵決議(=信任投票)に賛成するのが筋だったといえよう。

 議会がSPDと「緑の党」の賛成で派兵決議をしてから数日後、「緑の党」の臨時大会が開かれ、ここでもフィシャー外務大臣は、連邦軍をアフガニスタンに派遣する問題をSPDとの連立政権の存続に結びつけて、議会の決議に反対することは政権を放棄することだと主張した。これを受けて大会は、SPDとの連立を続けるために、アフガニスタンへの派兵を三分の二の賛成で承認した。大会の場では連邦軍の派遣を批判する声もあがったが、その内容はといえば、クラスター爆弾は使わないでほしいぐらいのものであり、参戦を全面的に批判した声は少なかった。

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 ここで「緑の党」の歴史と現在の情勢を簡単に説明しよう。

 この政党は、主に一九八〇年代の反原子力運動や反戦運動、環境保護運動といった市民運動から生まれた。これらの運動に参加していた共産主義者や無政府主義者などの左翼の様々なグループも、「緑の党」が政党として成立した後に、これに加わった。当初、「緑の党」のほとんどの党員は自分の政党を「原理的な野党」と考え、州政府や連邦政府のレベルでは一切入閣しないことにした。また、長い間「絶対的な反戦主義」が「緑の党」の思想の柱だった。一方、「原理派」に反対する「現実派」も存在し、自分たちの政治的目標を達成させるためには、妥協して政権にも加わる必要もあることを強調してきた。

 時間とともに「原理派」の党内基盤は弱まり、同時に党の「反戦主義」も衰退してきた。一九九八年に「緑の党」とSPDの連立政権が誕生し、「緑の党」がはじめて連邦政府に入閣したが、数カ月後の一九九九年の春、この連立政府がNATO(北大西洋条約機構)のセルビアに対する空爆決議を受け入れて、参戦することを決定したのである。

 その時「緑の党」の指導者は、セルビアはNATOが定めた活動地域内にあるし、空爆は認めるが陸軍の派兵は認めないというように弁明したのだが、アフガニスタンの場合には、このような弁明も通用しないだろう。

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 情勢はさらに悪化する可能性が高い。それはドイツ政府がアフガニスタン以外にも連邦軍を派遣することができるかどうかを検討しているからだ。

 先に述べた議会の派兵決議は派兵先をアフガニスタンに限っていたが、特別奇襲部隊の派兵には議会の承認は要らないという考えを政府は示した。なぜなら、奇襲部隊の活動を前もって公的に討論するなら、その活動はもはや奇襲とはいえないからである。現在、奇襲部隊をソマリアに派兵することが連邦議会で議論されている。

 ただし、ドイツの最高裁判所である連邦憲法裁判所は、アフガニスタンへの派兵を合憲と判断した一方、他の国への派兵には議会の新たな決議が必要だという判決を下している。また、奇襲部隊の派兵については例外的には議会の事前の決議が要らない場合もあり得るが、その場合でも事後承諾は不可欠だとした。

 最近ドイツでは、アメリカがイラクを攻撃する計画をもっていることに対して懸念が高まっている。国際法の専門家の中では、連邦軍はこのような戦争には参戦できないといった意見があるものの、ドイツが戦争に巻き込まれる可能性は少なくない。

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 次は、政府がドイツ国内で「反テロ闘い」との名目で講じた措置について簡単に話そう。

 まずパスポートには、新たに所有者の人体的特徴を記録するという法律が定められた。人体的特徴が指紋になるのか手の形あるいは目の虹彩の形なるのかはこれから決められる。

 また、連邦刑事局は、これまでは州の刑事局の承諾が必要だったデータの収集を直接できるようになった。もともとは内務大臣が、容疑がない場合でも捜査する権限を連邦刑事局に与えるという計画をたてたものだが、反対が強くてできなくなったという背景がある。さらに、銀行や電話会社は連邦憲法擁護庁という、国内で情報を収集する秘密情報機関にデータを提供しなければならないことになった。以前は国外での捜査活動に特化していた連邦情報局という秘密情報機関は国内でも捜査ができるようになったし、捜査の結果を警察に通知することも合法化された。

 このように、警察による捜査と情報局による調査の間に従来あった高い壁が低くなり、秘密警察が誕生する恐れが強くなった。外国人の指紋を取る計画もある。日本では最近ようやく外国人からの指紋の採取がなくなったところであるのに、ドイツではそれを導入することが検討されているのである。

 このように、今年の九月一一日以降、ドイツ政治情勢は激変した。


福岡市在住・大学教員

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