焦点 検証・有事法制関連三法案
    −露呈した軍事法制としての正体−

               纐纈 厚

2002.5.20 213


 有事法制廃案を求める6万人集会・東京

 去る四月一六日、有事関連三法案(武力攻撃事態法案・安全保障会議設置法改正案・自衛隊法改正案)が閣議決定され、国会への提出後は国会に新しく設置された有事法制特別委員会(正式名称「武力攻撃事態への対処に関する特別委員会」、委員長・瓦力元防衛庁長官)の場で審議される予定だ。

 筆者は、本誌の先月号において、法案が閣議決定される前に明らかにされていた概案の段階で批判を行った。概案と今回閣議決定された法案とはほぼ合致しているが、ここでは閣議決定された有事法制関連三法案を改めて検証することで、同法を批判していく議論の一助としたいと思う。

 剥き出しの軍事法制

 今回、閣議決定された有事法制関連三法案を一口で言えば、剥き出しの軍事法制としての本質を遺憾なく発揮していることだ。有事法制整備は、自衛隊創設以来の一貫した自民党政府・防衛庁の宿願であり、今日の有事法制の原点である三矢研究の国会暴露事件(一九六五年)にも拘わらず、一九七八年一一月、福田赳夫内閣期に有事法制研究の公然化が行われるに至った。

 それ以来、有事法制研究が本格的に進められ、米ソ冷戦の終焉以降、日米安保のアジア化・世界化(グローバル化)という新情勢のなかで、自衛隊はアメリカの軍事戦略に完全に組み込まれていった。つまり、自衛隊はアメリカ軍との軍事共同作戦に適合する自在な軍事行動が早急に求められることになったのである。それで、周辺事態法からテロ特措法、さらに、今回の有事法制関連三法案は、自衛隊の軍事行動の円滑化を図る目的を実現するために準備された軍事法制として、次々と登場してきたのである。この点を最初に繰り返し明らかにしておきたい。

 従って、小泉首相の「備えあれば憂いなし」と言った単純な理由づけから整備されようとするものでは決してない。実際には、自衛隊がアメリカ軍と連動して自在な軍事行動を可能とするために、軍事的かつ民事的なあらゆる危機に、取り敢えず「備える」という口実で、いわば危機管理論的な雰囲気を追い風に、一気に軍事法制を仕上げようとするものなのである。それは、日本をして平和国家から戦争国家へと大きく転換させるものであることは明らかだ。

 大切な視点ゆえに繰り返すが、危機対処というならば、すでに大規模地震特別対策法や災害対策基本法のような民事法のなかに幾重にも用意されているはずだ。今回の法案が「武力攻撃事態」に対処するものではなく、逆にそれを口実に「武力攻撃事態」が発生する「予測」や「おそれ」があると判断された段階から、いち早く戦時体制へ切り替えていく法律として法制化しようとしているのである。まさに、有事(=戦争)に「備える」ためではなく、「仕掛ける」ための法整備と指摘できよう。

 今回の包括法案は、当初、“国民平和安全法”など、比較的穏当な名称がつけられると予測されていた。しかし、その予測と全く異なって、「武力攻撃事態法」案という、意外なほど強面の名称を冠して提案された背景には、政府・防衛庁が国民の間に同時多発テロ事件や不審船事件などを通して、危機認識が広まっており、そのような名称でも拒絶感が小さいとの判断があったからであろう。国民の軍事アレルギーが相当程度に解消されたと判断したのである。そこから、同法案が正真正銘の軍事法制法案であることを必ずしも隠そうとしていないのではないか、と見ることも出来る。何れにせよ、有り体に言えば、現行憲法の平和原理を正面から否定しようとする挑発的なスタンスを採用したと言える。

 近代国家の特徴としての国家緊急権の思想が、有事法制関連三法案の根源に存在することは明らかだが、ここには「国家の危機」に対処するのが国家の最高の役割とする考えが横たわっており、それは国家至上主義の危険な思想の発露としてある点も注意しておきたい。その国家至上主義と軍事主義を受容する世論の動向に、今回の三法案はタイミングを合わせてもきたのである。

 「武力攻撃対処」法でなく“戦争仕掛け法”

 先ず、「武力攻撃事態法」案を見ておくが、同法案の最大のポイントは、第一章第二条(定義)の二項=「武力攻撃事態 武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう」の点にあろう。そこでは、意図的に創意された「おそれのある場合」「予測されるに至った事態」という多様な解釈を許す曖昧な規定を明記した結果、政府による恣意的な「事態」の判定に事実上白紙委任する内容となっている。

 つまり、白紙委任の危険性が法制化されようとしているのである。これでは政府の裁量権を無限に認めさせる結果となり、「事態」(=有事・戦争)の恣意的な解釈により、何時でも、何処でも自衛隊がアメリカ軍と共同して軍事行動を起こせる事になってしまうのである。それで、「武力攻撃事態法」案でいう「武力攻撃事態法」とは一体どのような「事態」を示しているのだろうか。この点について参考となるのは、武力攻撃が予測される事態について、政府は去る四月八日に、与党各党に対し、「自衛隊法第七七条の防衛出動待機命令が発動されるような事態」と説明していることである。

 つまり、「有事」が現実化しておらずとも、その「予測」や「おそれ」があると認定されれば、自衛隊が一定の軍事行動に入れるとして、「事態」の解釈の幅を無限に拡大する考えであることを事実上明らかにしているのである。実際、ここで語られた「予測」や「おそれ」という曖昧模糊とした用語が本法案に登場することになったのである(第一章 総則 第二条第二項)。

 また、これと前後して、有事法制は日本本土への直接攻撃を想定した備えという内容だが、中谷防衛庁長官は四月四日の衆議院安全保障委員会で、「日本への直接攻撃ではない、朝鮮半島など日本周辺での周辺事態でも適用することがある」との姿勢を表明している。要するに、同法案が周辺事態法やテロ特措法と深く連動したものであり、アメリカ軍が主体として認定する周辺有事にも呼応する形で発動されることを宣言しているのである。

 「日本有事」の主役は自衛隊だが、これと密接不可分の関係にある周辺事態法は「アメリカの有事」を想定しており、当然ながら主役はアメリカ軍であること、従って、中谷防衛庁長官の「周辺事態適用論」からすれば、「武力攻撃事態への対処」は事実上アメリカ軍支援を意味するのである。既に存在する有事関連法との絡みからすれば、対米支援法としての機能を孕み込み、そのような構造として位置づけられていることに注意を向けるべきであろう。
同法案のなかでもう一点注意しておきたいのは、その治安立法としての側面である。

 すなわち、第二条(定義)の第六項(対処措置)における「イ 武力攻撃事態を終結させるために実施する次に掲げる措置 (1)武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動」という箇所である(下線筆者)。「その他の行動」とは、一体何を意味しているのか。自衛隊の国内外での軍事行動を阻害する要因として政府・防衛庁はあらゆる想定を進めているが、ここでいう「その他の行動」が反戦平和活動や政党や市民団体の諸活動をターゲットとしていることは充分に考えられることである。そのことは、軍事法制が、治安弾圧立法としての機能をも要請されることからくる必然的な条文内容と言える。

 つまり、「武力攻撃事態」には、自衛隊の治安出動をも視野に入れられていると見ておいた方がよいということである。そのような軍事法制としての有事法制が発揮するであろう言論の自由への抑圧的性格に厳しい目を向けることによって、この種の立法行為が市民的自由や言論の自由との非共存性について捉え返す機会としておきたい。

 露骨な市民的自由と人権への抑圧法

 もう一つ、今後重大な論点とすべき項目がある。同じく第二条第六項における「ロ 武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するため、または武力攻撃が国民生活及び国民経済に影響を及ぼす場合において」実施する措置として掲げられている「(1)警報の発令、避難の指示、被災者の救護、施設及び設備の応急の復旧その他の措置」の箇所の意味である。

 一読すれば解るように、これは従来防衛庁が進めてきた有事法制研究の分類で言う第三分類(所管省庁が明確でない事項に関する法令)に相当するもので、市民生活に直接に関わる事項だけに法制化が先送りされてきたものである。同法案で明確に規定されたことは、ここで網羅された事項が今後、個別法の形式により次々と法案化されていく決意を政府・防衛庁が示したものと受け止めるべきであろう。それは文字どおり、戦時体制を市民生活のなかに持ち込もうとするものだ。

 政府・防衛庁は、政局が混迷するなかでも、着々と市民的自由を制限し、人権を侵害する可能性の高い法整備に向けて足場を築こうとしているのである。「武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するため」とする文言とは裏腹に、有事法制によって国民の安全と平和が本当に確保されるのか、それが国際平和に寄与するものなのか、あらためて疑問とせざるを得ないのである。

 その他にも、国(政府)と地方自治体との関係において地方自治の原理が破壊され、軍事・外交領域における国家の独占状態が常態化し、最終的には戦争国家の構造が出来上がっていく内容を、第四条(国の責務)、第五条(地方公共団体の責務)、第六条(指定公共機関の責務)、第七条(国と地方公共団体との役割分担)、第八条(国民の協力)の各条文において読み取れる。

 ここでは戦争国家日本の創出に適合する国(政府)と地方自治体、あるいは国(政府)と地方自治体住民との関係が、極めて強力な権限を媒介として「動員する側」と「動員される側」に明瞭に二区分され、命令と従属の関係が法的に確保されようとしている。本来、戦後の地方自治が確立されていったのは、戦前期の戦争動員体制を敷くために強度な従事命令権を確保した中央政府の一元的な権力機構を相対化し、二度と戦争動員体制を確立させないために地方自治体への権限委譲という方向性が求められたことにあったからである。

 その意味では言えば、第四条から第八条における条文の内容は、明らかに地方自治の理念をも否定するに等しい内容と言える。地方自治の活性化が地方自治体住民の安全と平和の基礎であり、それこそが市民的自由が確保される市民社会の基盤であったはずである。それが、このような条文によっても形骸化されようとしているのである。

 新軍部の登場を許して良いのか

 次に、「安全保障会議設置改正法」案は、安全保障会議の権限拡大、ひいては内閣総理大臣の指示権の拡大が露骨に示された内容となっている。「武力攻撃事態」の緊急性や軍事的専門性を口実に、国会の権限が著しく狭められ、国会や国民が蚊帳の外に置かれた状態でアメリカ軍との軍事共同作戦に入る可能性が一挙に増大したと捉えられる。

 ここでの最大の問題は、防衛庁制服組の安全保障会議における役割増大である。同法案の「提出理由」には、安全保障会議強化の主要な一環として「議員の構成を見直し」、同会議の議長でもある内閣総理大臣が構成員を任意に選出することを可能とする。

 そこでは検討される内容からして軍事専門家としての制服組への依存は不可避となろう。これは、「武力攻撃事態法」案で示された「武力攻撃事態」対処を目的とする「対策本部」の構成員についても同様であり、制服組は安全保障会議と対策本部の両方において内閣総理大臣の事実上の“幕僚”としての地位を保証される結果となることは間違いない。その意味では、「武力攻撃事態」の判断や軍事的安全保障政策を確立していくうえで、今後とも制服組の役割期待が増大せざるを得ない法的構造を用意するものとしてある。

 最後に、「自衛隊法改正」案を見ておくと、ここでの問題は、従来事実上凍結されてきた自衛隊法第一〇三条(動員規定)の解凍が意図されていることである。つまり、自衛隊が「武力攻撃事態」への対処であれ、アメリカ軍との軍事共同作戦であれ、部隊の行動を円滑に進めるためには、その条件として人的かつ物的動員の自在化が不可欠であることは、純軍事的な見地からすれば焦眉の課題である。

 そのために防衛庁・自衛隊は、今回の「自衛隊法改正」案で例えば、「第一〇三条第一項または第二項の規定による取扱物資の保管命令に違反して当該物資を隠匿し、毀棄し、または搬出した者は、六月以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処する」(第一二五条)とする罰則規定を設け、軍事行動に不可欠な人的物的動員を「懲役」の文言まで用いて円滑化しようとするのだ。

 確かに、有事法制(=戦時法制)は、本来的には、罰則規定を必ず用意するものであって、国民の自発的かつ積極的な支持を確保できない場合でも強権発動による戦争動員体制を敷く準備を進めておくのが純軍事的な見地に立てば合理的な判断である。そのことを逆から見れば、これら罰則規定によって強制動員を図ろうとすることは、自衛隊法第一〇三条が戦争目的の達成を射程に据えた国家総動員への具体的な第一歩であることを示していることになるのである。

 勿論、そこで問われるべきは、純軍事的な合理性から不可避的な法案であったとしても、平和憲法を根拠として戦争という国家暴力に依存しない平和国家の途を選択したはずの我が国にあっては、そのような法案は、明らかに平和憲法の放棄、あるいは非武装中立政策の自己否定を意味する。我が国は、非暴力を貫くことで国際政治の場で信頼を勝ち得ることを戦後の歩みの大前提にしてきたことを、同法案は全面否定するものであって、そのような政策判断は決して許されるものではないのである。

 私たちは、改めて戦後平和国家日本の内実を検証し、平和憲法の原点に立ち返りつつ、平和国家の再構築に全力を傾注しなければならない。


こうけつ あつし/山口大学教員

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