焦点 基地の島の苦悩と有事法制
    −日本復帰三〇年目の沖縄−

              前泊 博盛

2002.6.20 214


 日本復帰30年目の沖縄平和行進


 沖縄が日本に復帰して今年五月一五日で、三〇周年の節目を迎えた。復帰後と復帰前を比較し、沖縄はこの三〇年間で、何が変わり、何が変わっていないのか。改めて検証してみた。

 いま日本中で、有事法制をめぐる論議がかまびすしい。小泉内閣が提案した「安全保障会議設置法改正案」「武力攻撃事態対処法案」「自衛隊法の改正」の有事関連三法案は、明らかに平和憲法の形骸化をももたらす危険な法案である。しかし、メディアをふくめ、法案に対する危機感の希薄さが非常に気になる。

 二〇〇一年九月一一日の米中枢同時多発テロ事件を契機に、日本政府は自衛隊の海外派兵を可能にする対米支援法を制定し、いまなおインド洋上での米英艦船への補給活動を中心に、軍事活動への支援を展開している。

 有事法制論議は、なぜ米国がテロの標的となったのか、タリバンやアルカイダはテロの実行犯なのか、など多くの疑問の解明を棚上げに、米国の世界戦略の失政を糺すこともなく、参戦していく小泉政権の危うさ、そしてその背景にある外務省の外交能力の欠如ぶり。これは瀋陽の日本大使館事件でいみじくも世界の知りえるところとなってしまった。

 対米追従型日本政治の危険性は、対米支援法の制定で、ルビコンを渡り、有事法制の制定で戦争への道を閉ざしてきた「日本国憲法」という名の平和の防波堤を破壊し、武力行使による市民の虐殺への加担を実現しようとしている。

 復帰後三〇年間、そして復帰前の二七年間を米軍とともにある沖縄は、日米関係の危うさを嫌というほど味わわされてきた。 
 
 対米追従と沖縄問題

 本土復帰前の米軍統治下の沖縄は、米軍による「銃剣とブルドーザー」で、敗戦後残された唯一の生産手段の農地を破壊され、住む土地や産業用地を奪われ、「極東最大」の巨大な米軍基地建設にマンパワーが向かうよう仕向けられ、日本が一ドル三六〇円時代に沖縄だけが一ドル一二〇円の米軍票「B円」による極端な円高通貨政策(一九四八年〜五八年)を投入され、米軍設立の中央銀行・琉球銀行による商取引と民間投資の総量規制、会社設立の許可制など、日本本土とは異なる経済システムの導入により民間活力は殺がれ、ベンチャー精神は抑圧され、基地建設と財政・公共事業に依存する依存型経済構造を構築されてしまった。

 復帰後、沖縄統治は米軍政から日本政府に移った。しかし日本政府も復帰特別措置や沖縄振興開発特別措置法の制定、同法に基づく高率補助による社会資本整備、「自立的経済発展のための基礎条件整備」と「本土との格差是正」という政府自らが掲げた「沖縄振興の二大目標」を、三〇年の歳月と振興開発事業費だけでも六兆二〇〇〇億円、沖縄関係予算全体では総額一一兆円超の国費の投入、国務大臣を戴く専任官庁「沖縄開発庁」をもっても到達できず、沖縄はいまなお復帰前と同じ「低所得、低貯蓄、高失業、高借金、高依存」の依存型経済のまま。むしろ、逆に経済自立の「内発エンジン」と期待された製造業は復帰後衰退し、県民総生産比率に占める製造業比率は復帰時の一〇・九%から九九年には五・七%と半減し、財政依存度は復帰時の二三・五%から九九年には三三・一%に上昇している。

 目標不達にも関わらず、政府は「格差是正」を柱とする「復帰プログラム」の終焉を宣言。二〇〇一年一月には省庁再編に紛れて「沖縄開発庁」が廃止され、復帰三〇年の二〇〇二年には、長期不況による財政難を背景に、過去二度延長された「沖縄振興開発特別措置法」を大幅改定し、公共事業型から「脱開発型」と「官から民主導への転換」などを合言葉に従来の法律名から「開発」を削除した「沖縄振興特別措置法」を制定している。

 政府の新しい「沖縄振興開発特別措置法」のキーワードは、あえて逆から挙げるが「連携と交流」「選択と集中」そして「参画と責任」。それは「アジア・太平洋地域との連携・交流=日本政府の手に負えないからアジアに救いを求めろ」「県内地域間の連携・交流=市町村合併の推進と公共施設の相互利用で公共事業費の節約を」「優先すべき課題を選択し、できる限り集中的な取り組みを=ばら撒き予算はもうしないし、できない」「自立型経済の構築には何よりも沖縄の経済界や県民を中心とした前向きかつ責任ある取り組みが必要=失敗したら責任は県民に」と解することもできると、政府との協調路線をとる稲嶺恵一知事率いる沖縄県政の首脳たちすら警戒している。

 安保維持装置としての沖縄振興策

 政府の沖縄振興開発審議会の委員も務める琉球大学の大城常夫教授は「復帰後三〇年経過したが、産業構造、財政依存構造は変わらず、復帰特別措置の継続を求める意識構造も変わっていない。政府もヌ格差是正ネ自律的経済発展の基礎条件の整備を振計の目標としたが、政府はネの目標達成を図る政策体系も、意欲もなかった」と総括。「復帰後の沖縄復興策は日米安保の安定的運用維持装置であり、自立経済構築の装置ではない」と断じている。

 復帰後、確かに基地依存度は低下したが、それを補う形で展開された政府の「開発行政」で集中投下された六兆円を超す莫大な公共事業費は、沖縄県民の依存マインドを醸成し、復帰前の米軍統治時代も含めて「施し経済」にどっぷりと浸からせてしまっている。

 しかも開発庁廃止後に内閣府に移った沖縄振興政策は、普天間基地移設問題と北部振興策にみるように「安保維持と地域振興策のリンク」を露呈し、安保維持装置としての正体を曝け出している。それにも関わらず、基地と引き換えに振興策を求める「物乞い」体質が、いま沖縄県民の誇りと自立経済への稀有な気概すらも蝕みはじめている。

 政府の「安保維持政策」としての沖縄振興策は、復帰後も減ることのない在沖米軍基地の現状をみる限り、見事に成功しているともいえる。

 日米安保に基づく在日米軍専用施設の七四%が沖縄に集中し、日本駐留米軍の大半が沖縄に常駐し、極東のみならず世界各地への米軍派兵の最前線重要基地としての地位を高め続けている。

 米軍統治下での二七年間、二万件を越す駐留米軍の凶悪事件・重大事故の辛酸をなめさせられてきた沖縄は、日本国憲法の庇護を求め続け、三〇年前、ようやく日本への施政権返還を実現した。それが日本復帰であった。しかし、復帰後も米軍事故は減ることはなく、米兵犯罪は殺人やレイプなど凶悪事件をふくめ五千件を超えている。事件のたびに日米両政府は「再発防止」を繰り返し約束してきた。事件・事故の抜本的解決策として沖縄県民が求める「日米地位協定」の改定には、日米両政府とも応ずる気配すらない。

 戦後五七年が過ぎようとしているが、日米関係は「良好なパートナーシップ」では決してない。それは自国内で犯罪を犯す米兵を逮捕できず、身柄も取れず、年間五千億円を超える駐留経費の負担を強いられ続けるという「占領国と被占領国」の関係である。日米安保の持つ片務性と平時における軍事被害を背負わされ続ける沖縄の現状が、その証左であろう。

 復帰三〇年を経て、沖縄から日本へのメッセージがある。旧日本軍沖縄守備隊幹部の「軍隊は国民を守らない」という言葉である。日本兵による住民虐殺もふくめ一〇万人余の命を奪われた五七年前の沖縄戦が残した教訓だ。それは、平時における米軍、そして自衛隊も同じだ。国民を敵とみなす軍隊の体質は、防衛庁の情報公開請求者に対する「個人情報調査事件」でもいみじくも明らかになった。

 平和憲法が封じ込めた「危険な軍隊」を、再び蘇らせる有事三法案は、悪魔を閉じ込めた「パンドラの箱」をこじ開ける「戦争へのカギ」である。

 「恐れず、ひるまず」「聖域なき改革」を標榜する小泉純一郎首相がなすべきは、米国を恐れず、軍隊にひるまず、基地問題を聖域とせず、沖縄県民を悩ませる駐留米軍隊の事件・事故の完全防止と不平等な地位協定の改定である。

 平時にすら国民を守れず、国民に被害を与え続ける日米安保を改善できず、国民を信頼せず、国民にも信頼されない自衛隊・防衛庁、非核三原則撤廃など問題発言を繰り返す閣僚の統制・制御すらできない首相のあなたには、残念ながら「有事」を語る資格はない。


まえどまり ひろもり/沖縄県在住・新聞記者

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