国家体制再編めざす教育基本法改悪

                   小森 陽一
2002.8.20 216


 教育反動化に反対する教師たち

 二〇〇一年一一月二六日に、遠山敦子文部科学大臣から「新しい時代にふさわしい『教育基本法』のあり方について」諮問された中央教育審議会(以下、中教審)は、その具体的な答申の一つとして、「奉仕活動の義務化」を打ち出した。義務教育段階で「奉仕活動」をいわば必修化し、内申書に記載する形で競争をあおっていこうとする方針である。

 「義務化」された「奉仕活動」は、もはや「ボランティア」ではない。「ボランティア」とは自ら進んで社会事業などに無償で参加する者のことであり、それを学歴社会を上昇していくための道具にする者の意ではない。けれども「ボランティア」(volunteer)の原義には、「志願兵」「義勇兵」の意味があることも忘れてはならない。

 二〇〇〇年九月一八日付で、当時の森喜朗首相に対し「新しい教育基本法への六つの提言」を出した「新しい教育基本法を求める会」は、第四の提言「国家と地域社会への奉仕」の冒頭で「国家の安全を確保」することを強調したうえで、「普通教育(小・中・高校)の児童・生徒には、国家・社会に対する奉仕活動を通じて、共同体に属する自己の存在と使命を発見させることが望まれます」と述べられている。

 中教審の答申は明らかに「新しい教育基本法を求める会」の論理と一致している。

 岩手県立大学長の西澤潤一氏を会長とする「新しい教育基本法を求める会」は、事務局長の高橋史郎氏をはじめ、坂本多加雄学習院大学教授、西尾幹二電気通信大学教授など、代表委員のかなりのメンバーが、過去の戦争と植民地支配を美化した「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物と重なっているのだ。

 彼らの考え方は、「伝統の尊重と愛国心の育成」という第一の提言に、はっきりとあらわれている。「古来、私たちの祖先は、皇室を国民統合の中心とする安定した社会基盤の上に、伝統尊重を縦軸とし、多様性包容を横軸とする独特の文化を開花させました。教育の第一歩は先ずそうした先人の遺産を学ぶところから発しなければなりません」。つまり、あらためて天皇=「皇室」を「中心とした「国民統合」のシステム、「国民」の気分・感情を天皇に吸い上げていく機構と精神動員の装置として、学校教育を再編成しようとするところに、「教育基本法」改悪の中心的なねらいがあるのである。

 武力攻撃事態三法案との関連で考えるなら、アメリカと同じ戦争を対等にやれる、「戦争をする国家」づくりのための、教育再編を行うねらいが、「教育基本法」改悪にはっきりとあらわれているのだ。

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 「教育基本法」改悪の動きの最も許しがたいところは、九〇年代から現在にわたって起きつづけている日本社会の構造的腐敗、とりわけ政権政党の政治家、彼らと結びついた企業や銀行、警察や医療機関の要職者、高級官僚たちの組織ぐるみの堕落の責任が、あたかも「学校教育」や、「教育基本法」にあるかのように描き出している点だ。

 先にふれた「新しい教育基本法を求める会」の「国家と地域社会への奉仕」という項目の後半では、次のように述べられている。「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々が増えれば、公・私関係の調整に困難をきたし、ひいては国民経済の地盤沈下、諸外国との協調関係の崩壊を招くことになりかねません」。これが「教育基本法」で重視されている「個人の価値」や「自立的精神」をおさえこもうとする理由なのだ。

 これほど盗人猛々しい論理のすりかえはない。「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々」とはスズキ・ムネオに象徴されるような、自民党の利益バラマキ型の政治家であり、それに追随した高級官僚とおこぼれにあずかろうとした企業の大人たちではなかったのか。

 「公・私関係の調整に困難をきたし」「国民経済の地盤沈下」を招いたのは、バブルを崩壊させ、そのあとも有効な経済再建政策を出せない、歴代自民党内閣と銀行や大企業の首脳たちであり、その後の連立与党ではなかったのか。

 そして、「諸外国との協調関係の崩壊」を招いたのは、靖国公式参拝をつづける小泉純一郎首相や石原慎太郎都知事であり、彼らが支援する「新しい歴史教科書をつくる会」の、侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題だったことはあきらかである。

 こうした日本社会のトップに立つ大人たちの集団的モラル・ハザード(倫理の欠如)を隠すために、「学校崩壊」や「学力崩壊」そして「いじめ」キャンペーンが行われ、「一七歳」をはじめとする子どもたちを世代敵(ジェネレーション・エネミー)のようにマスコミは描きだしてきたのだ。

 「教育基本法」にその当初から攻撃をかけ、その十全な運用を阻んできた政治勢力の責任を押し隠すために、反教育・「反教育基本法」報道は機能してきたのであり、ジャーナリズムの責任は極めて重大である。

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 ではなぜこれほどまでに、日本の右派保守勢力は、「教育基本法」を敵視し、教育現場攻撃に躍起になるのだろうか。それは、彼らの支配の基盤を成立させてきた社会構造が根本から崩れさってしまったからだ。

 学校に行って勉強すれば、社会に出て安定した生活ができる、という子どもたちを学校につなぎとめる幻想が、九〇年代以後通用しなくなったのだ。就職を希望する高卒者の二人に一人しか就職できないという、日本経済の状況は、高校生の自宅学習時間ゼロが二人に一人というある県の統計と合致している。

 八〇年代のバブル経済の時期に、日本の企業が、アメリカとの競争に勝つために、安い労働力を海外に求めて多国籍企業化し、海外に出た製造業を中心として、日本の産業が空洞化したことが最大の要因である。

 朝鮮戦争特需からヴェトナム戦争特需の高度経済成長期にいたるなかで、日本は国内で製造した商品を、国外とくにアジア諸地域で売ることによって儲けてきた。「冷戦構造」の中での「熱戦」に乗じて利益を上げてきた日本型共同体主義的企業は、「教育勅語」的「皇国史観」で教育されてきた男たちにとっての精神的・経済的復員の場となったのだ。

 日本型共同体主義的企業は、創立者を天皇の代わりとして、軍隊的な上意下達の組織をつくり、そこに滅私奉公的に身を捧げる企業戦士を育成しつづけてきた。これが、戦後日本型の「公・私関係」だった。絶対的天皇制と象徴天皇制の間を、「国体」の連続性としてつないだのが、戦後一貫して憲法と民主主義の番外地として機能しつづけた、日本型共同体主義的企業だったのである。

 この日本型共同体主義的企業こそが、学校で民主主義的な教育を受けた若者たちを、天皇制的に再教育する場だったのである。敗戦後の日本において、学校こそが民主主義の発信基地であった。敗戦直後の日本では、家族の中にも、地域や職場にも民主主義は存在していなかった。民主主義は、学校で学ぶしかなかったのだ。そして、それを支えたのが「教育基本法」であった。

 そして、この学校での民主主義と平和の教育が、「五五年体制」(改憲を党是とした自民党の単独政権体制)後も、自衛隊のための改憲策動を阻止し、六〇年安保闘争にいたる民主主義の力を育んで来たのである。その意味で「五五年体制」は、日本型共同体主義的企業と学校との間の対立でもあった。

 しかし、九〇年代以後、日本型共同体主義的企業が、国内から消えてしまった。天皇制的再教育の場が無くなったのだ。だからこそ、企業のトップを校長にすえるなどして、学校を、かつての日本型共同体主義的企業と同じ役割をする組織に、一気にそして全面的に改変しようとする攻撃がかかっているのだ。


こもり よういち/東京大学大学院総合文化研究科 教授

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