海外事情 ドイツ社会民主党の辛勝と民主的社会主義党の敗北

                                    藏重 元

2002.10.20 218


 米国のイラク政策をヒトラーに例え批判した独法相

 今年の九月二二日にドイツ連邦議会選挙が行われた。そこにおいて、連立与党を形成するドイツ社会民主党(SPD)と緑の党は、辛うじて勝利を収め、政権を維持することができた。その一方で、当初、政権復帰が有力視されていたキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)は、予想されたほどの得票を獲得できず、引き続き野党の地位に留まることになった。また、民主的社会主義党(PDS)は、議席獲得に必要な五%の得票率を獲得できずに、議席の大半を失うことになった。
 
 今回の連邦議会選挙の特徴は、敗北必至と言われていたSPDが辛勝したこととPDSの敗北である。実は、SPDの辛勝とPDSの敗北には因果関係があるのだが、以下では、この問題について検討していくことにしよう。

 ドイツ連邦議会選挙の結果

 本論に入る前に、まず簡単にドイツ連邦議会選挙の結果について見ておこう。連立与党であるSPDは、得票率三八・五%(前回四〇・九%)で、二五一議席(前回二九八議席) を獲得し、緑の党は、得票率八・六%(前回六・七%)で、五五議席(前回四七議席)を獲得した。政権維持という点では、SPDの辛勝とは言えても、選挙結果そのものからみれば、得票率並びに議席数を減らしており、とても「勝利」とは言えない状態であった。

 他方、野党であるCDU/CSUは、得票率三八・五%(前回三五・一%)で、二四八議席 (前回二四五議席)を獲得した。また自由民主党(FDP)は、得票率七・四%(前回六・二 %)で、四七議席(前回四三議席)を獲得した。

 野党のなかで注目すべきは、PDSであり 、得票率四・〇%(前回五・一%)で二議席(前回三七議席)にまで後退した。ドイツ統一後、ドイツ政治における原則的な反対派として大きな役割を果たしてきたPDSの敗北は 、今後のドイツ政治において、特に対外政策において多大なる影響を及ぼすことになるだろう。この点については、最後に触れることにしよう。

 以上が、今回の連邦議会選挙の結果であるが、以下では、その特徴であるSPDの辛勝の要因とPDSの敗因について検討してみることにしよう。

 SPD辛勝の要因

 SPDの辛勝の要因として主として指摘されているのが、シュレーダー首相の、大洪水に対する対応とアメリカのイラク攻撃に対する批判である。
 
今年の夏まで、シュレーダーの失業政策並びに経済政策に対して激しい批判がなされていた。そのため、シュレーダー政権の支持率は低下し、大方の予想として、SPDは今回の連邦議会選挙では、敗北するであ ろうと言われていた。事実、世論調査でもCDU/CSUは、SPDよりも多くの支持率を得ていたのである。

 しかし、今年の夏に起こったエルベ川流域の長雨による大洪水とブッシュのイラク攻撃計画が政治状況を一気に激変させた。大洪水に対するシュレーダーの素早い対応や避難民や被災者に対する迅速な財政的援助における彼のリーダーシップに対して、多くの支持が寄せられた。

 さらに、アメリカのイラク攻撃に対するシュレーダーを始めとした閣僚や与党幹部らによる激しい批判は、そもそもイラク攻撃に批判的なドイツの国内世論の大幅な支持を見出した。これを契機にSPDは、その支持率を一気に上げることになる。これまで、SPDの保守化によって、CDU/CSUとの政策距離が縮まり、両者の相違が曖昧になっていた。CSUのシュトイバー次期首相候補は、アメリカのイラク攻撃に対して明確な態度を表明していなかったが、そこにシュレーダーがアメリカ批判を展開することによって、はっきりとした政治対立軸が形成された。

 これによって両者の相違が明確になったこともSPDに有利に働いた。しかし、SPDの辛勝の要因は、これだけではない。実は、PDSの敗北が、SPDの辛勝に大きく貢献していたのである。以下ではこの問題について言及していこう。

 PDSの敗北の要因

 既に述べたようにPDSは、今回の連邦議会選挙で大敗北を喫し、議席の大半を喪失した。その要因として指摘されているのが、党の顔であり絶大な人気を誇ったベルリン副市長のギジが、公務の航空マイレージを私的に流用したことによって辞任したことである。これによって党は、クリーンなイメージを損なうとともに、党の広告塔を喪失することになった。確かに、この点が同党の支持者の失望をもたらしたことは否定できないであろう。
 
さらに、同党が一貫して唱えてきた平和主義、特にアメリカのイラク攻撃への批判をシュレーダーが横取りしたことによって、同党の独自性が弱まったことが挙げられる。本来PDSの専売特許でもあった平和主義が、SPDによって奪われた形となったのである。
 
さらに深刻な敗因は、従来同党の強力な支持基盤であった旧東ドイツ部で、大幅にその支持率を喪失したことである。なかでもPDSへの支持率がとりわけ高かったフォアポメルン・メックレンブルク州並びにザクセン・アンハルト州において、多くの票を喪失した。同党は、両州においてSPDと連立内閣を形成していたが、深刻な失業問題や経済問題に対して何ら有効な政策を打ち出すことができず、それに対する支持者の深い失望を招いていた。週刊誌『シュピーゲル』の調査によると、前回同党に投票し、今回同党には投票しなかった人の半分は棄権したとされる。この棄権は、同党の政策に対する支持者の批判票とみなすことができよう。

 その他の敗因として指摘されるのは、同党のSPDへの寛容政策である。そのため、SPDへの批判が十分にはされず、SPDの政権喪失への危機感から、PDSの支持者がSPD支持へと回ったとされる。事実、『シュピーゲル』の調査によると、SPDは二九万票をPDSから得ていた。PDSの敗北がSPDの辛勝をもたらしたとする所以である。

 PDSなき後のドイツ対外政策のゆくえ

 以上が、今回の連邦議会選挙におけるSPDの辛勝とPDSの敗北との関係についての考察である。

 PDSは、九〇年代以降、その平和主義的原則から、唯一、連邦議会選挙において、ドイツ連邦軍の海外派遣に対して、激しく反対してきた。その政党が議会内における影響力を喪失したことによって、ドイツ連邦軍の海外派遣が、再活性化する可能性がある。

 シュレーダーのアメリカ批判も、もともとはPDSの政策を、横取りしたものにすぎない。PDSなき後、シュレーダー政権が、アメリカのイラク攻撃に対する批判を撤回する可能性も否定できない。原則的な平和主義政党なき後のドイツ対外政策のゆくえが注目される。


くらしげ げん/福岡市在住 大学教員

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