米軍による女子中学生轢死事件と韓国政治の行方

                         金 未来

2003.1.20 221 


 米軍に殺された女子中学生の追悼デモ 


 ワールドカップに韓国全体が熱狂のるつぼと化していた二〇〇二年の六月一三日、韓国のギョンギ道で、ミソンとヒョスンという名の二人の韓国人女子中学生が、訓練中であった在韓アメリカ軍第二歩兵師団四四空兵隊所属の装甲車にひかれて死亡した。韓国人が韓国国内で訓練中の軍人、しかも、アメリカ軍によって「殺された」初めての出来事であった。この事件は、当時、ほとんど注目されていなかったが、同年一一月二二日の米軍第八軍事法廷によって下された無罪判決を起点として、その判決に対する大規模な抗議デモが行われ始めた。

 抗議の主な内容は、米軍犯罪に対する裁判権委譲や不平等な韓米関係改善を求める、SOFA(韓米地位協定)の改定というものであった。このような全国的な抗議運動に対し、大統領選挙を目前にひかえていた各政党も、この流れに乗っかった形でSOFA改定を訴えることとなった。この事件に抗議する市民たちは、その後も抗議のろうそくデモを行い、最近に至るまで主要都市で抗議デモが行われているのである。

 中学生死亡にかかわる、この一連のながれは、単に「人が死んだのに、無罪というのは、けしからん」という単純な感情だけを含むものではない。それはたしかに、表面的には韓国内における韓国人の死亡事件への判決が、アメリカの裁判所からくだされ、しかもその結果が無罪であったということに対する抗議のように見える。しかし実際には、この中学生死亡事件は、大統領選挙と、従来とは異なった方向へ変化しつつあるアメリカに対する認識や、対北朝鮮問題が微妙に絡み合っていると思われる。

 つまり、一点目は、この事件が大衆的に共感を得、本格的な抗議行動に発展したのは無罪判決という裁判の結果ではあったが、それに大統領選挙を控えていた各政党が相乗りすることによって、一つの争点になったということがあげられる。二点目に、金大中政権後、変化しつつある南北関係が反映されていることである。SOFAという協約によって象徴される韓米関係は、「冷戦構造の中で作られてきた朝鮮半島状況」を表していた。しかし、今になってSOFA改定が要求される背景には、「太陽政策」によって変化しはじめた新たな対北朝鮮関係に対応する形で、韓米関係を再構築しなければならない、という世論が反映されていると思われるからである。

 事件の概要

 ソミンとヒョスンは、六月一三日、友達の誕生パーティに参加するために町から六〇〇メートルくらい離れた食堂に向かっていく途中だった。その時、後ろからおそってきた戦術訓練から帰隊中のアメリカ軍の装甲車にひかれて死亡したのである。この事件に対して韓米共同調査団が構成され、事件の発生原因や現場検証などをおこなったが、結局、装甲車を運転していたアメリカ軍人に対する裁判は、アメリカの軍事法廷で行われることとなった。

 これに対して韓国政府は、在韓米軍に、裁判権を韓国政府に渡すことを要求したが(どれくらいの強度で要求したのかは疑問である)、公務執行中の事件に対する裁判権を渡した前例がないだけではなく、すでに事件関係者が起訴されているということを根拠として、韓国政府の要求は拒否された。やがて、アメリカ軍事法廷で行われた裁判の結果、無罪が言いわたされた。

 この時まで、同事件は、従来から頻発していたアメリカ軍による犯罪と、同じようなレベルで報道されるにとどまっていたのである。

 大統領選と女子中学生死亡

 −イ・フェチャンかノ・ムヒョンか

 二〇〇二年一二月一九日、韓国では大統領選挙が行われた。今回の大統領選挙で、ハンナラ党候補であったイ・フェチャンと民主党候補であったノ・ムヒョンの二人のうち、どちらが大統領になるのかということは、単に政権が変わるということだけを意味していたのではない。それは、金大中政権のスローガンであった「太陽政策」という対北朝鮮政策が持続されるかどうか、が問われる選挙でもあった。

 「太陽政策」とは、「対北朝鮮包容政策」であり、従来の反共国家であった韓国というものから大きく脱皮しようとする政策だったのである。かつての韓国は、「反共国家」という性格上、常に北朝鮮は敵として想定され、政府は「反共というものを国是として」おり、北朝鮮と対立する関係を構築してきた。しかし、このような韓国政府の姿勢は、金大中政権の発足とともに、「対立」から「包容・親和」という方向へ大きく転換しようとしていた。

 ところが、このような金大中政権(政党レベルにおいては民主党)の対北朝鮮政策には、つねに政党政治レベルにおける対立軸が存在していた。野党であるハンナラ党は、民主党のこのような親和的政策とはことなり、従来のような北朝鮮に対する敵対姿勢を維持しつつ、民主党と対立していたのである。

 当然、このような民主党とハンナラ党の対北朝鮮政策をめぐる対立は、今回の大統領選挙においても一番大きな争点となっていた。民主党候補であったノ・ムヒョンは「太陽政策」の継続を訴え、ハンナラ党の候補であったイ・フェチャンは「アホの米ブッシュ政権」と同じような方向で、対北朝鮮強硬策を提示していたのであった。

 −世論調査でのイ・フェチャン候補の優勢

 大統領選挙の少し前に実施された世論調査では、金大中大統領側近の不正事件などの影響もあり、イ・フェチャンに対する支持率がノ・ムヒョンに対する支持率より高いと報道された。しかも、このような選挙情勢の中で報道された北朝鮮のミサイル輸出事件で、ハンナラ党の対北朝鮮強硬姿勢が世論の支持、特に既成世代(おもに四〇代から六〇代)の支持を得つつあった。このような状況は、世論調査においてイ・フェチャンに対する高い支持率として現れていたのである。

 ところが、ちょうどこのような時期に、女子中学生死亡事件に関する無罪判決が下されることになった。この裁判結果は、「突然」といっていいほど、各マスコミを通じて報道されはじめ(実際、各マスコミ報道やインターネット掲示板においてもこの事件での盛り上がりがはじまったのは一一月中旬からである)、それに対する様々な抗議行動が起こることになり、この時期から、若者が中心となって、全国にわたって連日のような追悼デモが行われることとなった。

 このような追悼の形式をとった抗議行動の際、大きく主張されたのは、米軍犯罪に関する裁判権を韓国政府に委譲することを含む、SOFA改定の問題であった。当然、大統領選挙を目前にひかえている各政党は、このような全国的な流れに、政党として相乗りしていった。ハンナラ党から民主党までのすべての政党は将来的なSOFA改定の必要性を力説しつつ、大統領選挙における支持をアピールした(ハンギョレ新聞二〇〇二年一一月二三日から二七日付け)。しかし、ハンナラ党と保守言論を中心とした勢力は、SOFA改定には共感しつつも、この追悼デモを「反米」として規定し、これ以上「反米感情」が拡散されることは韓米関係が揺らぐことにつながる、という憂慮を示していた。

 −イ・フェチャン支持からノ・ムヒョン支持へ

 そして、大統領選挙の直前になると、多数の世論調査が実施されたが、この世論調査では共通して、両候補への支持率に劇的な変化がみられることになった。それはちょうど、上記の追悼デモが本格的に行われた時期である。

 一一月一八日に文化日報とYTN(連合ニュース)によって実施された世論調査の結果は、各候補の当選可能性に対してイ・フェチャンが六二・九%、ノ・ムヒョンが二八%だった。しかし、一一月二六日に実施された各候補に対する支持率調査の結果では、イ・フェチャンが三九%、ノ・ムヒョンが四八%という数字が現れている。

 このような支持率の急激な変化から考えられるのは、追悼デモに参加していた若者を中心とした有権者たちが、不平等である韓米関係の改善問題の解決に対する気持ちを、保守的であるイ・フェチャンよりも、相対的に革新的であるノ・ムヒョンへの支持を通して、表したことだと思われる。当時、ハンナラ党によって訴えられた対北朝鮮政策に、この若者有権者たちは、ある意味反感をもっており、むしろ、アメリカに対する批判の声の方が高まっていたのである。このような若者有権者の、ノ・ムヒョンへの支持は、大統領選挙当日に鮮明に現れた。

 −大統領選挙の当日

 大統領選挙当日の出口調査において、少なくとも午後三時時点までは、イ・フェチャン候補の得票率がノ・ムヒョン候補のそれより上回っていると報道されていた(今回の大統領選挙の際におこなわれたほとんどの出口調査の予想は、少ない範囲の誤差をのぞけば、選挙結果の数字に見事に合致している)。

 ところが、イ・フェチャン候補の優勢が報道されると、各インターネット掲示板と討論ルームでは、イ・フェチャン候補に反対し、ノ・ムヒョンへの投票を促す若者の行動が、自発的に行われた。その結果、投票場へ足を運んでいなかった、または、棄権のつもりでいた若者からの投票が急増した。このような若者有権者の票が、ノ・ムヒョン候補の得票につながることによって、ノ・ムヒョンが大統領として当選することとなったのである(選挙結果以降の投票分析において、実際、若者の有権者の多くはノ・ムヒョンに投票したと伝えられている)。

 若い世代のアメリカと北朝鮮に対する認識

 これからの部分は、主に筆者の主観を根拠にしたものだが、今回の結果については、つぎのように考えている。

 一九五〇年(朝鮮戦争勃発)以来から、金大中政権誕生以前までの韓国国家の性格を簡単に表現すると、反共国家であったといえる。それは端的にいうと、抑圧的な統治を行う際の正当性の原理として、反共を全面に掲げていたものである。このような統治原理になれている現在の四〇代以上の人々は、いまだに、北朝鮮を敵として想定している。朝鮮戦争で家族や親族を北朝鮮に残した人々、つまり、自分の身内には愛しい愛情をもっており北朝鮮の人々とは同じ民族であると思っている。しかし、北朝鮮という国家には非常に強い敵対感をしめしている。このような北朝鮮に対する二重の態度の背景に反共主義があるとおもわれる。他方で、アメリカに対する態度は、批判的なところは存在しているが、それよりはむしろ、上記した反共主義からくる北朝鮮への反感がつよいため、アメリカの政策はやむを得ないと認識している。従って、この世代は北朝鮮に対しては敵対的な、アメリカに対しては親和的な態度を持っているといえよう。

 しかし、これと比べると、朝鮮戦争を直接経験していない若者、特に先述した二〇代から三〇代の人々の北朝鮮に対する考え方は異なっている。北朝鮮とは同じ民族であるという認識よりは、別の国家であるということが優先的に認識されている。たとえば、北朝鮮と韓国を表現するとき、ウリナラ−我が国−と北朝鮮という明確な言い方をしている。また、この世代は、北朝鮮を危機的存在として認識する考え方よりは、韓国に対して強硬的・威圧的な態度をとりつづけているアメリカに、不満を抱いている国と見ている。

 言い換えると、朝鮮半島における北朝鮮を想定した危機的な状況というものは、アメリカによって作られたものであるという認識が、それである。したがって、北朝鮮問題の解決のためには、まず、アメリカの強硬的・威圧的な政策を撤廃しなければならないと思っている。このような若者の考え方が端的に表れているのが、「太陽政策」に批判的な立場をとってきたアメリカに対する批判であった。この世代は北朝鮮に対しては親和的であり、アメリカに対しては敵対的であるといえよう。

 既成世代とは異なった、上記のような若い世代の対アメリカ姿勢というものは、若者たちを従来の反共国家という枠組みで統治することが、不可能であるということを示していると思われる。したがって、金大中政権の「太陽政策」は、特にこの世代から大きな支持を得ていたのである。

 このような若い世代のアメリカに抱いていた潜在的な不満が、先述の女子中学生死亡事件における不合理、つまり、アメリカ軍の韓国人に対する犯罪を韓国の法廷で裁けないということ、そして、SOFAに象徴される韓米関係が非常に不平等である、ということをきっかけとして噴出し、全国的な抗議運動にまで発展するにいたったのである。

 当然、大統領選挙運動の最中であったということを考えれば、若者の先述したようなことと、ハンナラ党の方針が対立することが理解できる。このような対立から若者の有権者は、対北朝鮮問題や対アメリカ関係に保守的であったイ・フェチャンより、相対的に革新的であったノ・ムヒョンに投票することになったのである。

 女子中学生死亡とこれからの韓国政治

 一五歳のこれから咲こうとした二人の中学生が、アメリカによって作られた冷戦構造の産物、朝鮮半島で殺されてしまった。悲しくてむなしいことである。

 しかし、今回の大統領選挙を見てみる限り、二人の死が無駄であったとは思えない。それは、先述したように二人の死亡が起点となり、現在のアメリカと従来の北朝鮮政策へ復帰しようとした動きへ、反旗を掲げられたからであり、また、それによってノ・ムヒョンが大統領としてえらばれ、これからの朝鮮半島の運命の方向性が、一定程度は定まったように見えるからである。

 ただし、いまだに、アメリカの朝鮮半島への絶大な影響力は存在しており、また、それに親和的な韓国内の政治勢力も存在しつづけている。これからの韓国政治、すくなくとも対アメリカや対北朝鮮に対する韓国政治は、女子中学生死亡事件をきっかけとして凝縮された若者のエネルギーがいかに、韓国政治を監視するかに関わっているだろう。


キム ミレー/韓国留学生

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