国立大学のゆくえ ―独立行政法人化と任期制問題―

                        藏重 元

2003.2.20 222


  国立大学法人化反対行動

 はじめに

 現在、大学はきわめて深刻で危機的な状況にある。少子化を背景に、定員割れを起こし、経営が成り立たない私立大学も生じてきており、なかには潰れていく大学も出てきている。最近では、広島の某私立大学の例が記憶に新しい。

 しかし、こうした大学の存亡の危機は、何も私立大学だけではない。まさに今、国立大学の統廃合が、来年四月から導入予定とされる独立行政法人化を前に、急ピッチに進行している。とりわけ地方の国立大学の合併や学部の統廃合が、この間、頻繁になされてきている。現在九九校ある国立大学が来年には八九校にまで減らされる予定である。「親方日の丸」と揶揄されてきた国立大学にも、巨大な改革の波が押し寄せてきているのだ。

 国立大学における一大変革をもたらしている最大の要因は、政府による行政改革だ。この行政改革に基づく独立行政法人化によって、国立大学が統廃合されるということは、そこに働く教職員の雇用・労働条件にも直接に反映する。それによって、まさに雇用不安や労働条件の悪化が、国立大学内において深刻な問題として生み出されている。一体、国や政府は、国立大学をどうしようというのか。国立大学は、どこへゆこうとしているのか。

 以下では、国立大学が置かれている現在の状況とそこで生じている幾つもの深刻な問題について、筆者が勤務する国立大学を例に報告することにしよう。

 一、行政改革と独立行政法人化

 そもそも国立大学の独立行政法人化といった争点が登場したのは、一九九〇年代後半における橋本内閣並びに小渕内閣による一連の行政改革のなかである。そのなかで、国家予算の支出を抑えるために、国家公務員の定員削減が、行政改革の目玉として打ち出されたが、その一番のターゲットとされたのが、多くの定員を抱える国立施設と国立大学であった。小渕内閣による財政破綻のつけが、国立施設や国立大学にまわったともいえるであろう。国立美術館をはじめ国立施設はいち早く半官半民ともいえる経営組織として独立行政法人化されたが、そこでの職員の身分は「公務員型」であった。

 当初の予定は、独立行政法人化することによって、他の国立施設と同様に「公務員型」として国立大学の公務員の身分は実質的には維持しつつも、制度上は、国家公務員の枠から国立大学の教職員をはずし、定員削減という政策目標を達成させる、というものであった。しかし、この予定が、小泉内閣の登場によって、大幅に変更され、この一年の間に、教職員の身分も「公務員型」から「非公務員型」へと大転換を遂げることになる。

 そもそも二〇〇一年九月に出された国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議の中間報告(「新しい『国立大学法人』について」)では、教職員の身分は「公務員型」とされていた。しかし、二〇〇二年三月に出された調査検討会議の最終報告(「新しい『国立大学法人』像について」)では、教職員の「身分については非公務員型とすることが適当である」と突然にその見解を転換させた。これには自民党の行革推進本部の圧力があったとも噂されている。

 その一方で、小泉内閣による構造改革、規制緩和、民営化といった新自由主義的な改革が、国立大学にまで及び、今では国立病院と並んで国立大学の民営化まで、政府の総合規制改革会議によって提言されている。この間の省庁再編を経て、郵政事業庁が今年の四月から郵政公社へと変わるが、その民営化を目指す小泉内閣が、郵政事業と同様に、国立大学の独立行政法人化を「民営化のための一里塚」とみなしている可能性は、総合規制改革会議の提言から判断しても、極めて高い。国立大学の独立行政法人化の次には、その民営化という政策課題が、政治日程に上る日は、意外と早いかもしれない。

 そのときは、民営化した「国立大学」が、その競争者として私立大学の存在を大きく脅かすことになるであろう。国立大学の独立行政法人化が、私立大学にとっては、対岸の火事ではすまない、とされる所以である。それでは、「民営化のための一里塚」となりかねない国立大学の独立行政法人化とはそもそも何なのか、について以下では少し詳しく説明することにしよう。

 二、独立行政法人化とは? 

 既に記したように、国立大学の独立行政法人化の最大の目的は、行革の流れのなかで、そもそも国家公務員の定員を削減するというものであった。そのためには、制度的に国(文部科学省)直属の機関である国立大学に、国から一定程度独立させて法人格を与えれば、もはや国直属の機関ではないために、国家公務員の定員から外れるというものだった。

 しかし、独立行政法人化なるものの最大の特徴は、立案と執行の分離という点にある。すなわち、文部科学大臣が制度上各大学の中期目標を定めて、その中期目標に基づいて各大学が、中期計画を作成し、その計画に基づいて国が財政的に交付金を支払う、というものである。

 従来、立案も執行も大学に委ねられていたが、特に財政面では、毎年概算要求と呼ばれる単年度の予算を各大学が文部科学省に要求し、その要求に従って国から予算を獲得してきたのがこれまでの国立大学である。だが、この独立行政法人の場合、単年度ではなく六年を期間とする中期計画を、文部科学大臣の定めた中期目標に基づいて作成し、その計画に合わせて運営交付金と呼ばれる国による財政援助がなされる。それ以外に必要な資金は、国に頼るのではなく、法人自らが稼ぐ、というのが独立行政法人化の財政的特徴でもある。本来、国立大学の会計上の支出と収入はすべて国によって厳しく管理されていたが、独立行政法人化の場合、財政的には相対的に自由になり、中期計画に基づいた大学運営のための資金を受け取る一方で、大学自らも資金をある程度自由に稼ぐことが法的に可能となる。以上が、制度的・財政的な意味での独立行政法人化の特徴である。

 独立行政法人化によって、これまでと異なって資金を稼ぐことができ、それをもはや国庫に繰り入れる必要はなくなるが、それだけに、資金を稼ぐ部門には資金がより多く導入され、資金を稼げない部門は、リストラされることになる。このリストラの道具とされるのが、中期計画とそれに対する第三者評価とよばれるチェックである。中期計画通りの成果が出せなかった場合、その部門への運営交付金は著しく減らされることになり、最悪の場合はリストラされる可能性がある。中期目標―中期計画―運営交付金―第三者評価がセットになっているのも独立行政法人化の特徴であり、六年サイクルで計画どおり達成しているかどうかのチェックが入り、その評価に従ってその後の六年間の予算、すなわち運営交付金の額が決まるのである。各大学とも、いかに多くの資金を集めるか、が最大の関心事となるのである。

 そうしたなか、昨年来大学において争点として浮上しているのが、任期制の導入である。この任期制導入と財政上の関心とが結びついて、現在、至るところで任期制の導入を画策する国立大学や部局が少なからず出てきているのである。以下では、その模様を、筆者が勤務する大学の実情を適宜紹介しつつ、報告することにしよう。

 三、任期制導入問題の浮上

 本来、任期制は、行革の流れとは異なる次元のところから生じた。すなわち、当時の国家公務員の身分は、国家公務員法によって保障されており、法的にはそのポストに任期を定めることはできなかった。それ故、「先端的、学際的又は総合的な教育研究」分野における人事の流動化が阻害され、前任者が退職するまで、先端的な研究分野の専門家をすぐには招聘できない、という問題が一部の分野で生じていた。そこで、「先端的、学際的又は総合的な教育研究」分野における人事の流動性を高めるために限定的導入を目的に一九九七年に成立したのが、「大学の教員等の任期制に関する法律(以下、任期制法)」である。

 既に述べたように、この任期制は限定的に導入されるべきものであり、そのことは、同法の第四条一項によって明記されている。しかもこの法案が衆参議院で可決される際に附帯決議がなされ、そこにおいても、この任期制法が恣意的に運用されることがないように、強調されている。また、当時の文部省の高等教育局長は、参議院文教委員会で、この任期制法は、あくまでも「先端的、学際的又は総合的な教育研究」分野におけるものであり、「限定的に導入されるものと立法の趣旨はなっている」とはっきりと述べていたのである。

 しかし、このように或る分野で限定的に導入されるべき任期制が、まさに現在、筆者の勤務する大学では、全学全教員に対して一律に導入されようとしているのである。それは、独立行政法人化を目前に控えて、任期制の積極的導入を薦める文部科学省の意向を勝手に汲み取り二一世紀COE(遠山プランに基づく研究資金の重点的配分)を初めとした競争的資源配分を自分たちに有利に導こうという意図からであると推察される。

 この大学では、各部局から拠出させた資金をストックし、これを学長が自由に使用できるようにした「総長裁量経費」というものがあるが、その配分において、任期制を導入した部局には優先的にこの資金を与える、という方針がなされている。これが、「任期制の導入を当該大学の教育研究条件の整備支援の条件とする等の誘導を行わないこと」とする国会の附帯決議違反であることは明白である。しかし、こうした法規範を無視しつつ、この大学では積極的な任期制の全学一律導入が、大学によって画策されている。その結果、昨年の一二月には、任期制の全学一律導入に関する各部局の意見を集約するという段階にまで事態は進展してきている。これに対して法学部、経済学部、理学部などの部局が強く反発し、任期制の全学全教員一律導入という画策は、現段階では頓挫している。

 一方、この方針に対して、積極的に応じているのが、工学部と農学部である。この二つの学部は最近、今年の四月から任期制の全教員への一律導入を教授会決定しており、そのための同意書の提出を全教員に対して要求している。事態はきわめて深刻であり、両学部に任期制が一律導入されれば、任期制法の趣旨からして、任期終了後は全員退職しなければならない。再任は法の趣旨からするならば、本来あり得ない。これに対して工学部長は、再任が基本であると言明しているが、これは任期制法の趣旨を全く誤解しているだけでなく、そもそも任期制と審査制とを混同するものである。こうした動きに対して大学の教職員組合は激しく反発し、任期制の全教員への一律導入が法の趣旨に反すること、さらに現行法では、既にポストに就いている教員に対して、任期を付すことは、法的に無効であることを指摘して、その違法行為を厳しく批判している。

 そもそも任期制法では、「先端的、学際的又は総合的な教育研究」といった限定的な分野に任用される教員にのみ任期を定めることができるのであり、任用行為を伴わない現職の教員に任期を付すことは現行法上許されない。こうした違法行為並びに教員の権利侵害が、この大学では平然となされているのである。

 この任期制が工学部並びに農学部で正式に導入されたならば、そこで働く教員の身分保障は殆ど形骸化されるといってよいであろう。繰り返すが、任期制法は、その分野の人事の流動性を高めるために導入されたものであり、再任というのは本来法の趣旨ではない。だからこそ任期制は「限定的に導入されるものと立法の趣旨はなっている」のだ。独立行政法人化された際には、この任期制の運用状態すなわち流動化の実態が第三者評価機構によって厳しくチェックされることになる。そうなれば、多くの教員が、任期制法の本来の趣旨に従って、そのポストを失うことになるであろう。その後の教員たちの雇用や生活を誰が面倒をみるのか、といった問題は何ら対策も検討もなされていない。

 「親方日の丸」といったイメージがもはや今の国立大学には全く当てはまらないという意味がよく理解されたことと思う。しかし、これは決して対岸の火事ではないことを強調しておこう。国立大学の次は公立大学、その次は私立大学へと及び、雇用不安と労働条件の悪化がますます大学の教職員の間で深まることになろう。

 むすびにかえて

 昨年一二月、国立大学の独立行政法人化に関する法案(「国立大学法人法案の概要」)がリークされた。それによると、国立大学は「独立行政法人通則法に規定する独立行政法人ではなく、国立大学に相応しい『国立大学法人』」とされている。名前は「国立大学法人」ではあるが、その実態は基本的には既に紹介した独立行政法人と殆ど変わりはない。ただこの法案によると、文部科学大臣が学長を任命さらには解任できるとされ、逆に文部科学省の統制がこれまでより人事面で強まっているともいえる。

 がしかし、一体、文部科学省は国立大学をどうしたいのか、よくわからない内容の法案となっている。ただ今の国立大学がどこへゆくのか、といった問いに対しては、これまでの一連の流れから判断するならば、「民営化」と答えることができるかもしれない。

 かくして、国立大学の苦悩と彷徨は続く・・・。


くらしげ げん/福岡市在住 大学教員

  トップページへ