インタビュー 小泉・竹中経済政策をどうみるか

                  侘美 光彦

2003.2.20 222−2003.3.20 223


  竹中経済財政・金融担当大臣 

 −−前回、お話をうかがってから一年半あまりたって日本経済の状況はますます深刻になり、「デフレ論議」も起こっているようですが、その辺りをどう評価されますか。

 前回のインタビューでも話したように(本誌二〇二号〜二〇九号)、一九九七年以後、日本経済は事実上のデフレ・スパイラルに陥っていると考えています。その後の経済状況の進展によって、そのことが、ますますはっきりしてきました。

 最近では、まだ数少ない人達ですが、世間でも「日本経済はデフレ・スパイラルに入っている」と言うようになりました。ただし、そこでのデフレ・スパイラルの定義はというと、かなり曖昧です。何故かと言うと、近代経済学には、デフレ・スパイラルという概念はないからです。戦後の近代経済学は、そもそも、デフレーションというものを考えたことがなかったのです。世間で良く語られる、デフレについての多くの理論は、物価が下がり、景気が悪化し、金融状態が悪化して金融引き締めが起こり、さらに景気が悪化する−−という金融を媒体にした考え方になっています。

 しかしこれは、完全に間違いです。私の考えでは、デフレ・スパイラルは一九二九年からの大恐慌で初めて起こったものです。それ以前にも何度も、景気が悪化する度にデフレが起こっているのですが、比較的短期に、長くても一・二年で解決していました。これが通常のデフレでした。ところが二九年恐慌の場合には、いったん景気が悪化しデフレが起こると、さらに次々と連鎖的にデフレが進行し、景気が悪化して、経済状態が落ち込んで行きました。これが、それまでのデフレとは質が異なるということで、デフレ・スパイラル(デフレがデフレをよぶ悪循環)と呼んでいるのです。

 そのときに、激しい銀行恐慌が起こったのですが、それは基本的にデフレ・スパイラルの結果であって、銀行恐慌が起こったからデフレ・スパイラルになったのではありません。デフレ・スパイラルが起こって、生産が急激に縮小し、利潤や所得が減少して、既存の債務が返済できなくなり、不良債権が増え、銀行の経営が悪化して、その結果として金融恐慌が起こったのです。もちろん、金融恐慌になれば、ますます金融引き締めが行なわれて、さらに景気が悪化するということになりました。

 ここでの核心問題は、デフレ・スパイラルの結果として、金融の状態が悪化したのであって、不良債権が発生したから、デフレ・スパイラルが起こったというのではない。。ということです。この点で、二九年の大恐慌についての認識が間違っていると、デフレ・スパイラルについての定義も違ってくるのです。

 −−デフレ・スパイラルの特徴や原因について、具体的にお話いただけますか。

 通常のデフレとデフレ・スパイラルとの根本的な違いは、投資条件の問題です。通常のデフレの場合には、景気が悪化して物価が下がれば、投資条件は改善されます。原料価格が下がりますし、賃金も下がるので、投資しやすくなるからです。しばらくの間はつぶれる企業も出ますが、生き残った企業は生産性を上昇させ投資を拡大します。そうすると、雇用も生産も増え、需要も増え、景気も回復するし物価も上昇します。比較的順調に、企業自身の努力、すなわち市場の調整機能によって景気は回復し、デフレは解消しました。

 ところが、大恐慌のときには、逆のことが起こりました。景気が悪化して物価が下がると、投資条件が改善するのではなくて、むしろ悪化してしまいました。全体の需要が低下しているときに、投資しても儲からないような状態が一般化したので、投資が急激に縮小し、その結果、生産も雇用も縮小し、また需要も下がるので物価も下がる、景気はますます悪化する−−という事が繰り返される、まさにスパイラル(悪循環)に陥った訳です。もちろん、金融条件が悪化したことは、それをさらに促進する要因になったのですが、根本は投資条件の悪化の問題です。

 それでは何故、投資条件が悪化したのか。その第一は、寡占価格の問題です。第二は、賃金の下方硬直性の問題です。これらの問題は、以前から部分的には存在していたのですが、二九年恐慌では決定的な要因としてあらわれ、その影響力が質的に異なってきたということです。

 第一の問題は、景気が悪くなったときに、農業や中小・零細企業などは、少しでも多くの商品を生産して投げ売りしようとするので、この自由競争的な商品の価格は猛烈に下がったのですが、他方、自分で価格を決定できる独占企業の方は、価格を下げないことによって、利潤率を維持しようとしたということです。

 ところが、需要がすでに下がっており商品の販売量は落ちているので、独占企業は生産を大幅に縮小することになり、失業者は増大し、さらに社会的需要は急減し、景気が悪化し、自由競争的な商品の価格はますます低下していきました。つまり、この二つの部門の異なる対応の仕方がお互いに競争条件を悪化させるという悪循環になったのです。

 第二の、賃金の下方硬直性の問題ですが、第一次大戦後の一九二〇年代に、労働組合の力がつよいイギリスやドイツで、すでにそれがあらわれていました。それが何故、労働組合の力が弱いアメリカであらわれたかというと、かなり特殊性があって、「暗黒の木曜日」(二九年一〇月二四日、ウォール街の株価暴落)が起こったときに、フーバー米大統領がただちに財界首脳を集めて、賃金を下げないように協定を結んだことによるものです。

 三一年までこの約束は守られたのですが、その内容は曖昧で、財界・企業は「時間賃金」を下げない、つまり雇用している常勤労働者の「時間賃金」は下げないと解釈しました。その代わりに多くの労働者を首にし、操業率を下げたので、賃金支払い総額の方は減ったのです。これらの結果、雇用されている労働者は、物価が大幅に下がっているのに賃金が下がらないのですから、実質賃金は増えて労働貴族になったのですが、首を切られた労働者は、当時、雇用保険も完備していませんから、惨めなことになり、労働者階級は二つに分裂してしまいました。しかも、生産性は実質賃金の上昇ほどには上がらないのですから、企業が投資すれば、賃金に喰われてしまうということで、投資条件が大幅に悪化してしまいました。

 アメリカでの大恐慌の基本的な特徴は、これらの二つの要因によって、「投資が壊滅した」ということです。新規の設備投資などに加えて、減価償却などを含めた粗投資がマイナスになったのですが、私の知る限り、このような事例は歴史上、この大恐慌の時しかありません。こうした投資条件の悪化によって、大幅に生産が縮小し、物価も下落していきました。このうえに、激しい金融恐慌が起きました。現在のように、いわゆるセーフティ・ネット、預金保険機構のようなものはありませんでしたから、あっと言う間に銀行はつぶれました。

 その上に、株価の暴落の影響がつけ加わったのです。教科書では、株価の暴落を最大の要因のように書いていますが、これは三番目の問題です。株価が暴落すれば当然、資産が目減りしますから不良債権は増えていきます。ちなみに、当時のアメリカの銀行は、現在の日本に比べれば、はるかに慎重で健全な貸し付けをやっており、株式担保貸し付けや不動産担保貸し付けの担保は、時価の二分の一に評価していました。ということは、株価や不動産の時価が二分の一になるまでは、そのような貸し付けは不良債権にはなりませんでした。だから、不良債権問題は、三一年以降にあらわれてきました。しかしそこまで来ると、三二・三三年と大変な状況になったのです。

 −−現在の日本が陥っているデフレ・スパイラルには、どういう特徴があるのでしょうか。

 何度も言いますが、デフレ・スパイラルというのは、景気が悪化して、物価が下がったときに、投資条件が改善せずにむしろ悪化することによって、投資が縮小し生産が縮小して、さらにデフレが進行する。。という、実体経済の悪化と物価の下落との悪循環であると定義すべきです。現在の日本経済を見るときも、この視点からデフレ・スパイラルが起きているかどうかを評価することが、非常に重要なのです。

 私は、いわゆる「平成不況」の場合には、九六年まではまだ単なるデフレだったと思います。景気は悪化し、物価も下がり、失業率も増えていましたが、あの時にきちんとしたデフレ対策をやり、デフレ・スパイラルを防いでおれば、「平成不況」は終わっていたと思います。ところが、その当時の経済担当者は、「デフレのデの字も」口にせず、むしろ、「デフレは良いことだ」と言い続けていたのです。「デフレ対策」ということが言われ始めたのは、九九年に日銀が「ゼロ金利政策」をやった頃からです。政府はもっと遅くて、二〇〇〇年になってからで、それまではデフレを放置していたのです。九六年に政府が「日本経済は自律的経済回復の過程に入った」と宣言したのですが、「自律的回復」なので財政出動の必要はないと評価して、九七年から橋本内閣が「財政構造改革」をかかげて財政引き締めをやったもので、経済は一気に悪化し、デフレ・スパイラルに入っていきました。九七年の暮れからは、大型金融機関の倒産、大企業のリストラがはじまり、ここからまさに投資条件が悪化して、日本経済は落ち込んでいきました。

 それまでも、すでに卸売物価は継続的に下がっていたのですが、この時からついに消費者物価も下がりはじめ、それが現在までずっと続いて、事実上のデフレ・スパイラルになっています。ただし、今回の日本の場合には、二九年の大恐慌とは形態が異なります。大恐慌の場合には、財政出動もなければ、金融恐慌回避体制もありませんでしたから、三〜四年の間に生産が五〇%以上低下するという激しいものになりました。

 しかし現在では、金融危機が起こっても、預金保険機構や日銀の「最後の貸手機能」すなわち公的資金投入など、強引なことをやれば、様々なマイナス面はありますが、金融恐慌の拡大は防ぐことができます。また、財政出動を絶えずやっているので、景気の悪化を一時的には食い止めることができるので、緩やかな景気の下降がつづくことになります。物価も緩やかに下がります。しかし、景気が少しよくなると、またすぐに悪化するというジグザグをたどります。日本であらわれた、第二次大戦後はじめてのデフレ・スパイラルは、大恐慌回避体制によって、こういう形をとることが検証されたと言ってもよいでしょう。

 ここで重要なのは、こうしたデフレ・スパイラルに陥ると、従来的な財政金融政策は効かなくなるということです。従来的な財政金融政策で代表的なのは、ケインズ政策です。景気が悪くなると、需要の不足分だけを財政投資すれば良いという考えです。それが、主に公共投資として行なわれます。これをやると、需要をばらまくのですから、一時的な効果はあります。しかし本来、ケインズ政策が効果をもつためには、この財政投資が呼び水になって、企業の投資が乗数拡大的・連関的に増えていかなければなりません。ところが、デフレ・スパイラルに陥っている状況では、企業は投資の拡大に向かわないのです。したがって、多くの人達が「公共投資は効かない」と言いはじめました。『朝日新聞』のある記事では、「いくら公共投資をやっても、ヘドロに杭を打ち込むような状態だ」と表現されています。

 金融政策も、日銀が史上初めての「ゼロ金利政策」や「量的金融緩和政策」をとって、銀行に湯水のようにお金を出しているのですが、まったく効果がありません。というのは、銀行の資金に余裕が出来ても、銀行はそれを企業貸し付けに向けなければ意味がないのですが、企業とくに大企業に投資意欲がないのですから、効果があがらないのです。ですから、銀行は余った資金で国債を買っています。長期国債で一%しか利子がつかないのに、日本の国債の半分以上を銀行がもっています。こうした異常な状態が、この五年あまり続いています。

 −−小泉内閣は「構造改革」を唱えていますが、こうした政策はどうでしょうか。

 小泉・竹中経済政策の基本は、現在の日本経済では、もはや従来的な財政金融政策は効かない、ということを認識したところから出発しています。しかし、デフレ・スパイラルに陥っているということは認めません。デフレについては、やっと認めるようになりましたが、デフレ・スパイラルを認めません。それで、どうして財政金融政策が効かないのかという原因を、「構造問題」にあると考えているのです。基本になる理論や評価が間違っているので、デフレ・スパイラルを解決するためにはどうするか、という政策をまったく考慮しないで、構造が悪いので「構造改革」をやれば景気が良くなると主張しています。

 これは、誰が見てもわかるような、非常に安易な考えですが、小泉内閣は、この「構造改革」というスローガンを立ててしまったのです。もし「構造が問題」ならば、発展途上国などには色々な経済構造問題が常に存在するのですから、永遠に不況で好況はないということになります。財政や経常収支は赤字で、クローニー資本主義など財閥的な癒着構造の問題があるのに、例えば、韓国はどうして景気が良いのでしょうか。小泉内閣は、こんな大間違いを大前提にして、頑固に「構造改革」というスローガンを毎日のように繰り返しています。

 もちろん、「構造改革」は必要でしょう。どのような経済でも、グローバルな競争状態の現代の資本主義に対応できる構造に、近づけていかなければなりません。しかしこれは、景気とは直接の関係がない、長期の問題です。日本経済を、ドル中心の新しいグローバルな世界経済のなかで、どのように競争に耐え得る構造にするかということは、財政問題などもふくめて、一〇年〜二〇年の長期のスパンで進める問題で、当面の二〜三年の景気とは関係がありません。「構造問題」とは別に「景気対策」が必要なのです。ところが小泉内閣は、景気が悪い原因を「構造問題」に求めたので、「景気対策」はほとんど何もありません。それで、いわゆる「抵抗勢力」は、彼らが正しいわけではないのですが、直感的にこの問題点を感じて、怒っているという状況です。

 こうした経済状況のなかで、「構造改革」を進めれば、短期的には景気が悪化します。失業は増えるし、不良債権を処理すれば関連企業は倒産します。銀行の貸し付けも慎重になるので、どうしても景気は悪化します。デフレ・スパイラルは、まったく解決の見込みがありません。

 −−デフレについては日銀の政策が問題にされていますが、どうでしょうか。

 もっと大きく間違った理論は、竹中平蔵大臣に代表される理論です。竹中氏は、近代経済学のなかで新古典派理論とよばれる考えの代表的な人です。新しい形で古典派に立ち帰った新しい理論です。

 昔から古典派のなかには、「貨幣数量説」というのがありました。それは、貨幣量を増やせば物価が上昇し、貨幣量を減らせば物価は下落するというものです。たしかに、貨幣量と物価の間には、なんらかの関係があるのですが、どちらが原因でどちらが結果か、ということが問題です。言い換えると、景気が悪くなるから物価が下がるのか、物価が下がるから景気が悪くなるのか。。実体経済が悪くなるから物価が下がるのか、物価が下がるから実体経済が悪くなるのか。。その因果関係が問題です。「貨幣数量説」では、貨幣量に原因を求めて、貨幣量を増減させれば物価は調整できると考えます。これが古典派の一つの特徴です。

 ところがこの理論は、第一次大戦後、事実上破綻しました。間違っていることが分かったからです。とくに大恐慌では、貨幣量を減らしたから景気が悪くなったとは、誰も考えません。それを主張したのは、フリードマンだけです。彼は、実体経済は悪くないのに、銀行恐慌が起こったから実体経済が悪化したと評価したのですが、彼の大著でも、貨幣や金融の事は詳細に分析していますが、実体経済についての分析はありません。銀行恐慌の原因は、金融政策を間違ったこと、それも貨幣量を増大させなかったことにあると単純に評価しています。先程から話している、私の大恐慌の評価とは決定的に異なることが分かると思います。

 ところが、この「貨幣数量説」が六〇年代からアメリカで復活してきました。その理由は、きわめて簡単で、五〇年代末から物価が絶えず上昇するようになったからです。絶えずインフレの状態で、デフレは起こらず、そのなかで景気が上がったり下がったりしながら、経済成長が進むようになりました。そこで、貨幣量と物価の相互関係をみると、見事な相関関係がしめされるようになったのです。貨幣量の「増加率」が大きいときは、物価の「上昇率」も大きいという関係です。それ以前は、貨幣の絶対量が増えたり減ったりしていたのですが、この時期から、貨幣量や物価は絶えず上がるなかで、その貨幣量の「増加率」と物価の「上昇率」の間に相互関係が、明瞭にあらわれるようになりました。

 近代経済学ではデフレの定義もなく、大恐慌のことは事実上忘れているものですから、もしデフレになったときにどうなるかという議論も抜きに、現象的にあらわれた相関関係から、物価を調整するには貨幣量を調整すれば良い、という理論が復活したのです。これが、ケインズ政策の行き詰まった七〇年代に、ケインズ政策にとって代わりました。レーガン時代にとられた、供給重視のサプライサイド経済政策も、貨幣数量説を否定するものではありません。

 現在、竹中氏が主張していることは、こうしたアメリカの「貨幣数量説」をほぼ無条件に受け入れている、と評価して良いと思います。竹中氏の考えに近い人も大勢います。「日銀の政策が問題だ」と言っている人は多いのですが、その内容はほとんど「貨幣数量説」です。貨幣量を調整すれば物価は調整できるというのですから、デフレについては貨幣政策・金融政策だけで解決できるという考えになります。ところが、日銀が色々とやっても効果がないので、もっと金融緩和すべきだとか、インフレ目標を設定せよとか、国債を買えとか−−日銀にもっと他の政策をやれと要求するのです。

 竹中氏は、ときどき言う事が変わるのですが、基本的にデフレは金融問題なので、日銀の責任であり日銀がしっかりやれば良い、という主張です。これとの連関で、不良債権問題も金融問題なので、これを解決すれば、デフレは解決するし、景気も回復するという主張になります。

 したがって、小泉・竹中経済政策は、「二重の誤り」を犯しています。まず、デフレ・スパイラルを認めないので、構造問題に景気の問題を還元してしまいました。そして、デフレの問題を貨幣問題に還元してしまいました。この「二重に誤った理論」で、経済政策をやっているのですから、日本経済の見通しは、空恐ろしいものがあります。

 −−不良債権処理については、どうでしょうか。

 不良債権問題は、早く処理すれば良いに決まっています。アメリカの大恐慌のときは、不良債権問題は半年位でほぼ解決しました。何故かというと、大恐慌の底の三三年三月に全銀行の営業を停止し、その間に銀行の経営権を大統領に一任して、銀行の業務内容を調査し、「健全な銀行」から営業を再開させました。ただし、そのときにはすでに多くの銀行が倒産しており、残った銀行の中からさらに選択して、営業を再開しました。経済は無茶苦茶になっており、権限は大統領に集中しているので、そういう事ができたのです。

 だからといって、それで景気が回復したかというと、実は回復しませんでした。銀行の問題は解決したけれども、実体経済は回復しなかったので、それから悪戦苦闘して、ニューディール政策など様々な政策がとられ、ちょっと回復すると、ふたたび悪くなるという事を繰り返しました。そして、三七年には再び景気が悪化し、それが回復しないうちに戦争に突入したのです。だから、ほとんどの経済学者や歴史学者は、ニューディール政策では、大恐慌から回復しなかったと評価しています。これを見ても分かるように、金融問題を解決しても、景気は回復しないということは、歴史が証明しています。

 現在の日本政府で、竹中氏は信念を持って、不良債権処理をやろうとしています。そのために、銀行の自己資本を査定する規定を、アメリカ並に厳しくして、それに見合った不良債権の処理をやるという政策を進めています。これは、抽象的には正しいことかもしれません。問題は、これによって景気が回復すると思っていることが間違いなのです。また、それを何時、どの位の時間をかけてやるかが重要です。今のようにデフレ・スパイラルに陥っているときに、それをやれば、さらに景気は悪化し、デフレ・スパイラルを促進することになります。私は、現在の「デフレ総合対策」は、事実上の「デフレ・スパイラル加速政策」だと思います。実体経済が悪く、投資が縮小しているときに、引締政策をやればやるほど実体経済は悪化するのですから、また不良債権は増えていくことになります。

 ただし、いわゆる「ハードランディング」をやれば、いつかは景気は回復します。経済が落ち込むところまで落ち込んで、例えば失業者が二人に一人というような酷い状況まで進めば、何時になるか分かりませんが、いつか必ず経済は上昇します。しかしそれは、第一次大戦以前の資本主義経済です。第二次大戦後は、そのような破滅的状況にしてはいけない、失業者が出たら救済しないといけない、需要不足が起こったら補わないといけないと、少しでも「ソフトランディング」しながら、いかに景気回復するかというのが、資本主義経済の政策です。どの国でもそうやっているので、日本だけが「ハードランディング」の方向に進もうとすれば、政権の組み換えなどが起こるでしょう。だから、「ハードランニング」は抽象的には言えても、現実的には取りえない政策です。にもかかわらず、それに近いことをやっているのが、現在の小泉・竹中経済政策なのです。

 それでは、どうしたら良いかと言うと、「構造改革」は長期政策だと考えること、それとは別に「景気対策」をうつこと、デフレは金融問題ではないと考えること。。を明確にして、「デフレ・スパイラル対策」をやらないといけません。

 −−今の日本経済に対してはデフレ対策では効果がなく、デフレ・スパイラル対策をとらなければならないという事ですが、どういう方策が考えられますか。

 デフレ・スパイラル対策は、どのようにしたら良いのか。アメリカがどのように大恐慌から立ち直ったのかを考えてみましょう。アメリカが大恐慌から立ち直ったのは、戦時経済によるものです。

 しかし、この問題で余り知られておらず、良く誤解されるのは、アメリカは戦争によって経済を回復させたのではなく、本格的な戦争を始める前に、大恐慌からの回復を達成したという事です。

 一九三九年から四一年一二月までは、すでにヨーロッパで戦争が行なわれていた時期で、四一年一二月から四五年八月までは、アメリカも直接戦争に参加し日本とアメリカが戦った時期です。この前半の時期の経済を、「準戦時経済体制」とよびます。本当の戦時経済体制ではありません。四一年一二月以降は、本格的な戦時経済体制なので、完全な統制経済で、政府が全企業の生産をおさえ、物価も統制しました。

 しかし、「準戦時経済体制」の時期には、市場経済と民間企業を尊重し、労働組合を尊重しながら、そこに政府が大々的な財政援助を行なって、景気を立て直し、戦争準備をしました。この時期に、アメリカ経済は史上最大の高度成長を記録し、超完全雇用を達成しました。一般には、戦時経済は「異常な統制経済だ」というので、あまり研究されないのですが、この「準戦時経済体制」は戦後のアメリカ経済の基幹を形成したと言って良いぐらい、重要だったのです。

 それでは、この「準戦時経済体制」では一体何がやられたのか。その第一は、膨大な財政支出です。その規模は、GDP(国内総生産)比で年平均三〇%にものぼるものです。もちろんその対象は、主に軍需産業とその関連産業です。それも大企業だけではなく、関連の中小企業にも財政支出を行いました。戦時経済ですから、かなり余分な支出もあったでしょうが、規模としてはその位の支出が必要だったと言う事です。

 第二は、その財政支出の内容ですが、軍需関連産業の生産性の上昇に最重点がおかれた事が特徴です。自動車、鉄鋼、船舶、航空機など、中心的な軍需関連産業はもとより、通信、化学、バイオ、宇宙など、周辺の関連産業の研究開発に惜しみなく財政を投入して、新しい産業分野をつくっていきました。時には、政府自身が研究して、それをタダ同然で払い下げるという事もやりました。これは重要な事で、研究開発を促進するだけでなく、そこに企業が投資できる条件を政府がつくっていったのです。デフレ・スパイラルは投資条件の悪化によって起こるわけですから、これは重要なポイントだったと言えます。

 第三は、労働組合と協約をむすんで賃金調整を行なった事です。それは、物価が上がれば賃金も必ず上げるという物価スライド制で、実質賃金は必ず維持する、という約束です。しかし、生産性の上昇以上には賃金を上げないというものでした。言い換えれば、労働者の実質賃金を維持しながら、企業は利潤率を確保したという事です。これによって、この数年の間に企業の投資が急速に増大して、完全雇用が達成される事になりました。まさにこの時に、日本はアメリカと戦争を開始したのです。

 その後、アメリカは本格的な統制経済・戦時経済体制に入り、第二次世界大戦が終わって、それが解除されました。そして戦後、民需中心の経済体制にもどった時に、それまでのイノベーション、研究開発の成果を民間企業がフルにつかって、新しい産業がアメリカ経済に定着して行く事になりました。他方で、戦後の大企業と労働組合との賃金協定では、実質賃金は維持するが、それは生産性上昇の枠内にとどめる。。という、「準戦時経済体制」の時期の賃金協約を踏襲した形がとられるようになりました。それが、戦後アメリカ経済のゆるやかな高度成長を支える体制となりました。

 注意しておきたいのは、これらの政策は、いわゆるケインズ政策ではないという事です。需要を喚起し、投資を喚起したのですから、一見するとケインズ政策のように見えますが、そうではありません。アメリカがケインズ政策をとったのは、六〇年代はじめのケネディ政権が初めてです。ケインズ政策というのは、もっとお粗末な理論です。完全雇用を達成するのに、需要と供給の間に一定のギャップがあるとすると、その需要の不足分だけ、赤字になっても良いから財政支出をやれば、景気は回復する。。という政策です。何を対象にしても良いから、政府が財政支出をやりさえすれば良いという、「バラマキ政策」なのです。

 日本でも高度経済成長の時期には、そういった政策をとっても良かったでしょう。あの時期は、賃金も上昇していましたが、生産性も上昇しており、賃金の上昇率よりも生産性の上昇率が上回っていました。だから、財政支出で需要を喚起すると、それが投資の拡大に向かいました。

 しかし、現在の日本経済は投資条件が悪化しているのですから、そのような効果はあらわれません。デフレ・スパイラルのなかで、ケインズ政策をとっても、乗数的な投資拡大効果はあらわれません。そして、ケインズ政策の効果がないという事で、前に述べた「貨幣数量説」(本誌前号参照)のような、もっと間違った理論があらわれています。アメリカの経済理論は、基本的に間違っているのですが、それが支配的になっており、アメリカ政府は竹中大臣に、間違った理論にもとづく政策を実行するよう、盛んに働きかけています。

 デフレ・スパイラルの基本的な原因は、投資条件の悪化にあるのですから、不良債権処理や金融緩和によって解決するものではありません。「消費か投資か」という議論もありますが、減税などによる消費刺激策も、雇用が絶対的に縮小し、賃金が減少している下では、あまり効果がありません。雇用と賃金の絶対的な低下を回復するのには、企業の投資が回復し増大していかなければならないのです。企業の投資条件が良くなれば、雇用も賃金も回復していく事ができます。

 一時期良く言われた、「ITによる新産業の拡大」も、アメリカの例に見られるように行き詰まり、「最後の頼みの綱」だったアメリカ経済の成長も望めない状況です。日本経済の現状認識について、政策担当者や近代経済学者は、理論と政策が、ほとんど間違っているのですから、デフレ・スパイラル対策によって日本経済が早期に回復するのは、よほどの幸運でもないかぎり、今のところきわめて困難ではないかと思わざるをえません。


たくみ みつひこ/立正大学経済学部教授・同大学経済研究所長。一九三五年生まれ。五八年東京大学経済学部卒業、六五年同大学院経済学研究科博士課程修了。八〇〜九五年東京大学経済学部教授。九五年同大学名誉教授となる。以後現職。著書に『国際通貨体制−−ポンド体制の展開と崩壊』七六年、『世界資本主義』八〇年、『世界大恐慌−−一九二九年恐慌の過程と展開』九四年(九七年日本学士院賞受賞)など。

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