日朝問題の授業を通して学んだこと

               福岡 吉雄

2003.5.20 225


 高校「社会科」が解体され、「地歴科」と「公民科」になって久しいが、少なくとも広島県内においては、学校現場はもちろん、社会的にも依然として「社会科」が通用している現状がある。解体を仕組んだ側としては残念でたまらないだろう。しかし、戦後「社会科」が果たしてきた「平和」「民主主義」「人権」を解体しようとする勢力は確実に、あらゆる機会を利用して学校現場へ影響を与えていることも確かだ。

 私達は、一九九三年以来、「解体」されても、社会科本来のあり方を見失わないために以下の事を確認してきた。

 @大前提として(ア)近・現代史 (イ)アジアとの関係(ウ)平 和・人権を重要視すること。

 A大学入試の傾向も@の方向へシフトしつつある。
 (ア)「受験学力」さえ、すでに教科書による暗記中心主義では対応できなくなっている。
 (イ)社会科本来の目的である「平和」「人権」の教育内容が問われている。

 B@の観点で授業をやろうとするとき、教科書のズレを感じる。
 (ア)教科書によっては、ゆがんだ近・現代史の見方がある(とりわけ日朝交流史。−ただし、最近はゆがみが少なくなっている)。
 (イ)そのためにヌの観点から教科書点検をする。

 C@ABから授業の実践例をあげる。
 (ア)@の内容で授業をするとき、どのような理念が必要なのか。
 (イ)実践集パート1は「アジアとの関係を広島から考える」とし、パート2「食の問題」とする。

 以上は、広島県高等学校教職員組合教育研究所発行のパート1「社会科で何を教えるの?−アジアとの関係を広島から考える−」に集録してある。

 このような状況になった今こそ、「社会科」の精神を再確認し、継承・発展していくことが大きな課題であろう。「平和」「民主主義」「人権」を現代を生きる人間として、生徒とともに考えていくことが重要であり、科学的で民主的な社会認識力を培っていくことが必要である。

 しかし、現状の社会科は多くの場合「暗記の社会科」となっており、その最大の原因が「受験」であり、「より多くの点数をとるためには、よりたくさんの問題演習をしなければならない」「より多くの事項を覚え、より多くの問題演習をするためには、より多くの時間が必要である」となり、単位数を増やし、補習漬けの状況を生み出している。また、一方では、受験制度の改悪がますます学校間格差を生み、いわゆる底辺校では、授業そのものが成立しがたい中で様々な工夫やアイデアで悪戦苦闘している現状もある。今、我々に出来る事は、生徒のレベルがどうあれ、先述した社会科の役割を徹底することである。

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 さて、このように言っている私の授業であるが、多様化する生徒の現状の中で、日々悩み、壁にぶつかりながら、生徒の顔を思い浮かべて、「こいつとの勝負だ」と教材研究する毎日である。昨年度の選択日本史の授業はまさにユニークというかマニアというか、本音で言えば「やりにくい」生徒が複数いた。

 毎年、私は選択日本史は、自分で調べてレポートし、それを発表させる。評価も生徒全員でおこなうと決めている。一学期は、各自が人物について発表する。二学期は近・現代史の事件についてレポートさせる。図書館を利用して調べる者、家の本を持参する者、インターネットで調べる者と様々であるが、生徒の能力や秘められた力には感心するばかりである。受け身となっている授業から、自分が調べてレポートして発表する。それを生徒全員から評価されるとなった時、普段は、全くやる気なしの生徒や、いつも寝ている生徒も下手なりに工夫して頑張る。生徒は、まかされた時、自分がやるしかないと思った時、力を発揮する(受け身の授業では力は発揮できない)。

 二学期の歴史的事件の発表の時、予想通り一人の男子生徒が「日朝首脳会談日朝ピョンヤン宣言」をレポートしてきた。内容は、

 @「この問題を棚上げして国交正常化交渉はありえない」とした拉致事件は、絶対許せない

 Aなぜ北朝鮮は「過去の清算」にこだわるのか

 Bなぜミサイルを撃つような国と国交を結ぶのか

 Cピョンヤン宣言については、それなりの評価はする

というものだった。発表後、質問・意見も出なかったので、私がヌについては、発表者同様、いかなる理由・国家体制であろうと許せないし、これが、金正日が知っていた事であったらもっと許せないことだと切り出して、ネに触れた時、一人の生徒が「先生、日本がかつて朝鮮で許せない事をやったという証拠がありますか。それこそ一方的な見方ではないのですか」と質問してきた。これまでにも、これに近いやりとりは経験したことがあったので私は、簡単に次の事を説明した。

 ア、日清・日露戦争の日本の目的

 イ、一九一〇年「韓国併合」と、朝鮮国内のこと

 ウ、朝鮮教育令と土地調査事業

 エ、強制連行

 オ、軍隊慰安婦

 この説明に対する生徒の反応は、大きく二つに分かれた。一つは、おぼろげながら知っていた事を明確に知る事によって驚いたグループと、あくまでも私の説明そのものに疑義を持っているグループ(三人)である。疑義グループの一人A君が「先生、その説明に明確な証拠があるんですか。先生の決めつけで言っていませんか」と言ってきた。この瞬間、遠い三十年前の私の高校時代が頭を過った。三十年前、私は、各教科の先生にその教科が何のために存在しているのかを質問し、納得いかなければとことん論戦を挑んだ。所謂、「いやな、うっとおしい生徒」であった。

 そんな中で、生徒の疑問や行動に、キッチリと答えられる先生になろうとこの道に入ったはずである。

 ここ数年、教育に対する管理体制が強化され、社会情勢の変化とともに、我々教職員に抵抗し、問題提起してくる生徒はほとんどと言っていいほどいなくなった。

 授業中のこの二人の生徒の意見は、千歳一遇のチャンスと思い、一つ一つの日本政府・日本軍の行為を、客観的資料と証言等を示しながら説明した。一人の生徒B君は耳を塞ぎながら「聞きたくない」と拒絶した。自衛隊志望であり、三島由紀夫を崇拝するこの生徒には、いかに説明しても拒否であったが、もう一人の生徒A君から「先生の話だけは聞けよ」と言われ渋々従う。説明後、このA君が「でも先生、植民地支配とはそういうものだし、日本の先進技術等を朝鮮に授けた面もあるでしょう」と言う。

 私はその考えが、侵略する側の発想であるし、過去の欧米の植民地支配がそうであった事を説明した。それでも納得しない生徒は、では「拉致事件や、ミサイル問題」はどう思いますかと聞いてきた。拉致の問題は、絶対に許せない事、いかなる理由、いかなる過去のいきさつがあっても許せない事と、ミサイルや核を外交の手段として使わざるをえない共和国の実情と、その根本にあるアメリカの戦略について説明した。

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 約一時間にわたる生徒との議論に終始した授業であったが、いつになく満足感を得る事ができた。一言も言わないでただ議論を聞いているだけの生徒も含めて、彼等にもこれまでの授業では見せなかった意欲(もっと知りたい。先生と生徒の議論をもっと聞きたい)も見てとれた。

 結局、この三人の生徒は私の説明に対して納得はしなかった。A君とはその後も社会科の授業のあり方や、大学入試制度について何回か議論した。授業の中でも、全く参考文献を見ないで「足利義教」についてレポート六枚書いて発表したり、「言霊」について発表するなど、まことにマニュアックな生徒である。

 しかし、それだけに私自身が学ぶ事が多かった。共和国問題にしても、科学的データ、資料に基づいてやる事も大切である事をA君から改めて認識させられた。過去の日本の過ちに触れると耳を塞ぎ、「そんな事実はない」「すべてデッチあげだ」と言い続けるB君に対しても、彼の考えを聞いてやる事で心を開き、こちらの話もなんとか聞くまでは持っていけた。いずれにしても今回の授業で明確になったのは、

 @今どきの高校生は政治や社会に関心がないとよく言われるが、そんな事はない。多くの生徒がもっと知りたいと思っている

 A故に、「時事問題」的授業を仕組む必要がある

 Bその際、授業展開は、チョークトーク、講義のみでなく、生徒が調べて、発表し、議論するスタイルにする

 C今回の共和国の問題を真に理解しようとすれば、「日本史」「世界史」などで、「日朝関係史」(とりわけ近・現代史)をきちんと時間をかけて教える必要がある

 D我々教職員は生徒から学ぶものである

 −−という事である。A君、B君が卒業した今、一抹の寂しさを感じながら過ごしている。


ふくおか よしお/広島県高校教員

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