エネルギー基本計画と原子力発電

              吉岡 斉

2003.7.20 227−2003.10.20 230



      @

 一、エネルギー政策基本法の成立

 現在、経済産業省においてエネルギー基本計画の策定作業が進められている。それはエネルギー政策基本法(二〇〇二年六月七日に可決成立し、一四日に公布・施行された)に基づく国家計画である。このエネルギー政策基本法は、自由民主党の石油等資源・エネルギー対策調査会(亀井善之会長)のイニシアチブにより、議員立法として二〇〇一年一一月に提出されたもので、立案作業において中心的役割を果たしたのは亀井氏と、同調査会のエネルギー政策小委員会の甘利明委員長、及び加納時男事務局長らである。加納氏は東京電力出身で、自由民主党の原子力発電推進のスポークスマンとして高名である。

 エネルギー政策基本法が提案された際、脱原発団体は提案の動機について、次のように解釈し、野党やジャーナリズムに働きかけた。エネルギー政策基本法は電力自由化により窮地に立たされている原子力発電について、強力に推進する姿勢を法律という形で明確に示すことにより、新たな手厚い行政的支援措置を発動する法的根拠を与えることを狙っているというのである。そうした警戒的世論の高まりに配慮したためか、結果的には法律の条文は抽象的なものにとどまり、原子力発電推進に関する明確な規定も盛り込まれるには至らなかった。

 しかし政府のエネルギー政策に対する地方自治体の準拠責務(第五条)や、事業者の協力責務(第六条)が盛り込まれたことを懸念する意見もある。それによって国家政策の法的束縛力が強化され、電力業界は不本意に国策協力せざるを得ない立場に追い込まれ、地方自治体もまた国策に異議を唱えたり、協力への保留を表明したりすることが困難となるのではないかという懸念である。たとえエネルギー政策基本法が抽象的内容のものであっても、エネルギー基本計画に国策協力要請が明記されれば一大事だという懸念を、原子力に批判的な人々は抱いてきた。その策定作業がいよいよ始まったのである。

 二、エネルギー基本計画とは何か

 エネルギー基本計画は、経済産業大臣がその案を作成し、閣議決定によって決定されるものである。基本計画に含まれる事項は、基本法第一二条によれば次の四つである。

 1.エネルギーの需給に関する施策についての基本的な方針。
 2.エネルギーの需給に関し、長期的、総合的かつ計画的に講ずべき施策。
 3.エネルギーの需給に関する施策を長期的、総合的かつ計画的に推進するために重点的に研究開発のための施策を講ずべきエネルギーに関する技術及びその施策。
 4.前3号に掲げるもののほか、エネルギーの需給に関する施策を長期的、総合的、かつ計画的に推進するために必要な事項。

 このエネルギー基本計画は、エネルギー政策に関する最上位の国家計画である。従来は、石油代替エネルギー法(一九八〇年成立)にもとづく石油代替エネルギー供給目標(長期エネルギー需給見通しの中の数値目標部分に相当し、石油を含む全ての種類のエネルギーの供給目標を定める)が最上位の政策であり、それが閣議決定されてきた。しかしこれからはエネルギー基本計画が最上位となり、それに準拠する形で長期エネルギー需給見通しが定められることになる。

 もうひとつ重要なのは、内閣府原子力委員会との関係である。総理府時代の原子力委員会の決定については、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法第二三条により、総理大臣はそれ十分に尊重しなければならなかった。しかし二〇〇一年一月の中央省庁再編にともなう内閣府移管の際に、第二三条は削除された。その結果、原子力委員会の法的権限は低下した。それでも石油代替エネルギー法第三条には、「経済産業大臣は、供給目標のうち原子力に係る部分については、原子力基本法第二条に規定する基本方針に基づいて行われる原子力に関する基本的な政策について十分な配慮を払わなければならない」という配慮規定が記載されていた(逆の配慮規定はなかった)。その意味で原子力に関しては原子力委員会決定の方が、経済産業省よりもなお上位にあった。

 しかしエネルギー基本計画においては、原子力委員会決定への配慮規定は存在しない。エネルギー基本計画が閣議決定によってオーソライズされたならば、原子力委員会がそれに準拠しなければならなくなる。エネルギー基本計画の変更のたびに、それに準拠して原子力長期計画が(基本計画の原子力に関する各論として)改定される、という新たな政策決定の段取りのルールが作られるものと見られる。

 さらに付け加えるならば、エネルギー基本計画と長期エネルギー需給見通しの両者の間の重要な相違点は、後者が基本的に商業原子力発電の設備容量(及びその関数としての発電電力量)のみを対象としているのに対し、前者が原子力開発利用のあらゆる側面を対象としていることである。つまり研究開発段階の事業(高速増殖炉もんじゅ等)や、インフラストラクチャー的事業(六ヶ所村再処理工場等)についても、エネルギー基本計画の中に方針が明記されることがあり得る。その点で経済産業省の原子力分野での権限が一段と拡大したことは否定できない。

 三、エネルギー基本計画の策定作業

 最初のエネルギー基本計画を策定する作業は、二〇〇三年四月に始まった。その策定作業を担当するのが、総合資源エネルギー調査会に新たに設置された基本計画部会であり、資源エネルギー庁総合政策課が庶務担当課となる。部会長は総合資源エネルギー調査会長の茅陽一氏がつとめる(今回が会長としての最後の職務と聞く)。メンバーは同氏を含め二六名である。そのうち七割程度は、総合資源エネルギー調査会の常連メンバーと、職指定メンバー(石油、ガス、電力等のエネルギー関連業界の筆頭者に割り当てられる)で占められている。現在の原子力政策に批判的な委員は、筆者ただ一名である。

 二〇〇一年に行われた長期エネルギー需給見通しの改定(総合部会と需給部会の合同部会による)に際しては、原子力政策に批判的な委員が複数名、総合部会委員に任命されたが、今回の審議では一名にとどまった。なお筆者は一九九七年より原子力委員会専門委員(二〇〇〇年まで総理府、二〇〇一年より内閣府)をつとめ今日に至るが、経済産業省総合資源エネルギー調査会の委員としては新任である。原子力政策に批判的な者が、双方の委員を兼任するケースは、もちろん史上初である。

 基本計画部会での審議経過を紹介すると、まず第一回(四月二五日)に事務局の方針説明と各委員の意見表明が行われた。第二回(五月一六日)、第三回(六月一一日)、第四回(六月三〇日)の三回にわたり、テーマ別(石油、ガス、新エネルギー、原子力、石炭、研究開発、その他)の討議が行われた。筆者は第二回で報告書全体の総論的な執筆方針が議論されるものと考え、そのための準備書面も用意したが、蓋を開けてみると総論は議論されず、いきなり各論についての議論が石油を皮切りに始まった。その各論的議論は前述のように第四回をもって一応終了した。それを受けて第五回(七月十八日)では、今までの討議を集約して事務局が報告書の骨子案を提案すると見られる。そして早ければ同日、遅くとも第六回(おそらく七月下旬開催)の場で報告書原案が承認され、パブリックコメントと地方会議(札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡等)開催を踏まえて、九月にも報告書がまとめられ、直ちに閣議決定に付されるという段取りになると見られる。

 わずか三カ月程度で報告書原案をまとめるという審議スケジュールは、あまりにも簡略である。各回における委員の発言機会は、ほとんどの場合一回以下であり、複数回発言する者は稀である。それは各テーマの審議時間が三〇分程度しか割り当てられておらず、そのため先着順に一〇名程度の委員しか発言できない仕組みになっているからである。同じテーマで複数回発言することはタブーである。一度しか発言機会がないものだから、委員の誰もが各自の主張(多くは各自の背負っている利害関係に関わる主張)のみを述べ、委員相互間で討論が起こることはない。さすがに原子力に関しては一時間以上の審議時間が割かれ、出席者の大多数が一回ずつ発言したが、各委員の言いっ放しに終始した点では、他のテーマと同様であった。

※議事のあらましについては資源エネルギー庁のホームページ、http://www.enecho.go.jp を参照されたい。

     A

 一、エネルギー基本計画(案)の発表

 前号で、第五回(七月一八日)の基本計画部会において、基本計画の事務局草案が示される予定と書いたが、そのとおりになった。しかもそれがわずか一箇所の修正をのぞきそのまま、部会としての報告書案つまりエネルギー基本計画(案)として、地方広聴会(誤字ではなく、「公」とすべきところを故意に「広」に変えている)、およびパブリック・コメントに付されることとなった。

 地方広聴会とパブリック・コメントの実施要領について詳しくは、資源エネルギー庁ホームページを参照されたい(http://www.enecho.go.jp )。地方広聴会(意見発表者は公募ではなく、事務局が人選をして依頼をする)の第一回は、すでに東京で開かれた(八月五日)。あと五市の開催が予定されている。仙台(八月一八日)、名古屋(八月二〇日)、札幌(八月二二日)、大阪(八月二五日)、福岡(八月二八日)、である。パブリック・コメントの締切日は、八月二八日である。そして地方広聴会とパブリック・コメントを受けて、第六回基本計画部会(九月八日)で、報告書案の修正に関する審議が行われると見られる。そして第七回部会(一〇月一日)で、基本計画が承認されることとなろう(細部は会長一任という形で処理されると思われる)。その後、閣議決定をへて国会報告へと進む。

 審議手続きという観点からみたエネルギー基本計画(案)の著しい特徴は、基本計画部会での報告書案の内容骨子に関する同意が得られていない段階で、地方広聴会とパブリック・コメントが開始されたことである。具体的にいうと、第五回基本計画部会(七月一八日)の遅くとも一週間前までには、事務局草案のそのまた草案が、主要関係者に流れていたものと見られる。その傍証として、骨子を示したフライング気味の新聞記事が、一週間前頃から出始めている。それが主要関係者の合意をへて、会議のわずか三日前(七月一五日)に各委員に送付された。当日会議に出席した各委員は、出席者一人あたり平均五分程度、一回限りの簡単なコメントを述べたにとどまる。(筆者は例によって長文の意見陳述書を事前に提出し、その要点を説明するために一〇分余の発言を容認してもらった)。

 通常の政策決定では、草案(通常は事務局案又は座長案として提出される)の内容骨子に対する異論が各委員より提出され、そのひとつひとつをめぐるディベートが審議会で行われる。そして審議会の中で大筋の了解が得られた内容骨子を記載した報告書案がまとめられ、それが公聴会とパブリック・コメントに付される。そうした手続きを経た以上、報告書案の内容骨子は審議会参加者(委員および事務局)の力関係のバランス構造が、それなりに忠実に反映されたものとなっている。そのため、そのあとに公聴会とパブリック・コメントを実施しても、字句の修正程度にしか国民意見は反映されないのが常である。

 ところが今回は、全くディベートが行われないまま報告書案がまとまった。各委員がそれに同意したのは、部会長の茅陽一氏が会議の冒頭で、「今回は部会での審議と、国民意見聴取とを同時並行的に行う方式にした」と述べ、末尾で資源エネルギー庁長官の岡本厳氏(七月一杯で退任し、顧問に就任予定。後任として日下一正氏が八月一日付けで長官に就任)が、同趣旨の発言を繰り返したためである。それゆえ公聴会やパブリック・コメントで出された国民意見は、審議途上で出された意見ゆえ、報告書に反映される余地が理屈上は大きい。なぜこの「同時並行方式」が採用されたのかは不明だが、政府審議会においてより早い段階から国民意見聴取を始める仕組み(具体的手法のアイデアは多々ある)を導入する先駆けとなれば、前例として意味はある。

 二、「エネルギー一家」の家族会議

 もっとも資源エネルギー庁関連の政府審議会の運営の仕方が旧態依然のままでは、エネルギー関係の審議会で国民意見が取り入れられる公算は小さい。なぜなら従来の運営様式は、「エネルギー一家」の家長(資源エネルギー庁)が、家族構成員たち(エネルギー関連諸業界の代表者や代理人)の意見をひととおり聞き、その上で家族構成員の皆(石油業界、電力業界、ガス業界等々)がそれなりに納得してくれるような裁定を下すという、家族会議のアナロジーがよく当てはまる様式だからである。この様式の根底にある認識は、国家政策は国民や人類の公共利益のためではなく、「エネルギー一家」のためにあるという認識に他ならない。

 その認識によれば審議会というものは、何が公共利益に最も叶う政策上の選択肢であるかについて、必要な情報を全て揃えた上で徹底的な論争によって結論を出す場ではなく、事務局をつとめる官庁が、業界関係各委員(その多くは職指定で指名される)の主張を聴取したうえで、その全てに配慮した報告書案をまとめ、各委員の同意を得るための場なのである。業界との結びつきが希薄な第三者的委員(筆者を含む)の意見については、落とし所とした結論に背反しないものは採択し、背反するものは棄却するのが、事務局の使命である。国民や人類の公共利益に関わらない私的な案件(遺産相続等)に関する決定については、部外者が異論を差し挟む余地はない。しかしエネルギー政策は公共政策であり、そこにおいて上記のような仕組みがとられていることは問題である。

 以上のような仕組みにおいては、事務局が各委員の意見の採否の権限を掌握しており、各委員は事務局に対して、意見を聞き届けてもらうための「陳情」を行う立場に置かれる。その立場は公聴会の意見発表者と何ら変わりがない。委員に事実上の決定権はないのである。そして委員は二つの階層に分かれている。上位の階層に位置するのは、意見を聴いてもらいやすい業界関係委員であり、それ以外の第三者的委員は下位の階層に位置する。公聴会の意見発表者はさらにその下のランクであり、パブリック・コメント提出者はあらゆる発言者のなかで最下位に位置する。いかに論理的・実証的に説得力のある議論を展開しても、事務局の望んでいる「落とし所」に適合しなければ棄却されるだけである。このような仕組みはあらゆる省庁の所轄する政府審議会に、程度の差こそあれ当てはまるものであるが、経済産業省わけても資源エネルギー庁においては、「紙芝居」のような単純明快な運営が今も行われている。

 参考までに述べると、今回の基本計画(案)の作り方は、次のようなものであった。まず事務局が、部会設置前に開かれた「総合資源エネルギー調査会メンバーによる懇談会」(二〇〇二年一〇月、一一月、一二月の計三回)で出た論点をもとに、おおまかな筋書きと論点に関するメモを作り、初回に配付・説明した。それに毎回の各委員の意見の中から、事務局が取捨選択した論点がメモに追加されていった。取捨選択の権限はすべて事務局にあり、筋書きに合わない意見は記載されなかった。筆者は毎回、長文の意見陳述書を提出し、その説明を行ったが、その主張の大部分は、議事においてこれといった反論を受けなかったにもかかわらず、事務局裁量により棄却された。

 事務局草案の作成作業は、総合政策課を中心に、エネルギー行政を所轄するすべての部署(資源エネルギー庁のみに限らない)の代表者との密接な意見交換のもとで行われたと推定される。その結果として、各部署の利害に関わる記述に関しては、相当の加筆修正が行われたものと推定される。本文を読むと、業界関係者が直接赤字を書き入れたのではないかとの疑いを抱かせるような、露骨に業界権益を擁護するような文章が散見されるが、かりに直接の関与がなかったとしても、当該業界を所轄する部署の代表者が、代理人としてそれを行ったならば、効果は同じである。この事務局草案作成に際しては、茅会長も立ち会い、色々意見を述べたというが、監修者的役割にとどまったと思われる。

 このような運営様式で政策が作られるのであれば、部会での審議と国民意見聴取を「同時並行方式」で進めたとしても、実質的な意味はないと思われる。

 三、従来路線に執着するエネルギー基本計画(案)

 今まで述べてきたような審議会運営の様式から考えれば、当然予想できたことではあるが、エネルギー基本計画(案)はまさに、「エネルギー一家」の家族会議の合意書のようなものとなった。それは基本的には、従来のエネルギー関連諸分野に関する政策を要約したような内容となっている。つまり二〇〇一年七月に総合資源エネルギー調査会が答申した一連の報告書−−経済産業省資源エネルギー庁編『みつめよう!我が国のエネルギー』、経済産業調査会、二〇〇一年、に収録されている−−に示された従来の政策路線を堅持するという姿勢を再確認していることが、今回の基本計画(案)の最大の特徴である。その点で、官庁と業界との間の従来の協定書の有効期限を延長したような文書である。ここで従来の政策路線(従来路線)とは、内容面と体制面の双方に関わるものであり、密接な官民連携体制のもとで、従来の主要措置を継続するというものである。責任体制が不明確なまま税金を湯水のように浪費し続け世論の批判を浴びてきた悪名高い政策(石油自主開発政策など)も、見直しの対象となっていない。

 実のところ、二年前に示された政策路線を堅持する姿勢を再確認することが、資源エネルギー庁にとって、この基本計画の最大の狙いであったと思われる。前号で述べたように、エネルギー政策基本法は自由民主党を中心とした与党三党によって提案された議員立法であり、経済産業省(資源エネルギー庁)がその行政的課題解決の必要性に基づいて、みずからのイニシアチブによって作ったものではない。おまけにそれはエネルギー政策決定の仕組みを、行政主導から政治主導へとシフトさせる可能性も内包している。

 その証拠に、エネルギー政策基本法の制定に、自由民主党石油等資源・エネルギー対策調査会会長として、主導的役割を果たした自由民主党の亀井善之氏(現在、農林水産大臣)は、『日本エネルギー改造論』(エネルギーフォーラム、二〇〇二年)の中で、次のような認識を示している。エネルギー政策は、「大きな時代の流れ、国際情勢の変化の中で、日本という国家の歩むべき道は何か」という観点から論ずべきであり、決まった組織の中で与えられた仕事しかできない霞が関の官僚には、絶対に不可能なことである。官僚中心の予算獲得ゲームから、縦割り行政の枠をこえた政治主導の国家政策として、エネルギー政策を決定すべきであり、その担い手として、首相直属の国家エネルギー戦略チームを設置する。資源エネルギー庁は、安全確保と消費者保護(公正取引)のための規制組織に純化すればよい。エネルギー供給の担い手は民間であり、民間の力を最大限に活用すべきである。日本のエネルギー政策は、エネルギーセキュリティ対策という大義により、三〇年前ならばともかく現在の産業政策では通常考えられないような手厚い産業支援が行われてきた。オイルショック以降のエネルギー政策を総決算し、役割を終えた昔の政策目標や政策ツールは見直すべきだ。たとえば石油自主開発は基本的に純粋な民間ビジネスと認識し、国は側面支援にとどめてはどうか。電源開発については、電源三法への依存体質からの脱却が必要である。もんじゅは社会ニーズなき開発プロジェクトである。核燃料サイクル政策は、プルサーマル関連を除き、全面的に再構築すべき時期に来ている。

 これはほとんど資源エネルギー庁無用論に等しい。とくに光っているのは、歴史認識のくだりである。それは筆者の歴史認識とも近い。筆者の歴史認識では、国家総動員時代から占領期にかけて、経済活動に対する国家介入の度合いがきわめて高い時代があった。これは「一九四〇年体制」などと呼ばれることがある。それが一九五〇年代から次第に緩和されて今日に至る。ところがエネルギー分野だけは他分野と異なる動きを見せた。二度の石油危機が起きた一九七〇年代において、むしろ国家介入が強化されたのである。その時代に作られたシステムが、エネルギー政策分野では、三〇年を経た現在もなお生き残っている。それを抜本的に見直すことが、歴史的に要請されている。亀井氏もそうした歴史認識を筆者と共有していると思われる。

 そうした「政治家対官僚」の緊張関係がある以上、資源エネルギー庁としては、基本計画の審議を始めること自体に消極的だったと思われる。エネルギー政策基本法が成立してから一〇か月後にあわてて、基本計画部会が立ち上げられた背景には、資源エネルギー庁が他の業務に忙殺されたという事情の他に、そうした消極的姿勢があったと推定されるのである。

 ここで他の業務というのは、エネルギー特別会計見直し(二〇〇二年夏から〇三年春まで)と、東京電力事件の善後策の二つである。エネルギー特別会計は、電源開発促進対策特別会計(電源特会)と、石油及びエネルギー需給構造高度化対策特別会計(石油特会)に二分されるが、このたびの見直しにより、新エネルギー対策が電源特会から石油特会に移され、石油・ガスに加えて石炭も新たに課税対象に加えられた(炭素一トン当たりわずか七〇〇円に相当する税率であり、環境省主導で進められている炭素税導入を妨害するための牽制措置ではないかとも見られている)。それと並行して資源エネルギー庁は、東京電力検査・点検偽装事件の収拾作業にも精力的に取り組んだ。それを恰好の大義名分として資源エネルギー庁は、エネルギー基本計画の策定作業を棚上げにしてきたのである。それが今夏までに最初の基本計画をまとめよという国会議員からの強い圧力を受け、ようやく重い腰をあげたというのが真相と見られる。

 四、資源エネルギー庁解体論の台頭

 資源エネルギー庁にとって不都合なことは、今日の原子力政策における主要争点として、核燃料サイクル問題と並んで、安全規制行政機構改革問題が、関心をあつめていることである。原子力発電に批判的な個人・団体や、原子力施設を抱える地方自治体(福島県、新潟県)などが、原子力安全・保安院の経済産業省からの分離・独立を、安全規制を実効性あるものとするための必要条件として要請している。原子力発電の推進と規制の分離は先進諸国では常識であり、フランスでさえ原子力規制機関は産業省と環境省の共管となっている。この分野では効率よりも公正を優先すべきだという主張には説得力がある。だがもし分離・独立が実現すれば、資源エネルギー庁自体が存在することの意義がゆらいでくる。つまり「一九四〇年体制」からの脱却が進めば、規制関係の必要最小限の部署を、他局に移管させて残すという形で、資源エネルギー庁を解体することは十分可能である。

 資源エネルギー庁無用論は、従来からいわれてきた内閣府原子力委員会無用論とは、やや性格の異なるものである。原子力委員会はあってもなくても大勢に影響のない人畜無害の組織である。それに対して資源エネルギー庁は「抵抗勢力」の牙城のような組織であり、それを解体することは大きな効果をもたらす。別の言い方をすれば原子力委員会無用論が人畜無害であるのに対し、資源エネルギー庁無用論は猛毒を含む。

 そうした将来への脅威を内包しているがゆえに、行政主導から政治主導への転換に関して、資源エネルギー庁は防衛的姿勢を強めざるを得なくなっていると見られる。もし政権が「改革勢力」の手に握られるような事態が生ずれば、脅威は現実のものとなる。また「抵抗勢力」が主導権を握り続けても、政治家の介入の余地が広がれば重要政策を含む政策全般の存立基盤が不安定なものとなり、もののはずみで政策転換がなされる可能性が高まることは避けがたい。このように、もし「政治家対官僚」(自由民主党対資源エネルギー庁)という対立構造が、エネルギー政策基本法成立を機に顕在化する様相をみせているのであれば、エネルギー基本計画という「他人の褌」を借りる形で、政治家の攻勢を凌ぎ切り、従来路線を堅持することこそが、資源エネルギー庁の将来にわたる繁栄にとって死活的に重要である。業界保護だけではなく資源エネルギー庁の存続も掛かっているがゆえに、基本計画(案)は従来路線に頑なまでに固執する内容となったと思われる。

 以上のような先入観を抱いて今回の基本計画(案)を読んでみると、資源エネルギー庁官僚の自由民主党政治家に対する「面従腹背」の姿勢を、明瞭に読み取ることができる。基本計画(案)の構成と表現は一見して、エネルギー政策基本法にきわめて忠実である。ところでエネルギー政策基本法は、抽象的な一般原則。。政策選択の価値基準に関する規定(第二〜四条)と、エネルギー需給関連主体の責務に関する規定(第五〜九条)とに、大きく二分される。。を列挙しただけのものである。官民癒着体制を改めるべきだという規定はないし、どのような種類のエネルギーについて、どのような措置を講ずるべきかについても、具体的には何も述べていない。たとえば原子力発電とその核燃料サイクルについても、全く言及がない。その空白を突いて基本計画(案)は、構成と表現において法律に対する忠誠を守りつつ、具体的方針において従来路線の堅持を唱えるものとなった。

 この「面従腹背」の姿勢を貫くことさえできれば、政策の国民に対する説得力はどうでもよいという姿勢が、基本計画(案)の随所にあらわれている。最も典型的な論法は、「安定供給」「環境保全」「経済効率」というエネルギー政策が重視すべき三つの価値基準(関係者の間では3Eなどと呼ばれる)に照らして、単一またはいくつかの優れた特性をもつことを理由として、一足飛びに開発利用推進の結論を下す論法である。たとえば、安定供給の重要性という論点から直ちに、石油自主開発の展開や、準国産エネルギーたる原子力発電の着実な推進、といった結論を出している点である。どんな種類のエネルギーも優れた特性の一つや二つを備えているものだが、その優れた特性を力説すれば、上記の論法ではどんな種類の事業も正当化される。しかも政策措置の費用対効果についての評価も、上記の論法では取り入れられる余地はない。それにより政策決定者の恣意的裁量の余地は際限なく拡大する。

 資源エネルギー庁としては、政治家介入の脅威に対して、みずからと業界の権益を守り抜こうとする姿勢をとることは無理からぬところである。だがそうした頑な抵抗戦術をとることは、資源エネルギー庁をかえって窮地に追い込むおそれなしとはしない。農林水産行政、道路行政、河川行政などと並んで、エネルギー行政は官民癒着の利権行政となっており、余分の国民負担を強いているという認識がさらに広がれば、エネルギー行政機構の抜本的再編への世論が高揚する可能性もある。その場合、資源エネルギー庁の「解体的再編」が、エネルギー政策の合理化のための現実的ターゲットとして浮上してくると思われる。安全規制行政を他機関(内閣府又は環境省)に移管し、行政を他産業並みにスリム化し、必要な業務(審議会の事務局機能など)の民間へのアウトソーシングを最大限に進める、といった改革案が浮上してくる可能性がある。

 基本計画(案)及びその後の審議における原子力開発利用分野に関する取り扱いについては、次号に回すことをお許し願いたい。

     B

 一、基本計画部会の審議状況

 今回の主題は、エネルギー基本計画(案)に含まれる原子力発電に関する方針を紹介し、その問題点を分析することである。

 本論に入る前に、前号原稿執筆後つまり八月中旬以降の基本計画部会の審議状況について報告する。六回の地方広聴会(東京、仙台、名古屋、札幌、大阪、福岡)は、全て予定通り開催された。そしてパブリックコメントも八月二八日に締め切られた。寄せられた意見は二四四通であった。当初予定ではこれを受けて九月八日に第七回部会が開かれ、国民意見の反映について審議される予定だった。


 しかし九月一日に急遽、部会が開かれることとなった。全国知事会が八月七日にエネルギー基本計画等の策定に関する緊急要望を発表したのが、その発端である。この緊急要望の要点は、地方自治体の意見を聞かずに基本計画を決定するのは誤りであり、地方自治体の意見を基本計画に十分に反映させるべきだ、というものである。具体的要望としては、審議機関(基本計画部会)の委員に地方自治体の代表を加えることと、地方自治体の意見を聞く機会を設けることの二点が挙げられている。また基本計画に反映させるべき地方自治体の意見として、原子力規制行政の見直し(原子力安全・保安院の経済産業省からの分離・独立が示唆されているが、明瞭に表現されてはいない)が挙げられている。

 政府の原子力政策に対して二〇〇一年春以来、批判的立場を堅持してきた福島県の佐藤栄佐久知事が、この緊急要望の策定を主導したとみられる。エネルギー政策基本法は、地方自治体の国家政策への準拠責務を規定している。にもかかわらずその策定に際して、地方自治体の意見を聞く場は設けられなかった。そしてエネルギー基本計画(案)も、法の規定を引きずる形で地方自治体の準拠責務を指摘しているが、地方自治体の代表は基本計画部会の委員に含まれていなかった。そうした経済産業省の地方自治体軽視の姿勢に対して、全国知事会が抗議の声をあげるのは当然であった。

 さて、緊急要望に答えて、九月一日の第七回部会が開催された。当日は、橋本昌(茨城県知事)、河瀬一治(敦賀市長)、永野英詞(愛媛県出納長)、百合一郎(東京都環境局都市地球環境部長)、船橋功一(川越市長)の五名が、意見発表者として発言を招聘者として意見を述べた。なお橋本昌氏は基本計画部会の委員として追加された(総勢二七名となった)。当日の審議で一番論議を呼んだのは、原子力安全・保安院の経済産業省からの分離・独立問題であった。二名の委員(筆者を含む)がそれをサポートする発言をし、他の二名の委員が、猶予期間を与えて仕事ぶりを見てから決めればよいという趣旨の発言をした。この案件は、また議論されるであろう。

 この飛び入りがあったため、九月八日に予定された部会は中止となった。そして九月二四日に開かれる第七回部会の場で、事務局による基本計画の改訂案が発表され、審議が行われる見込みである。その改訂案は数日前までに準備され、自由民主党のエネルギー族議員グループの了解を得た上で、各委員に届けられるとみられる。ちなみに基本計画(案)の記述は、自由民主党のエネルギー族議員グループが六月末にまとめた報告書に、多くの点で準拠している。これは地方自治体の政府に対する準拠責務にも比肩すべき事態である。つまり政府の自由民主党に対する準拠責務に他ならない。経済産業省の官僚がこれにより窮屈な思いをさせられていることは同情に値するが、公共利益に奉仕すべき政府官僚が、特定政党の議員グループの意思に従属させられることは、公共政策の私物化に関わるゆゆしき問題である。

 ともあれ第七回部会(九月二四日)に委員から出された意見を踏まえて、再改訂案が第八回部会(一〇月一日)に提出され、異論続出という事態が起こらない限り、一部の修正を会長(事務局)に一任する形で、再改訂案が計画として承認されると予想される。そして経済産業大臣に答申され、閣議決定に付され、国会報告が行われることとなる。

 二、エネルギー基本計画(案)に示された原子力発電支援政策の概要

 これより本論に入る。前回述べたように、基本計画(案)の特徴は、従来のエネルギー政策の重要事項を全て記載し、それらを継続することを明記している点である。重要な従来政策の廃止又は抜本的見直しに関する勧告は一件も見当たらない。従来政策をあくまで堅持するという事務局の姿勢が、そうした記述の背景にある。そうした「保守的」方針をベースとし、経済産業省が新たに導入したい政策メニューを随所に散りばめたのが、今回の基本計画(案)である。

 原子力発電についても、そうした基本方針がしっかりと適用されている。まず従来の数々の手厚い優遇政策については、その公共利益にとっての妥当性の検証を行わないまま、これを追認している。ただ他の種類のエネルギーに関する記述と比較して、政策上の新機軸に関する記述が多く見られることが、原子力発電に関する記述の特徴である。電力自由化の推進(不可避かつ不可逆であると予想されている)によって原子力発電が大きなマイナスの影響を受けるので、その事業拡大を続けるためには、一層手厚い政府支援が必要だという理由により、新機軸の導入が他分野と比べて目立つ結果となっている。

 まず基本計画(案)の本文の一部分を紹介する(一一〜一二ページ。第三節、1.原子力発電の導入、(5)「電力小売自由化と原子力発電、核燃料サイクル推進との両立のあり方」全文)。基本計画(案)の他の部分にも、原子力発電(核燃料サイクルを含む)に言及している箇所があるが、新たな具体的措置の導入に関する記述はここだけである。

 「電力小売自由化の進展に伴い、特に初期投資が大きく投資回収期間の長い原子力発電については、事業者が投資に対して慎重になることも懸念される。特にバックエンド事業については、事業期間がきわめて長期に及ぶものもあること等から、その投資リスクが大きくなることが懸念されている。

 このような事情の下で、原子力発電について引き続きその推進を図る観点から、所要の環境整備を行う。具体的には、原子力発電のような大規模発電と送電設備の一体的な形成・運用を図ることができるよう、発電・送電・小売りを一体的に行う一般電気事業者制度を維持するとともに、原子力発電をベース電源として有効に活用するため、広域的な電力融通の円滑化等により、原子力発電による発電電力量の吸収余地を拡大する。また、原子力発電が強みを発揮しうる長期安定運転を確保するため、需要が落ち込んでいる時に優先的に原子力発電からの給電を認める優先給電指令制度や長期的に送電容量を確保することを可能とする中立・公平・透明な送電線利用ルールの整備をはかるとともに、発電用施設周辺地域整備法に基づく支援を原子力発電を始めとした長期固定電源に重点化する。

 さらに、バックエンド事業について、国の政策としての推進と企業としての投資リスクの整合性を図ることが重要であり、投資環境整備の観点から、適切な制度及び措置を検討し、整備していく必要がある。このため、バックエンド事業全般にわたるコスト構造、原子力発電全体の収益性等を分析・評価する場を立ち上げ、その結果を踏まえ、官民の役割分担の在り方、既存の制度との整合性等を検討した上で、平成一六年末までに、経済的措置等の具体的な制度及び措置の在り方について検討を行い、必要な措置を講ずることとする。」

 以上の文章は、無理な論法や官僚的な隠語的表現を含んでおり、きわめてわかりにくいが、筆者なりに解説を添えて整理すると、次のようになる。

 (1)原子力発電施設の新増設を、送電インフラストラクチャー整備コストへの懸念なしに行えるようにする、つまり全国のどこでも発電設備と送電設備のマッチングが、追加コストなしに行えるような条件を堅持する、という方針が示されている。(ところで発送電一貫体制の是非ということは、電力自由化の制度設計の核心をなす根本問題であり、総合的な判断が必要である。その堅持という根本的選択を、原子力発電への側面的支援のためという些細な論拠から正当化することは、まさに本末転倒であるが、論法上はそのような形をとっている)。

 (2)原子力発電施設の新増設にともないますます深刻化すると予想される余剰電力処理問題に、電力会社が十分に対処できるようにする、という方針が示されている。日本の電源構成の中で、ベースロード電源。。昼夜兼行でノンストップ運転をすることを前提として建設される大型発電施設を指す。原子力発電施設は技術的・経済的理由から、運転・停止の繰り返しや出力調整が困難である。また大型石炭火力発電施設も、経済的理由から運転・停止の繰り返しは不利である。この二種類の発電施設が、このカテゴリーに属する。。の比率が高過ぎることが、電力会社に原子力発電施設の新増設をためらわせる重要な要因となっている。電力需要が低い季節や時間帯(通常は一月二日に年間最低値が記録される)でも安心して、原子力発電のフル出力運転を続けられるかどうかが、電力会社の大きな関心事である。「優先給電指令制度」はそれを強制力をもって実現させる手法である。また「広域的な電力融通の円滑化」は原子力発電(ベースロード電源)の比率が高い電力会社の負担を、他の電力会社と平準化する措置である。ここで問題となるのは、ベースロード電源の比率が高すぎる電力供給システムが、その維持のために必要なインフラストラクチャー・コスト(揚水発電施設の建設費など)を含めて考えれば、経済的に非効率となる恐れが高いことである。

 (3)原子力発電の発電コストが高くても、自由化された市場において火力発電との競争を免除してもらうことにより、電力会社が安心して原子力発電施設の新増設を行えるようにする、という方針が示唆されていると解釈できる。これに該当すると見られるのが 「長期的に送電容量を確保することを可能とする中立・公平・透明な送電線利用ルールの整備」という隠語的表現である。これが事実上、「核エネルギー割当基準」NPS(nuclear energy portfolio standards)−−自然エネルギーに関して導入が始まった再生可能エネルギー割当基準RPS(renewable energy portfolio standards)の原子力版。全小売会社(あるいは全発電会社)に原子力発電による電力供給を「一定比率」以上とするよう義務づけ、不足分についてはイエロー証書(自然エネルギーに関するグリーン証書に対応するもので、イエローというのはウラン鉱石の色に基づく筆者の命名)を証書市場で買い取らせることを骨子とする−−の導入を意味するのではないかと、懸念されている。上記の「一定比率」を十分大きな値に決めれば、既存の原子力発電は全て火力発電との競争を免れ、さらに新増設分も保護される。あるいは自然エネルギー支援と一体化された非化石エネルギー割当基準NPS(non-fossil energy portfolio standards )の導入という形も、理論的には可能である。

 (4)原子力発電施設の立地に関する政府支援をさらに一段と手厚いものとする、という方針が示されている。(一九七四年制定の電源三法に加えて、二〇〇〇年に発電用施設周辺地域整備法が制定されたが、それによる支援をさらに拡充する)。

 (5)民間の原子力バックエンド事業−−原子炉から使用済核燃料を取り出してからの諸工程に関わる事業の総称であり、核燃料再処理と放射性廃棄物貯蔵・処分が、金額的に大きな比重を占める−−に対して政府支援を行う、という方針が示されている。本文中にある「バックエンド事業全般にわたるコスト構造、原子力発電全体の収益性等を分析・評価する場」は、総合資源エネルギー調査会電気事業分科会となると見られる。バックエンドコストについては、政府よりも一足先に電気事業連合会(核燃料サイクル事業推進本部)が、二〇〇一年より評価作業を開始している。二〇〇三年五月にメディアにリークされた情報(共同通信五月一五日配信記事等)によると、電気事業連合会の上記試算作業に関連する情報として、日本原燃六ヶ所村再処理工場を二〇四五年まで(四〇年間)操業した場合の総費用(高レベル放射性廃棄物処分コストを除くが、TRU廃棄物処分コストを含む)が、一五兆九〇〇〇億円(うち工場解体費二兆六〇〇〇億円)に昇り、そのうち九兆一〇〇〇億円は財源捻出策が決まっていないとする情報が、提供されたという。(残りの六兆八〇〇〇億円については、電気料金収入から積み立てる再処理引当金によって処理されるという)。この不足分を電力消費者が消費量に比例して支出する「バックエンド税」(一キロワットアワー当たり数十銭となると見込まれる。ちなみに電源三法にもとづく電源開発促進税は四四・五銭)によって回収するという構想が、電気事業連合会内部で固まりつつあると噂されている。それを法制化するための突破口を、エネルギー基本計画に盛り込んで置こうというのが、こうした表現が取り入れられた理由である。

 基本計画(案)の本文は、はなはだ理解しにくいが、上記のように内容を整理してみれば、そこにきわめて強力な原子力発電支援政策が含まれていることが分かる。

 三、「根拠に基づかない政策」としての原子力発電支援政策

 エネルギー基本計画(案)は、従来の原子力発電支援政策を全て温存するとともに、いま述べたような新たな追加的な原子力発電支援政策の導入を示唆している。にもかかわらず、その正当性の説明はきわめて説得力に乏しい。なぜなら、原子力発電はエネルギー安定供給性を高めるという論点や、温室効果ガス排出削減に役立つという論点を挙げ、そこから一足飛びにありとあらゆる原子力発電支援政策の推進を勧告するという論理構造となっているからである。

 公的支援政策は多くの場合、国民負担や需要家負担を増大させるものであり、そうした犠牲に見合うだけの公共利益増進効果がなければ、導入は認められないというのが、公共政策の鉄則である。また同じ効果をもつ別の政策的選択肢があれば、それらと比較衡量のうえベストの選択肢をとるというのが、公共政策の鉄則である。その大前提となるのは、原子力発電に対する政府支援のもたらすと期待される公共利益上の効果を正確に評価することである。だがエネルギー基本計画(案)では、従来政策と追加政策のいずれに関しても、丁寧な評価作業は一切行われていない。原子力発電分野では、大きな国民負担・消費者負担を伴う「根拠に基づかない支援政策」が、残念ながら罷り通っている。(エネルギー政策全体についても同様のことがいえる。さらに他の政策分野でも同様のケースが多く見られる)。

 エネルギー基本計画(案)に盛り込まれているほとんど全ての原子力発電関連政策は、そのような性質のものである。したがってそれらについては、問題点を詮索するまでもなく単純に棄却すべきである。「対手にせず」が知的な大人の適切な対処法である。しかしこれでは身も蓋もないので、原子力発電に対する適切な支援政策はどのように選択すべきかに関して、筆者なりのマニュアルを提示してみる。

 エネルギー政策における政府の役割は、政府事業の推進と、民間事業の規制・誘導の二種類である。政府事業の推進は、公共利益増進に寄与するとともに、民間事業に委ねることが不可能または不適切なケースについてのみ、認められる。民間事業の規制・誘導は、経済効率競争によっては達成できない公共利益の確保という目的に寄与する場合にのみ認められる。民間事業の規制・誘導のための手段としては、政府による民間事業者の直接統制という社会主義的様式は認められず、市場参加者全員に無差別公平に課せられる(間接統制手段としての)ルールのみが認められる。採用しうるルールについては、禁止措置よりも、誘導措置が優先される。それが所定の機能を効率的に果たさない場合にのみ、禁止措置の出番となる。政府の規制・誘導措置の選択のための手続きは前述のように、導入したい措置の費用対効果を評価した上で、他の選択肢と比較衡量を行い、ベストの措置を選ぶというものである。

 政府は原子力発電の拡大が、優れたエネルギー安定供給効果と環境保全効果をもつことを力説し、今回の基本計画(案)でもそれを繰り返している。また核燃料サイクル事業 (再処理を中心とする)の推進についても、安定供給効果をさらに高めるという主張を行っている(ただし環境保全効果に関する指摘はない)。しかしそれらの効果に関する丁寧な評価を示さないまま、きわめて手厚い政府支援措置の数々が勧告されている。それは無責任である。そこで筆者の見解を、前記マニュアルに従って、原子力発電拡大と(サイクル事業の中核をなす)核燃料再処理事業推進の二つに分けて述べる。

 安定供給効果の観点から見た原子力発電の特性については、二つの観点から考察できる。第一は、個別エネルギーとしての単独の安定供給度の観点である。第二は、「ベストミックス・イン・セキュリティ」(各種エネルギーの最適な組み合わせ)の観点である。まず第一に、個別エネルギーに関しては、原子力発電は主要エネルギーの中で、実績面において、最も安定供給特性が劣ると思われる。他のエネルギーに関しては戦後復興以来、発電設備使用制約状況が広域的に生じたことはない。東京電力事件によって、原子力分野で生じたのが、唯一のケースである。原子力発電を単独で見た場合、石油等の火力発電と比較して、燃料調達に関するエネルギー・セキュリティ上の特性は、優れていると考えられてきた。燃料である濃縮ウランは供給安定性・価格安定性に優れ、備蓄も容易であるからである。だが濃縮ウラン調達に関するセキュリティが優れていても、全体として優れているわけではないことが、東京電力事件で露呈した。

 第二に、「ベストミックス・イン・セキュリティ」の観点からの原子力発電の特性に関して、評価することは困難である。もとよりエネルギー供給元の多元化は、安定供給にとって効果的であるが、どの程度ならばベストかの判断は難しい。ただ言えることは、ひとつの種類のシェアを高め過ぎることは問題であり、低め過ぎることも問題だということである。東京電力事件の教訓は、原子力発電のセキュリティ上の欠陥が、石油によって辛くもカバーされたということである。このようなセキュリティ特性を総合的に考慮した上で、原子力発電の正味のメリットを算出する必要がある。総じて言えば、特別の優遇措置を講ずるに値する説得的な理由は見いだしがたい。

 次に、環境保全効果の観点から見た原子力発電の特性は、エネルギー1単位を生み出す際の有害化学物質排出量及び温室効果ガス排出量が、火力発電よりも格段に少ないことである。その一方で原子力発電は、事故による放射線・放射能の環境への大量放出のリスクを内包し、また各種の放射性廃棄物を生み出す。そうした正負の環境特性について、それに見合う支援・罰則措置を講ずるのが、政府の適切な行動である。総じていえば、有害化学物質排出に関する厳しい環境基準が設定されていることを前提として、温室効果ガス排出特性に関して化石燃料との差別措置(炭素税がその最善の方途と思われる)を新規に導入するのは適切であるが、それと同時に放射線・放射能リスクへの対策コストを、事業者に負担させる仕組みの導入も必要である。この領域では現在、手厚い政府負担が行われているので、それを原則として全廃することが適切である。たとえば安全規制コストは事業者から徴収する原子力安全税によってまかなうのが適切である。また原子力損害賠償法についても事業者破産のケースを除き政府負担を禁止するよう見直す必要がある。

 核燃料サイクル事業については、再処理路線と直接処分路線との間のセキュリティ上の優劣は、後者に軍配があがると思われる。再処理路線を取れば、最初に使ったウラン資源の十数%の熱量を生み出す能力を持つプルトニウムを回収・再利用できる(一回再処理の仮定のもとで)。回収ウランも再利用すれば二十数%となる。だがもともと安定供給に関して不安材料の少ないウランを、わずかに節約することのプラス効果は小さい。それに対して、プルトニウムは軍事的・政治的にきわめて機微な核物質であり、その安定的運用は保障されない。かりに外国に依存せず国内で完結するような形で核燃料サイクルを構築しても、機微核技術に関する意思決定が国際関係を重視して行われる以上、その安定的運用は保障されない。歴史的実績をみても、再処理路線の安定供給上の特性は、重大な問題を抱えている。日本におけるMOX燃料利用に関する一九九九年以来の状況(英国核燃料公社のデータ捏造事件に端を発する)が、その良い例証となっている。それゆえセキュリティを理由に格別の優遇を行う根拠は十分ではない。

 以上の分析の結論は、政府が原子力発電及び核燃料サイクル事業を優遇する正当な理由は、その諸特性を一覧する限り乏しいということである。また、政府が公費により負担してきた諸コストは本来すべて、事業者によって負担されるべきであり、それがエネルギー間の公正な競争条件を確保する上で不可欠であるというものである。
 エネルギー基本計画は一〇月上旬には経済産業大臣により決定される見込みである。次の連載記事(最終回)では、それが最終的にどのような内容のものとなったかを紹介し批判的検討を加える。

     C

 一、エネルギー基本計画
   の閣議決定まで

 前号では、九月一日の第六回部会までの動きを紹介した。そこで述べたように、九月二四日開催の第七回部会で、事務局による基本計画の修正案が発表された。各委員にはその数日前に暫定版が送られた。主だった委員に対しては担当課長の事前説明が行われた。筆者に対しては九月一九日にそれが行われた(約一時間)。

 事務局修正案の内容を、七月二五日に発表された事務局案(以下、原案と呼ぶ)と比べてみると、重要な方針において本質的な変更はない。とはいえ表現上の加筆・修正箇所は相当に多い。それは事務局原案が、基本計画部会での承認をまたずに広聴会・パブリックコメントに付されたためである。そのおかげで外部からの意見だけでなく、各委員が第五回部会(七月一八日)及びその後に提出した意見もまた、修正案に反映された。その結果、加筆・修正箇所が多数にのぼったのである。修正案の主な特徴は以下の四点にまとめられる。

 第一に、「はじめに」が大幅に拡充された。そこでは基本計画について議論する上で必要なバックグラウンド的情報(歴史的経緯など)が記述されるとともに、安全の確保の重要性が明記され、国民意見を踏まえて柔軟に計画を見直すことの必要性も明記されるようになった。それにより構成面でも、いきなり「安定供給の確保」の重要性から記述が始まっていた原案と比べ、導入部の唐突さが緩和された。しかしながら国民利益にとって最適の公共政策を決めるための「政策選択の方程式」を定める「総論」は、示されなかった。そうした「総論」があってはじめて、内部矛盾を含まない首尾一貫した形で、諸政策全体を束ねた政策体系を構築することができるのであるが、それは示されなかった。もし「総論」を立てていれば、それに照らして従来政策の多くを否定せざるを得なくなったと見られる。なぜなら官民協調の度合いがきわめて強いエネルギー分野での従来政策の多くは、国民利益にとっての合理性ではなく、業界利益への配慮に基づいて決定されており、それらが過去数十年にわたって堆積してきたからである。せっかく新たに「エネルギー基本計画」というハイレベルの国家計画を作るのだから、過去のしがらみはきっぱり清算し、現時点で国民利益にとって最も合理的な政策体系を示すことができたはずである。今回は政策体系のクリーンアップの絶好の機会であったが、それが見送られた。「新しい革袋」に盛られたのは「古い酒」であった。

 第二に、政府の役割と民間の役割の区別が、原案と比べて明確に行われるようになった。原案では民間事業についても、政府が責任主体であるかのような「官民混同」(公私混同)的な記述がきわめて多数にのぼっていたが、修正案では政府の役割が事業そのものの推進ではなく、それに関する(支援、規制、誘導等の)施策の推進であるという観点から、少なからぬ箇所において記述の修正が行われた。とはいえ新エネルギーと原子力に関しては、「官民混同」的な記述がほとんど改められなかった。前者に関しては政府の役割がきわめて大きい分野であることが、その背景にあると見られる。後者に関しては、電力業界が不採算事業(原子力発電炉の新増設や、核燃料再処理路線の推進など)を「国策協力」で推進することに関して、電力業界が自己責任を負うことを拒否する姿勢をとっていることが、その背景にあると見られる。そうした事情に照らせば、核燃料再処理路線に関する記述が、政府のコミットメントをより強調する方向にシフトしていることは、理解できる。六ヶ所村再処理工場の操業によって生み出される莫大な負債を免除してもらうことが、電力業界にとって「国策協力」の絶対条件であり、それを少しでも確実なものとするよう、電力業界が強力な働きかけを行ったものと見られる。

 第三に、原子力をはじめとするエネルギーの供給・利用上の安全の確保についての記述が、大幅に増補された。その背景には、前回紹介した全国知事会の緊急要望と、それに答えて委員として追加された橋本昌茨城県知事の第六回部会での発言がある。二〇〇二年八月に発覚した東京電力原子炉損傷隠し事件によって、原子力発電に対する立地地域住民の信頼は崩壊した。その影響は一年以上も尾を引き、二〇〇三年夏には関東圏電力需給逼迫問題を派生させた。そうした立地地域住民の批判・不満を無視するかのように、基本計画部会のメンバーから地方自治体関係者は除外されていた。それがあまりにも露骨だったため、全国知事会の緊急要望を受けて、あわてて低姿勢に回った結果として、安全の確保についての記述が著しく拡充されたのである。ただし福島県や新潟県が強く要求してきた原子力安全・保安院の経済産業省からの分離・独立については、修正案には記述が盛り込まれなかった。「この改革〔東京電力事件を受けての一連の法令改正〕が全体として有効に機能しているかについては、今後とも立地地域の関係者に十分説明するとともに、継続的に意見交換を行い、聖域なく十二分に検証を行うことが必要である」という抽象的文言が加えられたに過ぎない。

 第四に、原子力分野での電力自由化対策を述べたくだりが、一字たりとも修正されなかった。これについては委員の中から異論が出された他、地方広聴会やパブリックコメントでも多くの批判が集中した。事務局原案全体のなかで、質的にも量的にも最も厳しい批判にさらされたのは、このくだりであったと言ってよい。にもかかわらず、全く無修正のまま修正案が出てきたのは、特筆すべき事態である。その背景については次のように推察される。自由民主党の石油等資源・エネルギー調査会エネルギー総合政策小委員会が六月二七日に発表した「エネルギー基本政策に関する中間報告」に準拠することが、事務局にとって事実上の至上命令となっていた。この「中間報告」の趣旨を基本計画に反映させるに当たって、自由民主党エネルギー族議員団との調整が行われ、七月の事務局原案の表現について合意が得られた。この表現の微妙なニュアンスを変えるにも、自由民主党エネルギー族議員団との再協議が必要だった。それが一字たりとも修正されなかった理由である。いわば「党策」に対して「国策」が準拠責務を負う形となったのである。

 第七回部会(九月二四日)では、この事務局修正案に関して、各委員から意見が述べられたが、反対意見を述べる者が筆者ひとりであることは分かりきっていたが、筆者にとって予想外だったのは、半数近い委員が一言も発言しなかったことである。そのため審議時間が余り気味となり、数名の官僚が次々と筆者の異論に対して弁明するという体裁をとって、時間を消化する結果となった。これにより第八回部会(一〇月一日)での計画承認が確実となった。

 第八回部会では、わずかの修文を加えた答申案が事務局により提出され、(通常は二時間のところを)わずか一時間あまりの審議の末、大筋で承認された。筆者は少数意見の答申への添付を要請し、部会で承認された。その際、近藤駿介委員と河野光雄委員からコメントが出された。その趣旨は、原子力発電に関する答申の記述は穏当なものであり、五〜一〇年前に比べてもかなり改善されているというものであった。それに対する筆者の回答は、次の通りである。たしかに原子力政策は少しずつ現実的な方向へ改善されてきており、一〇年という長い時間間隔をとれば相当の進歩が見られる。化石エネルギー枯渇論のような論点が消えたのはその一例である。そうした点では、一九九四年の長期計画の思想に先祖返りした感のある最近の原子力委員会と比べれば、ずっとましである。しかし変わっていない点の方が多い。その筆頭は核燃料サイクル政策である。そうした点でなお、時代の変化に対して遅れをとっている。(これは事務局に対しては、慰労のメッセージとして受け取られたふしがある)。

 なおエネルギー基本計画案は、基本計画部会から総合資源エネルギー調査会へと答申され、さらに同調査会から経済産業大臣へと答申され、その上で経済産業大臣から閣議決定の場に提出される。筆者の少数意見は経済産業大臣に提出されたが、閣議決定に付されることはなかった。「法律に定められた国家計画について少数意見も含めて閣議決定する」というのは、経済産業省の官僚にとって未経験の世界だったようで、先方も少数意見の扱いには苦慮したと見られる。その結果として大臣への答申までで止めておくという妥協的措置がとられた。

 エネルギー基本計画は予定通り、一〇月七日に閣議決定され、同日国会報告された。これはエネルギー政策分野での最上位の国家計画であり、その策定を受けて下位の一連の国家計画の改定作業が進められることとなる。その中でも原子力発電にとくに関わりが深いのは、総合資源エネルギー調査会需給部会のまとめる長期エネルギー需給見通し(最新のものは二〇〇一年七月に改定)と、内閣府原子力委員会のまとめる原子力開発利用長期計画(最新のものは二〇〇〇年一一月に改定)である。また総合資源エネルギー調査会の電気事業分科会では、原子力発電の自由化対策について、具体的な制度設計に関する審議が行われる見込みである。このうち実質的に最も重要なのは、電気事業分科会の審議となると思われる。

 最後に筆者の少数意見の全文を紹介しておきたい。

 二、「エネルギー基本計画に同意できない理由」

 今回のエネルギー基本計画の主旨は、既存のエネルギー分野での主要施策を丸ごと追認するとともに、原子力発電に関して電力自由化対策としてさらに手厚い政府支援措置を講ずる、というものです。

 何らかの施策を決定するには、その公共利益上の利益と損失を総合評価し、利益が損失を上回ることを立証しなければなりません。さらに進んで、同じ目標を達成するための他の選択肢よりも、当の選択肢が優れていることを立証しなければなりません。

 しかるに基本計画では、ある種類のエネルギーが、安定供給性に優れる側面をもつなど、ある部分的特性をもつことを論拠として、そこから一足飛びに、その種類のエネルギーに対する強力な政府支援措置を打ち出すなど、無理な論法が目立ちます。

 そうした論法により、国民利益増進の観点から首肯しがたい多くの政策措置を提示している点において、私はこの基本計画に同意できません。

 とくに原子力発電政策に関する記述には、上記の難点が集中的にあらわれております。以下、それに絞って異論を述べさせて頂きます。(下記以外にも同意しがたい点が多々ありますが、それらについては第7回部会に提出した私の意見陳述書をご覧ください。)

 原子力発電に関する基本計画の方針の主旨は、次の3点です。

1.政府と事業者が一体となって原子力発電関連事業を推進する。

2.従来の原子力発電優遇政策を堅持するとともに、自由化対策として、さらに追加的な原子力発電優遇政策を実施する。

3.核燃料再処理路線を推進し、民間事業者への支援政策を具体化する。

 これらはいずれも、公共政策として不適切なものです。以下その理由を述べます。

 第1点については、政府が民間事業に直接介入してはならず、規制・誘導ルールの設定とその監督に専念すべきだという自由主義経済の大原則が、蹂躪されています。政府は事業者に期待を表明できても、指令することはできません。政府は民間事業の推進に対する支援措置を講ずることができても、推進することはできません。

 しかし『第3節1』(12〜15ページ)には、そうした大原則を逸脱した記述がきわめて多く見られます。たとえば原子力発電を「基幹電源と位置付け引き続き推進する」かどうかは、個々の事業者が決めることであり、政府の権限を逸脱しています。この種の記述は全て削除が適切です。

 第2点については、従来の政策において、原子力発電が著しく優遇されてきたことを、私は第3回部会意見陳述書の中で、具体的に指摘しました。原子力発電のメリットは、私の第7回部会意見陳述書で述べたように、温室効果ガス排出量の少なさ以外に認められません。だとすれば、温室効果ガス排出に関するペナルティを全ての種類のエネルギーに公平に課した上で、原子力発電に対する優遇措置を全廃するのが適切です。

 従って新規の優遇政策の導入は論外です。にもかかわらず、原子力分野での電力自由化対策を述べた『第3節1(4)』(14〜15ページ)には、既設と新増設を問わず原子力発電炉の生み出す電力が全て確実に売却できる仕組み(優先給電指令制度はその一環です)の構築を、政府が保障する方針が示されています。また他の優遇政策も打ち出されています。これは二重の意味で不適切です。第1は、自由化対策を導入しなければ原子力発電事業の維持が困難になることの説明がないことです。第2は、そもそも原子力発電を優遇するに値する公共利益上のメリットが乏しいことです。

 第3点については、政府が再処理路線の推進者であるとの記述が『第3節1』に多用されていますが、第1点に関して述べたように全て削除が適切です。

 内容面では、核燃料再処理路線が、核燃料サイクルの唯一の路線であるかのような記述となっています。しかし直接処分路線という選択肢もあります。2つの選択肢の優劣の総合評価によって、核燃料サイクルの政策選択が行われるべきことは自明であります。決定先送りのための選択肢として中間貯蔵路線を選択肢に加えることも一考に値します。こうした核燃料サイクル路線選択問題を、あらかじめ除外するのは不適切です。

 また民間事業者への支援政策として、平成16年末までに、政府が経済的措置等、必要な措置を講ずることとするという方針が、『第3節1(4)』末尾に示されています。しかしバックエンドコストは原子力発電を選択した民間事業者が支払うべきものであり、特別の困難な理由がなければ、国民負担によってそれを支援することは不適切です。支援を前提としない評価作業を行うという方針に、改めるべきです。

 なお、政府が今まで再処理路線の推進を指導し、民間事業者がそれに束縛されてきたのは事実と思われます。その束縛を解除するという政策変更が行われた場合、民間事業者は再処理関連事業からの撤退が容易になります。その際、国策協力金として過去に支払ってきたコストを、回収不能コストとして政府に請求する権利があります。しかし、政策変更がなければ、回収不能コストの政府負担は認められません。いわんや将来分については論外です。

 ところで、原子力分野での電力自由化対策を述べた『第3節1(4)』に対しては、委員の中から異論が出された他、地方広聴会やパブリックコメントでも多くの批判が集中しました。ところがエネルギー基本計画のこれに関する記述は、二か月前に発表された事務局案と全く同一であり、一字たりとも修正はありません。不適切な公共政策の導入を考え直す恰好のチャンスをみすみす逃すことは、きわめて遺憾なことです。

 末尾になりますが、少数意見の併記を認めてくださった部会長に、感謝致します。


よしおか ひとし/九州大学大学院比較社会文化研究院 教員

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