インタビュー 上意下達が生む教育破壊と戦時体制化

                        山今 彰

2003.8.20 228


  記者会見する山今広教組委員長(中央)   

 −−広島県の教育界で、尾道市高須小学校の「民間人校長」慶徳氏の自殺、広島県教組本部に対する銃撃、さらに尾道市の山岡教育次長の自殺など、衝撃的な問題が起こっています。広教組として詳しい調査報告も発表されていますが、その原因や背景などについて話していただけますか。

 高須小学校の慶徳校長の自殺について、原因を明らかにすることは簡単ではありませんが、それを誘因したであろうと思われる事は、いわゆる「民間出身校長」という制度そのものがもっている欠陥です。文部科学省の官僚達は、「民間活力の導入」という最近良く言われる行政マンの考え方に立って、何を勘違いしたのか、「民間のキャリア」を持っている者はすぐに校長になれるという、およそ教育にたずさわる官僚としては、あまりにも無能で無謀な制度を取り入れました。

 とくに広島に天下りしていた文部官僚の辰野県教育長は、功名心があったのでしょうが、いち早くこの制度に飛びついて、全国で最初に「民間人校長」制度をスタートさせました。何の研修も行わないままに、いきなり学校現場に「民間人校長」を置いたのです。それは、マツダ出身の三人の中間管理職でした。彼らに、本来の校長としての仕事ができたのかどうかは分かりませんが、出身が営業畑だったこともあり、ある意味では口八丁手八丁で、なんとか飾りとして「校長」をこなしたのでしょう。そして、辰野教育長が広島を去り、同じく文部官僚の常磐教育長にかわり、彼が辰野路線を踏襲するなかで、今回の高須小学校の慶徳校長の問題が起きました。

 慶徳校長は、広島銀行の東京副支店長から転職してきた五五歳でした。この年齢は銀行ではいわゆる「出向年齢」にあたり、関連企業などに出向する訳ですが、彼は希望として「教育関係」と書いていました。しかし、慶徳さんが思い描いていた「教育関係」というのは、学校の校長などではなく、銀行マンのキャリアを活かし、私立の高等学校や大学の事務長として生徒の就職先の世話をするような仕事だったのです。ですから、本人の希望で積極的に校長に応募したのではなく、広島銀行や財界から「白羽の矢」があたって、本当はやりたくもない校長に就任することになってしまったのです。その際に本人がだした条件は、自宅から通えること、小規模校で、大きな課題を抱えていない学校−−というものでした。もし、この条件がかなわないなら断ろうと思っていたようです。

 ところが、現在の広島県の教育界の人事のやり方は、民間とも違ったもので、「意向打診」すなわち、「こういう赴任先だけれども良いのか」と本人に打診があって、「それなら行かしてもらいます」というような関係は一切ありません。赴任する先が一方的に決められ、それが即、発令になるような人事のやり方です。これは、慶徳校長にとって大きな誤算でした。実際、彼には、新聞発表の一日前に赴任先が伝えられ、もう断ることもできず、尾道市の高須小学校に赴任することになったのです。これは、彼が出していた希望を、ことごとく裏切るような条件でした。小学校としては比較的大規模で、自宅の府中町からは遠くて新幹線でしか通えない、尾道市では有名な新興住宅地域で児童が増え続けて課題も抱えている−−という学校です。慶徳校長は、この状況のなかにいきなり入って行かされました。

 そもそも慶徳校長は、学校のことをまったく理解していませんでした。そのうえ、二〇〇二年度からは学校五日制が本格スタートしました。また尾道市では、「尾道教育プラン21」で「一校一研究」なるものが校長にさえも有無を言わさずおしつけられました。そして県教委は、シラバス(授業指導計画)を本格的に作成せよと言ってきました。このシラバスも、表計算ソフトのエクセルでつくれとか、授業の反省を記入する欄を設けよなど、途中で何回も形式を変えさせました。職場はそれへの対応で混乱して、フラストレーションも溜まっているなかで、その県教委の命令についての説明を、事情の分からない校長が教職員に対してやらないといけなかったのです。

 文部省の「是正指導」が始まって以来、教育委員会は、教育問題について「教職員組合とは一切の対話をしない」という方針をとっているので、こういう措置については、すべて校長が窓口になり、校長と現場の教職員がやりとりをするという状況で、その矛盾が校長のところに集中するようになっていました。そこに、学校についてはまったく無経験な慶徳校長が、行政ルートの末端としての立場に置かれ、どうしても、いろいろな質問が彼に対しておこなわれたのですから、「分かりません、教育委員会に聞いてきます」という発言をくりかえすことになった訳です。慶徳さんは、校長という立場になったのですから、当然、彼が対応しなければ学校は運営できません。

 そういうなかで、慶徳校長は赴任した四月一日から四月三〇日まで一カ月間、一日も学校を休んでいません。警備会社セコムの記録をみても、そうなっていますし、教頭も学校に出ていました。学校に出た慶徳校長が、何をしていたのかというと、毎日、洪水のように県教委から降ろされる指示文書(年間一五六七件)への対応のため校長室に六〜七時間もこもって、教頭からのレクチャーを受けていました。一つ一つの仕事について、藤井教頭からの説明を求めるということが、ずっと続きました。必死で仕事をこなそうとしていたのでしょう。そして、五月一〇日に藤井教頭が脳内出血で倒れました。この事態に、慶徳校長は非常に動揺し心因性の抑鬱状態になり、週明けの一三日朝には尾道市教委を訪ねて、山崎教育長に体調の不良を訴え、これから病院に行くと告げました。JA尾道総合病院精神科での診断の結果、「中程度のうつ病と言われました。私はもうダメです」と、慶徳校長はすぐに高須小の職員に電話で話しています。もちろん、この時には教頭はいない訳ですから、電話を受けた職員は、前高須小校長の真神田氏に助けを求めました。真神田氏は市教委のある市役所のロビーにいた慶徳校長を見つけ出し、一緒に教育委員会に行ったのです。

 教育委員会に入ると、山崎教育長は、山岡教育次長、黒木学校課長、高橋小学校長会長などを集めていました。慶徳校長は、「一カ月の休養を要す」と書かれた診断書を提示し病気休暇を申し出ました。ところが尾道市教委は、この申し出を受け入れませんでした。この時に、山崎教育長などは、診断書を見ているはずです。広教組が調査分析を依頼した精神科医の野田正彰先生も指摘しているのですが、そもそも民間のキャリアをもっている管理職が、病気休暇を申し出るときに診断書も取らないということはありえません。しかし教育委員会は、いまだに「診断書は見ていない」というウソを言っています。またその後、遺族が公務災害の申請をしたときには、その時の診断書を付けているはずです。

 教育委員会は、慶徳校長が「うつ病」であるのを知りながら、それに対するケアをした形跡はありません。それは、その後の慶徳校長の勤務実態を調べてみてもはっきりしています。亡くなる直前まで、月に一五〇時間を越える超過勤務がずっと続いています。そればかりか、「うつ病」に対して絶対にやってはならない「叱咤激励」をやり、病状について「口止め」することさえ指示しています。

 −−県教委・市教委の報告やマスコミの報道は、あたかも教職員に責任があるかのように決めつけていますね。

 教育委員会は、教職員の「非協力」によって慶徳校長が「うつ病」になったのだ、というようなことを言っています。しかし総合的に検討してみると、どう見ても、慶徳校長の勤務が過酷すぎたということだと思います。彼は、自宅から通勤するつもりだったのですが、新尾道駅発午後一〇時二二分の最終便の新幹線に乗れないので、四月の一カ月の間に、何度も尾道のホテルに宿泊しています。そして、これでは自宅からの通勤は無理だというので、五月には尾道市に転居しています。この事からみても、校長と教職員の「対立」とかいう問題ではなくて、学校現場を知らない校長にとって、仕事がハード過ぎたことと、そこで頼りにしていた教頭が倒れてしまったことがかさなって、本人が非常に動揺して心因性の疾患に陥ったというのが本当でしょう。とくに、自信を全くもっていないままに、いきなり校長として学校に赴任させられたということが問題ですし、それは、広島県の「民間人校長」制度のあり方そのものが大きな問題をもっているということです。

 現場の教職員というのは、みんな教育におけるキャリアをもったプロフェッショナルです。そこへ、銀行かなんかに居た人物がいきなり校長ですとやってきて、何も分からないのに、教職員一人一人を評価して、勤務評定までやるというのですから、そんなことはできるはずがないのです。現場の教職員は、そのような慶徳校長の状況をみて、質問一つにしても非常に配慮していました。ところが教育委員会は、この矛盾を覆い隠しておいて、「教職員が非協力だった」と言っているのですが、もし「非協力」だと言うならば、そうならざるを得ないような「民間人校長」の赴任のさせ方をした、教育委員会に責任があると思います。

 もともと、慶徳さんは校長になることを希望していた訳でもなく、「子どもが好き」というタイプでもなく、校長室から出てくることもほとんどなかったのです(病気のせいかも知れませんが)。二学期になって、校門指導に立つようになったという報告がされていますが、これも現場の教職員からのつよい進言があってのことなのです。この点について、「民間出身校長」の採用について、どのような基準でどのような人物を選択したのか、広教組として情報公開を求めたのですが、その部分はすべて真っ黒にぬりつぶしてありました。

 少なくとも教育委員会は、慶徳校長が「うつ病」と診断されたときに、すぐに休養を与えるべきだったのです。ところが、前にも指摘したように、教育委員会がそのような適切な対応をした形跡はなく、五月一三日以降、むしろ勤務は過酷になっています。そのようななかで、慶徳校長は「殺されてしまった」のだと言わざるをえません。

 慶徳校長は、その後もずっと投薬治療を受けていたのですが、教育委員会はその状況について、調査報告のなかで、「明るくなった」とか「良くなった」と、でたらめなことを書いているのです。そのように、教育委員会が事実を隠している、県民に対してウソをついているということが問題です。まず、慶徳校長が診断書を提出し、「うつ病」であることが判明し、それについて尾道市教委は組織的に、「マル秘扱い」として隠したこと。それは、残されたメモや遺族の証言、PTA会長の証言などによって明らかになっています。これが慶徳校長を死に至らしめた原因だったのです。この問題について、広教組は調査にもとづいて指摘していったのですが、教育委員会は、さらにその事実を隠しました。もっとも責任を取らなければならない山崎教育長はいち早く「検査入院」し逃げてしまいました。そして、この問題についてはかかわっていなかった山岡教育次長が、その処理を背負わされてしまいました。「うつ病」であることを隠して、なんとか慶徳校長に成績をあげさせろという、県教委・市教委・教育事務所のやったことが、もう覆い隠せなくなったので、山岡教育次長はこれらの事実についての発言を何度も修正しました。

 今年になって二人目の坂井教頭までが倒れ、それ以後、後任はありません。慶徳校長は最初の希望どおりに自宅から通える小規模校への転任をあらためて申し出ていたのですが、それが通らず追いつめられていました。後になって教育委員会は、その希望を「受け入れることになっていた」というのですが、明確な内示はなく、「成果をあげてから転任してくれ」と言われたのが、とどめのプレッシャーになり、自殺に追い込まれてしまったのです。そして、この教育委員会の対応の責任が、きびしく社会から問われるなかで、その矢面に山岡教育次長がたたされてしまいました。

 山岡さんは、ほとんど関与していないことです。広教組の最終調査報告を発表したときに、山岡教育次長は、本当にショックを受けていました。彼自身は、その後、毎日新聞の取材などに対して、いろいろな事実を認めています。慶徳校長の「うつ病を隠せ」という指示は知らなかった、と発言しているのですが、それは本当でしょう。それをやったのは、黒木学校教育課長や川中指導主事など山崎委員長の系列で、山岡さんはその系列からはずれていたのです。事実を知った後の山岡教育次長の発言については、県教委などから、相当な圧力がかかったのだろうと思います。そういう点では、山岡さんの自殺は、九九年はじめの石川・世羅高校長の自殺の背景と共通しています。あの時も、県教委が校長のところに職員を派遣すると決まったときに自殺に追い込まれました。

 −−九八年度に「是正指導」が始まってから教職員の病休者や若年退職者が増加しています。現職死亡者の数もあまりに多すぎますね。

 本当に、現在の広島の教育システムのなかで、多くの教職員が「殺されて」います。「是正指導」以降、今回の慶徳校長や山岡教育次長、その前の石川校長の問題にしても、その背景にあるのは、権力と県教委の面子、とくに文部科学省の企画課長になっている辰野元教育長の面子を守ることだけに汲々とする姿勢です。そのうえ、いまだに文部科学省は「是正指導の徹底」などということを言っています。問題は、この「是正指導」のなかで、一方的な上からの命令だけがあって、下から上への回路が遮断されており、そのなかでみんな追いつめられていくのです。文部科学省と広島の教育行政のやり方、とくに辰野元教育長のやり方は本当にデタラメです。ですから、今回の一連の自殺は、起こるべくして起こった人為的なものだと思います。教育界に普通の人権感覚があれば、このようなことは絶対に起こりません。現在の広島の県教委、地教委のシステムが、対等平等ではなく、まったくの上下関係になっているなかで、このような問題が起こったのだと思います。

 これについては、県教委が認めないばかりか、マスコミもほとんどこの問題を追及しないし、社説でもまったく的外れのことばかり書いています。「良心的」と言われる『朝日』でさえそうです。「どちらが情報をもっているのか」「どちらが権力を握っているのか」という点で、お互いが対等な立場で議論しているのではなく、われわれ教職員はまったくの丸裸で、すべての情報と権限を権力が握るなかで、このようなことが起こっているのだということを、まったく配慮せず、いろいろなことを書いています。子どもを脇において、教委や校長と「組合が対立している」というのですが、「話し合おうとしないのは、どちらの側か」ということです。

 今の広島の教育行政は、「トップダウン」「上意下達」「一方通行」の体制になっていて、ボトムアップの回路が遮断されていることが問題です。上からくる命令や情報が正しいのならまだしも、今回のような問題について情報を「隠蔽せよ」という体制は、どうみても社会的に間違っています。このような体制は、事実をつきつけられたときには、間違いがはっきりするのですが、それでもなお、「事実は自分たちが作るのだ」という態度で情報操作がやられています。その情報操作の最たるものが、「教職員との対立」「教職員の非協力」というフレームアップです。よくもそのようなことが言えるものだと思います。

 トップが巡らした策略に沿って、情報が操作されています。これに対して広教組は、それと対峙する調査報告書を提出しました。ですから教育委員会は、もしその内容が間違っているのだったら、間違っていると言わなければならないのです。われわれは、第三者機関を設置して調査しなさい、とも言っているのですが、それもやろうとしません。何故かというと、もしそのような調査をやったならば、広教組の出した報告書の内容と限りなく同じ結論に到達せざるをえないからです。

 慶徳校長が教職員から、いろいろな意見を言われたというのですが、それはあくまで枝葉の問題です。そもそも、広島県の今の学校現場で、教職員が何も意見を言わないような職場は、まずありえません。少なくとも「是正指導」が始まった数年前まで、学校は「民主的な職場」だったのですから、教職員は自由に自分の意見を発言できました。そのような職場の雰囲気や作風は、まだ残っており、そう簡単に無くなってしまうものではありません。そのことがおかしいというのなら、何をか言わんやで、教職員が意見を言えないような職場で良いのか−−ということです。そのことを記者会見で話すと、記者から「教職員にも責任があるのではないか」という質問がしつように出たのですが、「絶対にそうではない」と断言できます。もし、第三者機関が設置されて、教職員にもこのような非があったという結果がでたら、そのときは考えるとしても、今のような教育委員会の「死者に鞭打つ」やり方で、本人に確認のとれないような虚偽の報告をやっていることは認められません。教育委員会は、広教組の組合員に対してずっと事情聴取をやっているのですが、そのなかで、誰もそのようなことを言っていないような内容が、報告になっているのです。そのことに、教職員は非常に大きな不信感をもっています。

 ですから、今では多くの教職員が、公の場に積極的に出て話しをしよう、という姿勢になっています。尾道市議会の総務委員会が、高須小学校のすべての教職員を呼んで事情を説明させようということになったのですが、高須小学校の教職員は、みんなで参加して本当のことを話そうではないか、となりました。ところがそうなると、事実が明らかになってまずいことになるというので、発言に蓋をしようと、権力とマスコミが一体になって「幕引き」がやられようとしています。われわれとしては、これは絶対に認められません。

 −−そうしたなかで、広教組本部への銃撃事件まで起こりましたね。

 あの銃撃事件は、広教組が最終調査報告をまとめて記者発表をする直前の段階です。事件では大変に手をとられて、七月一日の発表までに報告をまとめられるのか、薄氷を踏む思いでした。一連の問題に直接の関連があるかどうか分かりませんが、経過からみるとこうなっています。まず、今回の高須小の慶徳校長の自殺について、五月九日には広島県教委と尾道市教委が、教職員に責任があるかのような報告をまとめて発表しました。それ以後、右翼からの嫌がらせ、とくに六月初めの広教組定期大会に対する妨害行動は異常なものにエスカレートしていきました。その行き着いた先が、街頭宣伝などで広教組を誹謗中傷するだけでなく、銃弾を撃ち込んで、いつでもお前たちを殺せるぞ、という卑劣な脅迫になったのでしょう。ですから、五月九日の県教委・市教委の間違った報告書に起因して、こうした事件が起こったということができます。

 慶徳校長自殺についての県教委・市教委の報告書は、石川校長自殺のときとまったく同じやり方、レトリックが使われています。最初に結論があり、いかにその結論に誘導していくのか、という報告書になっています。ところが、その内容は情けないかな、いい加減さを露呈しています。

 慶徳校長が自殺したのは、今年の三月九日です。教委の報告があげつらっている教職員の言動は、昨年五月二六日の運動会までのことがほとんどです。自殺の直前の話しとしては、病気で倒れて休んでいた前の藤井教頭が、三月に学校に挨拶に来ることになったとき、教職員が「なぜ朝早く来るのか、そのために自分たちも朝早く出て来いというのか」というやりとりがあったような表現があります。これが尾道市議会総務委員会で問題になりました。そのとき黒木学校課長が、この発言は「脳内出血で身体が不自由な藤井さんのことを思いやって、もっと暖かくなってから来られたら良いのでは」という主旨ですと証言しました。これを聞いた保守議員は、教委の報告書では、校長に対する教職員のイジメのようにしか読めないではないか、と非常に怒って、騒然となりました。教委は、みずからボロを出してしまったのです。慶徳校長自殺の間近に、教職員が校長をイジメているという事実はなかったということです。少なくとも昨年五月の運動会以降は、校長と教職員の関係はうまくいっていた、むしろ教職員が校長の状態を気づかって、一生懸命に支えていたという関係です。

 県教委や市教委の報告は、校長と教職員のあいだの「あつれき」「対立」「非協力」「イジメ」という図式をまず描いて、その言質となるような発言を捏造してあげつらったのですが、そのような事実はなかったということです。教委の報告は、「校長権限の制約」があったとしているのですが、慶徳氏が記入した、学校運営に係わる校長自己診断票をみると、そのような事はないと書いています。教委は、こうした文書として残っている証明できる具体的な事実をすべて隠蔽して、「一部問題がある」などと言いながら「主任手当ての拠出」などをとりあげて、学校運営がうまくいっていなかったかのように誘導しています。こうした彼らの体質、広島の教育行政のあり方が問題で、銃撃事件にしてもこの報告が引き金になっています。

 −−こうした事態を生み出した「是正指導」の社会的な背景やその狙いについては、どのように評価されますか。

 それは、「人権意識」「平等意識」を学校の職場から一掃していくことにあると思います。公教育の基盤は、どのような子どもにも一定水準以上の学力を保障し、一部のある種の能力に長けた子どもにだけ焦点をあてるのではなく、むしろ「できる子とできない子」の両者が共に学ぶなかで、「人間のあり方」などをお互いに矛盾もあるなかで培っていくことだと思います。お互いが教育しあいながら、共に育っていくということです。広島では、そのような教育について一定の成果をあげていました。その結果、高校や大学の進学率から見ても、高い水準を維持していました。それは、みんなで共にがんばろう、という教育の結果ですし、高校の途中でドロップアウトしそうな子どもを、子ども達の集団の力で支えることで、中途退学率も全国的にまれな低水準でした。「人間としてどうあるべきか」を根幹にすえて、「平和教育・人権教育」をすすめてきたことが、子ども達の人づくりに大きく影響してきたということです。

 広島県出身の子ども達が、人権や平和についてひじょうに敏感だというのは、全国の大学の先生たちからも、良く聞かれた評価です。広島県の教育はそういう特色があるのですが、政府や文部科学省にとっては、これがひじょうに邪魔になるのです。「日の丸・君が代」の問題にしても、そういう感覚を大事にしていくと、強制的に歌わせたり、うむを言わさず従わせるということはなかった訳です。これが、現在のような有事体制・戦時体制をすすめるなかでは、もっとも「危険な教育だ」ということになるので、これを「正常化」すべきだと主張しています。その「正常化」とは、国の方針に対して口を差し挟まず、それを許容していく教育体制をつくることで、これが「是正指導」なのです。

 村上正邦や小山孝夫といった汚職議員が、「道徳心」をふりかざし広島の教育内容が文部省の学習指導要領に違反しているなどと言って、「是正指導」がもちだされたのですが、法律でもなんでもない指導要領が憲法に優先させられてしまうような「教育のなかでの横暴性」が、「社会の右傾化」よりも一歩先に行われているのだと思います。かつて「国鉄民営化のつぎは教育だ」と言われましたが、現実に「公務員制度改革」よりも先に、教育が翼賛体制化させられています。

 異論も質問も許さないような教育体制をつくることが、「是正指導」の実態だと思います。たとえば「日の丸・君が代」にしても、子どもが大きな声を出して歌っているか、どの子どもが歌わなかった、どの子どもが起立しなかった−−ということまでチェックして、すべて報告しなさいということまで求められています。そのような思想チェックはけっして許されないことです。それが平気でまかりとおり、それに楯突くと即、処分される体制です。まず、命令には必ず従う教職員をつくり、それに反対する者はどんどん処分し、職場から排除する、その口実として「指導力不足」とか「問題行動のある教職員」というレッテルが貼られるようなシステムです。

 文部科学省・県教委・市町村教委・校長・教職員という指揮命令系統をとおすために、その回路をショートさせたり、寸断する勢力を排除していく、そのためにはあらゆるエネルギーを使って、不当人事と懲罰で「正常化」していくということです。ですから、広島県で強行されている「是正指導」と、現在の日本社会全体の戦時体制づくりは、リンクしていると思います。

 むしろ教育の現場では、民間よりもずっと先に右傾化しています。「どうしてこんなことになったのか」と気付いたときには、もうどうにもならない状況になってしまいます。これは、戦前とまったく同じではないのですが、実質的に戦前と同じようなシステムで、戦時体制の方向に教育や社会が、歴史的に向かっているように思います。

 八月八日には、広島県立の中高一貫校で扶桑社の「つくる会」教科書が採択されようとしています。その推進勢力もこれに賭けているのでしょうが、こういう動きに対して、きちんとした反撃をしていくことが問われていると思います。

※編注:八月一二日に広島県教育委員会は記者会見をおこない、県立中高一貫校での中学校歴史教科書として扶桑社の「つくる会」教科書は不採択とし、東京書籍版を採択することを発表した。


やまいま あきら/広島県教職員組合執行委員長

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