論壇 北朝鮮核問題六カ国協議の背景
 
              出水 薫

2003.9.20 229−2003.10.20 230


  北朝鮮核問題六カ国協議


     (上)

 八月二七日から二九日まで、北京で中国・北朝鮮・アメリカ・韓国・ロシアそして日本の六か国の外交当局者が集まり、北朝鮮の核兵器開発をめぐる協議(六者協議)が開催された。

 ブッシュ政権の登場以降、米朝二国間関係が行きづまり、九四年の「枠組み合意」が事実上破綻する中、いわば「緊急避難的措置」としておこなわれたのが今回の協議であった。北朝鮮の核開発に歯止めをかける国際的な枠組みを再構築するのが、その主目的である。本稿は、この六者協議の背景や経緯に関して情報を整理することを目的とする。

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 すでに述べたように、今回の六者協議の核心は、事実上崩壊した九四年の枠組み合意に代わる北朝鮮の核開発を抑え込むための体制づくりにある。九四年の枠組み合意は、同年春のいわゆる朝鮮半島危機を回避する過程で米朝が合意した取り決めである。北朝鮮が、それまでおこなってきたプルトニウム抽出関連の施設・作業を凍結する見返りとして、米朝協議の継続、代替エネルギーの提供(軽水炉とその建設までの重油提供)を保証したものである。この合意は、曲折はあるものの、クリントン政権期には有効に機能してきた。

 ところがブッシュ政権が登場して対北朝鮮政策の転換をはじめると、合意にもとづく各種事業の進捗状況をめぐって米朝の摩擦が激しくなった。とりわけ昨年の一月の大統領教書演説において「悪の枢軸」発言がおこなわれ、さらに同政権の「先制攻撃戦略」が明確になると合意は崩壊への道をひた走りはじめた。

 北朝鮮は一気に「核開発」を取引材料とする「瀬戸際外交」攻勢を強めた。昨年一二月一二日に公式に核開発施設の再稼動を表明し、同月二一日にはヨンビョンの核施設の封印と監視カメラを撤去した。さらに年末には国際原子力機関(IAEA)の査察官を国外退去させた。今年に入ると一月一〇日にはNPT(核不拡散条約)の脱退を宣言。当初は国営放送を通じて、電力生産などのためと説明。核兵器開発の意図は否定し、アメリカの北朝鮮に対する圧力の緩和との取引を示唆していた。

 ところが四月二三日から二五日まで開催された米朝中の三者協議の直前の声明で、核兵器の「保有」を宣言。会談の際にも北朝鮮のリ・グン(李根)代表(北朝鮮外務省米州副局長)が核兵器の保有に言及した。これらの一連の北朝鮮の行動によって九四年の「枠組み合意」は事実上機能停止し、北朝鮮の「核開発」をとどめる仕組みはなくなったのである。

 それでは、なぜ北朝鮮は、このような「瀬戸際外交」を強めたのだろう。何よりも決定的な要因はアメリカのイラク侵攻である。北朝鮮とともに「悪の枢軸」に挙げられたイラクに対する先制攻撃戦略の適用は、「イラクの次」としての北朝鮮の危機感を高めることになった。しかも韓国は昨年末の大統領選挙による政権交代のため、選挙の前後半年間、南北関係を積極的に展開できない状況に置かれ、また日朝関係も昨年九月一七日の小泉訪朝以後に急速に浮上した「拉致問題」によって手詰まりとなったことは北朝鮮の危機感を一層深刻なものにしたに違いない。

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 ただ、以上のような核開発を材料とした瀬戸際外交は、北朝鮮が一方的にしかけたものではなかった。むしろことの発端をつくったのはアメリカの側であった。

 昨年一〇月初旬、小泉訪朝直後に、アメリカのケリー国務次官補が北朝鮮を訪問した。ケリー国務次官補の訪朝は、クリントン政権期のオルブライト訪朝以来のアメリカ政府高官の訪朝であり、ブッシュ政権発足以降の初めての高官の訪朝であった。すでにイラクが大量破壊兵器の査察問題で槍玉にあげられ始めた時期であり、北朝鮮は期待と不安とともにケリー国務次官補を迎えたにちがいなかった。

 この時、アメリカ側は、アメリカの情報機関が入手した北朝鮮のウラン濃縮の動きの真偽について問い質した。これに対し北朝鮮は濃縮ウラン計画の存在を認めた。そこにはブッシュ政権の出方をうかがう意図もあったと考えられる。アメリカの国務省側は、この北朝鮮の反応に戸惑ったようだが、とりあえず「穏便」に処置する方針であった。ところが、この情報をブッシュ政権内のいわゆる「強硬派」が、アメリカのマスコミにリークし、急遽国務省が記者会見で、このやりとりを公表せざるをえなくなったのである。

 ここから北朝鮮の核開発の「疑惑」がにわかに注目されることになった。そして、その影響もあり、昨年の一一月一四日には朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が、枠組み合意で定められた北朝鮮への重油供給の凍結を決定した。この決定により北朝鮮は一挙に態度を硬化させる。重油供給凍結の決定は、北朝鮮にとって、ブッシュ政権側からの枠組み合意の「破棄」であり、恒常的なエネルギー不足にあえいでいる自身への「兵糧攻め」と理解せざるをえなかったからである。

 このように見ると、前述の北朝鮮の核開発をめぐる各種の挑発的な言動も、大量破壊兵器査察を口実としたイラク包囲網形成と現実に実行された先制攻撃を目の当たりにした、切実な恐怖からの「悲鳴」のようにも見えてくる。

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 いずれにしても北朝鮮が昨年来、瀬戸際外交においこまれたのは、ブッシュ政権内の強硬派の動きと密接に関係があると言えるだろう。ブッシュ政権と北朝鮮との関係を考える際には、ブッシュ政権内部の方針の対立を軽視することができない。ここで、その「穏健派」と「強硬派」の対立と、今回の六者協議の関係について分析する前に、あらためて簡潔に米朝関係の基本構図を確認しておこう。

 すでに私の過去の論考でたびたび整理してきたように、九〇年代以降の「朝鮮半島問題」あるいは「北朝鮮問題」とは、基本的に米朝問題である。

 米朝二国は朝鮮戦争において戦った。両国は依然として、形式的には「休戦」しているにすぎない。米朝関係に対比すべき韓ロ(旧ソ)と韓中の二国間関係が、冷戦終了直後の九〇年代前半に正常化されたのとは、きわめて対照的である。そして北朝鮮は、そのような状況から来る孤立感や焦燥感もあって、体制維持と存続のために何としてもアメリカとの関係を改善しようと、使用済み核燃料棒の再処理を材料に九〇年代前半に瀬戸際外交攻勢をかけた。これが、いわゆる九四年の「朝鮮半島危機」につながった。曲折はあったが、その後、クリントン政権は北朝鮮と前述の枠組み合意を結び、政権末期には、北朝鮮の体制が中期的には存続しつづけることを前提に関係の改善をはかったのであった。

 ところが二〇〇一年に発足したブッシュ政権は、クリントン政権が始めた北朝鮮との関係改善を、いきなり中断してしまった。しかも「9・11テロ」をきっかけに、アフガンへの報復戦争を実施するなどブッシュ政権がその「好戦性」を露にし、さらに前述のように北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しするにいたって、米朝関係は悪化する他なかった。

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 前述のように、昨年後半にイラクへの圧力と並行して北朝鮮を追い込んだ主導権は、ブッシュ政権内の強硬派にあった。ところがイラクへの攻撃が現実化するにつれ、北朝鮮への強硬姿勢は調子を弱めることになる。ブッシュ大統領自身、イラク問題とは異なり北朝鮮の核開発は「平和的」に解決するとの方針をくり返し表明した。それはテロ以降、アメリカ本土を一定の戦力で、つねに守らなければならなくなったことによって、イラクと北朝鮮の「二正面」を、ブッシュ政権が戦えないからだった。

 そのような状況を利用してブッシュ政権内の穏健派は、北朝鮮との対話の可能性を模索しはじめた。それは枠組み合意が事実上破綻し、北朝鮮の核開発に歯止めがなくなっていることを憂慮したからであった。イラク情勢が緊迫する今年のはじめから、穏健派は北朝鮮との対話の可能性を追求しはじめた。そのような動きに対し、強硬派も二正面が戦えない以上、イラク侵攻が決着するまでの「時間稼ぎ」として、黙認する余地はあったと考えられる。

 問題は交渉のかたちであった。米朝二国の直接交渉は、ブッシュ政権、とりわけ強硬派にとって避けたい交渉形態だった。米朝の直接対話での「譲歩」や「約束」は政権の負担と批判をもたらすからである。かりに多国間協議のかたちであれば、その点がかなり「曖昧」に処理できる可能性が広がる。したがってブッシュ大統領自身が多国間協議というかたちにこだわることになる。多国間協議のかたちであれば北朝鮮との対話が可能であるということは、穏健派にとってチャンスであった。

 ここで北朝鮮との対話を再開しようとした穏健派にとって障害となったのは、当の北朝鮮自身が多国間協議の形態に否定的であったことだ。北朝鮮の立場からすれば、それはある意味当然であった。北朝鮮にとってはアメリカとの交渉を結果をはっきりとさせるかたちでおこないたいのであり、多国間協議の「曖昧さ」こそ断固として排除すべきものだったからだ。

 そこで穏健派は米朝二国間協議を多国間協議に「変身」させるための仲介者として中国の協力を求めることになる。中国は北朝鮮へ大きな影響力を行使できる大国であり、自身が核保有国として核の拡散に敏感である国でもあったからだ。また北朝鮮に協議結果を保証する役割を果たす国としてもうってつけであった。 しかし今年のはじめの段階ではイラク侵攻をめぐって、中国とアメリカの関係は良いものではなかった。中国自身も多国間協議の「当事者」となる負担をいやがり、米朝二国間交渉に場所を提供する程度の立場を採ろうと当初はしていた。

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 中国の協力を引き出すために奔走したのは、穏健派の「中核」であるパウエル国務長官だったと考えられる。今年二月の韓国のノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領就任式に出席するのにあわせてパウエル国務長官は、北京を訪問し江沢民国家主席(当時)と会談した。そして多国間協議のかたちで米朝対話を実現させることと中国の協力の必要性を訴えたという。この説得工作は成功したと言えるだろう。

 この会談の後、中国は各種のチャンネルを使い、北朝鮮が多国間協議のかたちを受け入れるよう働きかけている。さらに二月末には、中国から北朝鮮への重油供給パイプラインを三日間停止するという「圧力」まで加えている。これによって米朝の直接交渉にかたくなにこだわっていた北朝鮮も、米朝に中国を加えたかたちでの多国間協議(三者協議)の受け入れを表明することになる。

 そこにはイラクへの軍事侵攻が現実のものとなっていく厳しい緊張感が大きく影響をおよぼしたことは間違いない。ただここで注意しておきたいのは、この北朝鮮を多国間協議の場に引き出す過程で、ブッシュ政権内の穏健派と中国政府の事実上の連携・協働がおこなわれたという点である。また米朝中の三者協議の枠組みは、クリントン政権期におこなわれた四者会談から韓国を除いたかたちであり、韓国政府の不満を招きかねない面があった。

 しかし発足したばかりのノ・ムヒョン政権は、冷静に三者協議を支持して「側面援護」をおこなっている。くりかえしになるが、つまり北朝鮮の体制の急激な崩壊を望まない韓・中両国と、北朝鮮との対話を模索するブッシュ政権内の穏健派は、強硬派に対して結果として「共闘関係」にあると見ることができるのである。

 このような曲折を経て今年の四月二三日から二五日まで三者協議は開催された。協議において北朝鮮は核兵器の「保有」発言をおこなう一方で(この発言についての報道もブッシュ政権強硬派によるリークの性格が強い)、みずから「寛大な」と表現する提案をアメリカに対しておこなった。すなわち核兵器開発の段階的放棄と、米朝関係の改善および体制維持の保障措置をとりひきすることを提案したのである。核兵器の保有を示唆することで、アメリカが先制攻撃を躊躇するという「抑止力」を期待し、同時にそれを交渉の材料にするという点で、北朝鮮にとっては「合理的」な行動であった。

 そのような北朝鮮の「挑発」は当然にブッシュ政権内の強硬派の反発を招くことになった。また「多国間協議」とは言うものの、実質的に中国が司会をおこなった米朝の直接交渉ではなかったのかという批判も招くことになった。

 しかしイラク侵攻後の占領が、強硬派の主張のように「容易」ではないことが明らかになってくるにつれ、ブッシュ政権の内部では北朝鮮の核開発を「穏便」に処理することが求められる状況となっていった。そこでは、すでに現実に北朝鮮の核開発をとどめる国際的な枠組みが瓦解しているということも、ブッシュ政権の危機感を煽った要因だった。

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 三者協議は「偽装」された米朝交渉ではないのかという批判をかわすために、また実質的に協議の妥結に必要な交渉材料の「スポンサー」として、あらたに日韓ロの三か国が協議に加わり今回の六者協議は開催されることになった。

 この協議でも、水面下でブッシュ政権内の穏健派と強硬派の対立が起こり、それが影響を及ぼしていたと考えられる。例えば協議二日目の北朝鮮代表のキム・ヨンイル(金永日)次官が公式見解を強硬にくり返し、他の参加国代表をなじったとされる報道も、情報の出所はブッシュ政権の強硬派であったと考えられる。そもそもアメリカ代表のケリー国務次官補は、ワシントンの政権内の対立の影響で、きわめて曖昧な表現でアメリカの方針の「修正」のみを伝えることしか許されていなかったのではないかと思われる。

     (下)

 前稿では、四月の三者協議にいたる経緯を確認した。本稿では、三者協議から八月の六者協議までの経緯を、まず確認したい。なぜなら、その作業は、いかにブッシュ政権内の強硬派と穏健派の対立と関係当事国との関係が連動しているのかを示し、今後の展望を考える上での重要な手がかりを与えてくれるからだ。

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 四月に開催された米朝中の「三者協議」はブッシュ政権内の「穏健派」と中国や韓国政府との「共闘」の結果だと言える。

 しかし米朝二国間協議にこだわる北朝鮮は、この三者協議でみずから「寛大な」と表現する多段階の包括的な提案をアメリカに対しておこなった。すなわち核兵器開発・ミサイルの発射実験・ミサイルの輸出などアメリカが懸念している一連の問題の解決と、エネルギーの提供・経済支援・米朝関係の改善および体制維持を保証することの約束など北朝鮮が要求しているものを、段階的に取り引きするものである。

 また北朝鮮のリ・グン代表は協議初日の二三日に、レセプション会場での立ち話を利用してアメリカのケリー代表に対し、核兵器を数個保有しており、ヨンビョンの約八〇〇〇本の使用済み核燃料棒を再処理したと伝え、それはブッシュ政権内の強硬派のリークにもとづきCNNで報道された。北朝鮮は、核兵器の保有を示唆することで、アメリカの先制攻撃の「抑止」を期待すると同時に、それを取引材料にしようとしたのであった。

 結果として三者協議は北朝鮮がアメリカに提案を単に伝える場となった。そもそも各代表は実質的な交渉権限を与えられていなかったと考える。しかし、それによってアメリカ国内では強硬派が、三者協議を中国の司会による事実上の米朝二国間交渉で、しかも「核開発」の「恫喝」つきの提案を受け取ってしまったとの批判を展開することになった。

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 この三者協議を経てブッシュ政権内の強硬派と穏健派の対立は、北朝鮮の麻薬密輸とミサイル輸出などを阻止する国際包囲網形成という「北朝鮮封じ込め」と、多国間協議の構成を拡大する対話路線の継続という一見あい反する二つの政策の同時進行という展開を招いた。

 ブッシュ政権は五月七日の国家安全保障会議(NSC)で、麻薬密輸やミサイル輸出などによる資金源を断つための北朝鮮封じ込め策を決定した。これは言うまでもなく、強硬派の主導権によるものであり、世界大での「テロ対策」という観点からすると、穏健派もこの提起には反対する理由がなかった。

 他方で、多国間協議の継続と拡大の方針を維持できたのは、穏健派の主導権によるものだった。強硬派にとっては、イラク情勢の見通しが不透明な状況下で、「二正面」を回避する時間稼ぎの「次善策」としての意義があっただろう。ただ強硬派は、実質的な米朝二国間協議を避けるために協議参加国の拡大という条件を加えて容認した。北朝鮮が基本的には米朝協議を一貫して望んでいる以上、あらたに協議参加国を増やすことは、穏健派にとっては「高いハードル」である。しかも「北朝鮮封じ込め」政策が同時に採択されて進行するとなると、北朝鮮が反発して瀬戸際外交攻勢を強め、対話路線が行きづまる可能性は高かった。穏健派は「足かせ」をかけられたのであった。いずれにしても穏健派と強硬派の対立は、多国間協議を拡大し継続できるかという点に集約される状況となったのである。

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 強硬派と穏健派の綱引きは、表面的には当初、強硬派主導の印象を与える展開となった。三者協議後、日米韓の相次ぐ首脳会談は、北朝鮮封じ込めの色合いが前面に出た。

 まずノ・ムヒョン大統領の訪米にともなう米韓首脳会談の共同声明(五月一四日)は、北朝鮮の核開発の平和的解決と日韓の多国間協議への参加を促すことを確認する一方で、北朝鮮の核開発問題の進展がない場合の「追加的な制裁措置」を示唆した。これはまさに前述した穏健派の「足かせ」状態を反映したものであった。

 この基調は、訪米した小泉首相との同月二三日の日米首脳会談にも引き継がれた。ただ韓国の場合と違い、拉致問題によって小泉政権内にはアメリカと同様に穏健派と強硬派の対立が存在していた。すなわち拉致被害者家族との好関係を売り物とする安倍官房副長官(当時)と外務省の北米局を中心とする部分が強硬派であり、竹内次官と田中審議官のラインの意向を踏まえて、川口外相がそれにブレーキをかける穏健派という図式である。この日米首脳会談で、小泉首相は例の「対話と圧力」というスローガンを初めて持ち出した。その力点は「圧力」を「対話」に加えた点にあり、その意味で、このスローガンは小泉政権内での強硬派の要求を受容したものであった。したがって結果として、ブッシュ政権内の強硬派に呼応するものであり、だからこそアメリカの穏健派と「共闘」している中国外務省のスポークスマンは、この日米首脳会談について即座に批判的な反応を示した。

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 ブッシュ政権内の強硬派に呼応する日米韓の首脳会談の展開への中国の「対抗」は、中国が参加する後続の首脳会談でも見られた。五月二七日に開催された中ロ首脳会談では、北朝鮮の核開発に釘を刺しつつも、多国間協議にもとづく平和的な解決を強調することになった。そして北朝鮮を多国間協議の場へとうながすため、その「不信」を解くべく、北朝鮮の体制維持の保証の必要性や経済支援の環境づくりに言及していた。また五月末の日中首脳会談は、フー・チンタオ主席就任後初の首脳会談であり、しかも皮肉にも小泉首相自身の靖国参拝によって冷え込んでいた日中関係を打開する必要があったため、北朝鮮問題について日本側は中国と歩調を合わせざるをえなかった。

 六月一日の米中首脳会談では、フー・チンタオ主席が北朝鮮の米朝二国間協議へのこだわりへの配慮をアメリカに伝えた。北朝鮮は五月二四日の外務省報道官談話で米朝会談の開催を多国間協議の前提条件にするとの見解を示していた。これに対しブッシュ大統領は、多国間協議のみに応じるとの原則論をくりかえしつつも、多国間協議の場における二国間での「やりとり」の可能性に婉曲に言及した。これはすでに穏健派のアーミテージ国務副長官が上院の公聴会で示唆したことがある方式であり、その意味ではブッシュ大統領自身が穏健派に近い立場を採ったことを意味した。中国の働きかけを軸に多国間協議の形式は徐々に整いつつあった。同月七日の日韓首脳会談の共同声明は、日韓が多国間協議に参加する意向をあらためて示した。

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 ただ多国間協議の拡大と再開のカギを握るのは、北朝鮮自身の反応であった。封じ込めの進展が、北朝鮮の瀬戸際外交への傾斜を招き、多国間協議の可能性を破壊する恐れが憂慮された。

 ブッシュ政権内の強硬派が主導する北朝鮮封じ込めの「包囲網」は淡々と形成されていた。その一環として日本はマンギョンボン号などの北朝鮮貨客船への規制を強化した。そのため同船は六月九日には新潟港への入港を中止するにいたった。また同時期の日本の有事法制の成立も北朝鮮からは、この文脈で捉えられた可能性が高い。

 六月一八日から開催されたASEAN地域フォーラム(ARF)はアメリカの強硬派の封じ込め政策に呼応するかのように、麻薬密輸などの違法行為の取り締まり強化を声明に織り込んだ。翌一九日には安保理での非難決議の声明案をアメリカが常任理事国に提示した。さらに七月三日の日米韓局長級協議でアメリカは北朝鮮での軽水炉建設の中止を提起した。また七月九〜一〇日にはオーストラリアで核などの拡散防止構想(PSI)の会合が開かれ、海上臨検体制強化のための訓練実施について合意がなされた。

 これら一連の北朝鮮封じ込めのための包囲網の形成は憂慮された北朝鮮の反応をひき起こした。実際に北朝鮮は瀬戸際外交の水準を上げるかのような行動に出はじめたのである。

 七月八日に北朝鮮のハン・ソンリョル国連代表部次席大使は、ニューヨークでプリチャード朝鮮半島和平協議担当特使(当時)と接触した際に、北朝鮮は六月末にプルトニウムの抽出を完了したと通告した。さらにアメリカの圧力が強まる場合、核実験をおこなうことをも示唆した。ここから、建国記念日に核実験をおこなう可能性があるとの観測が流れはじめる。また北朝鮮が使用済み核燃料の一部を再処理し、核兵器の起爆装置の実験をおこなったとの情報を、七月九日に韓国の国家情報院が国会の秘密公聴会で示したことを韓国内の包容政策批判勢力がリークした。これに呼応するかのように七月一一日には、アメリカのNBCが、北朝鮮が再処理を開始したとのスクープ報道をおこなった。

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 封じ込め政策の進展が北朝鮮の瀬戸際外交への誘惑を高め、結果として多国間協議の実現を困難にするという前述したような「隘路」へ、事態は明らかに陥り始めていた。穏健派の国際的な連携は、多国間協議へと北朝鮮を引き戻すべく活発になった。

 七月九〜一二日にソウルで開催された第一一回南北閣僚級会談では、韓国が北朝鮮を多国間協議に誘導すべく説得を重ねていた。また七月一二日に中国のタイ・ピンクオ筆頭外務次官はフー・チンタオ主席の親書を携えて特別機で訪朝し、一四日にはキム・ジョンイル国防委員長らと会談した。さらに中国はこの訪朝を通じて北朝鮮にディーゼル油一万トンの無償供与を伝えた。これを受け、キム・ジョンイル国防委員長は、北朝鮮封じ込めへの不快感を示し、核開発を抑止力の観点から正当化しつつも、実質的な米朝対話が保証されるならば、拡大した多国間協議でも受け入れる可能性を示唆した。

 一六日には、訪朝から帰国したタイ・ピンクオ次官の情報をもとにリー・チャオシン中国外相がパウエル国務長官と電話で協議した。さらに中国は訪朝したタイ・ピンクオ次官自身をアメリカに派遣し、一八日にチェイニー副大統領、ライス補佐官との会談の際に、フー・チンタオ主席のブッシュ大統領あての親書を渡した。さらに同日の国務省ではパウエル国務長官らと二時間を超える異例の協議をおこなっている。

 この中国とブッシュ政権内の穏健派の連携は事態を大きく動かしはじめた。二五日にはロシアのロシュコフ外務次官によって、アメリカが北朝鮮に新提案をおこなったことが明らかになった。アメリカの提案は、北朝鮮の抵抗の少ない三者協議と実質的に一体のかたちで六者協議(日韓ロをあらたに加える)を連続して開催するというものだった。

 北朝鮮は最終的に三一日に六者協議の受け入れを回答した。また北朝鮮は同時期に拉致被害者五人の家族を帰国させることを非公式に日本へ打診している(三一日報道)。北朝鮮が六者協議に、ある種の期待をかけていることをうかがわせた。

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 六者協議開催の流れが強まると、焦点は当然、その内容へと移っていく。八月七日から訪朝した中国のワン・イー外務次官に対し、北朝鮮側は四月の三者協議での北朝鮮提案に対するアメリカの回答が出ることを期待すると述べた。さらに北朝鮮は八月一三日の外務省報道官談話を通じて、アメリカの対北朝鮮敵視政策の変化の基準として(1)不可侵条約の締結、(2)外交関係の樹立、(3)他国との経済協力を妨害しないことの三点を示した。

 九月九日の建国記念日における核実験(ないしはそれに準ずるデモンストレーション)がおこなわれるとの観測を憂慮していたブッシュ政権内の穏健派としては、六者協議の場で北朝鮮を一定満足させる必要があった。パウエル国務長官らは上院のバイデン議員(民主党)らと連携して、北朝鮮不可侵に関する上下両院の合同決議を採択する構想を追求していた。しかしそれは、強硬派の抵抗で六者協議に間に合わなかった。

 この間のブッシュ政権内の強硬派と穏健派の綱引きは、相当に激しかったと考えられる。国務省内で強硬派を代表するボルトン国務次官は、北朝鮮が六者協議の受け入れを表明したまさに当日に、ソウルでキム・ジョンを痛烈に批判する講演をおこなった。これを理由として、国務省はボルトン次官を六者協議の代表に加えなかった。他方で強硬派の巻き返しで、北朝鮮とのパイプを持つ穏健派のプリチャード朝鮮半島和平協議担当特使が協議直前の二二日に辞任に追い込まれている。いずれにしても、このような政権内の厳しい対立状況の影響で、六者協議におけるアメリカ代表のケリー国務次官補は、非常に限定された発言の権限しか与えられなかったと考えられる。

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 このことが六者協議での「混乱」を招いた。ケリー国務次官補は四月に提起され、再度六者協議の場で提起された北朝鮮の包括的な多段階提案に、表面的には回答を与えなかった。北朝鮮代表のキム・ヨンイル外務次官は、二七日の米朝の非公式の接触と二八日の全体会議で、核兵器の「保有」と核実験の可能性を示す示威行動に出た。さらにアメリカの立場に理解を示すロシアのロシュコフ外務次官を「嘘つき」呼ばわりするなどの強硬な態度を示した。このことはブッシュ政権内の強硬派のリークをもとに日米のメディアで大々的に報道されて危機感を煽った。

 しかしこのような表面上の激しい姿勢とは裏腹に、北朝鮮側はアメリカの「真意」を汲み取ろうとする姿勢を維持していた。例えばアメリカの冒頭発言について原稿のコピーを求めているし、南北の二国間協議ではアメリカの冒頭発言の理解について韓国代表の意見を求めていた。穏健派に属するケリー代表自身、「よく読んでください」と言いつつコピーを渡すなどして、北朝鮮へのシグナルを送ろうとしていた。

 六者協議は共同声明の文書化は見送られたものの、議長国の中国がとりまとめた六項目の「共通認識」が確認されて終了した。六項目とは(1)核問題の平和解決、(2)朝鮮半島の非核化と北朝鮮の安全問題の解決、(3)段階的で同時並行の解決案づくり、(4)情勢を悪化させる行動の自粛、(5)共通認識の拡大、(6)六者協議継続と速やかな次回の日程確定である。

 三者協議を六者協議へと拡大・維持できたことによって、ブッシュ政権内の穏健派の主導権は、相対的に強まっていると考えられる。ライス補佐官の言葉を利用して九月五日のたニューヨーク・タイムズは「重大な方針転換」を報じた。その先行きはまだ不透明にしても、少なくともイラク情勢の悪化を受けて強硬派の影響力が後退していることは否定できない。

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 きわめて単純に整理すると、ブッシュ政権強硬派の主張は北朝鮮の体制転換へと結びつく。それに対し、穏健派の主張は国際秩序への北朝鮮の取り込みと「訓化」を目指す「共存路線」である。後者を支持する筆者の立場からすると、六者協議の開催は「前進」として評価できる。こんご交渉を定期的に継続し、北朝鮮を瀬戸際外交に追い込まないようにすることが重要だ。しかし「出口」の展望なく、ダラダラと長引けば北朝鮮はそれを「時間稼ぎ」と見なし瀬戸際外交への誘惑を生むだろう。北朝鮮を多国間の枠組みの中で軟着陸させるにあたっては、日本の果たせる役割は決して少なくない。

 ただ当面の展望と関連して懸念材料を三点、最後に指摘したい。まず第一は、アメリカが大統領選挙の季節を迎えるということである。ブッシュ大統領が再選されるか否かが大きな変数となる。ブッシュ政権は来年の選挙で再選するためには混迷するイラク占領の展望を開かねばならず、そのためには北朝鮮の核開発がエスカレートすることを抑えなければならない。その点では穏健派の主張が受け入れられやすい状況が続くだろう。ただブッシュ大統領が再選された場合は、その先制攻撃戦略が国内的に「正当化」されたとなるわけで、閣僚の入れ替えも含めて、より強硬な路線が台頭する可能性もある。

 第二は韓国国内政治の混乱である。ノ・ムヒョン政権の議会内での基盤の弱さが、「与党」の再編と予想外の大統領信任投票の動きにまで発展した。韓国も国内の政治の季節が一段落するまでは、もっとも北朝鮮を支える立場にあるという韓国の対外的役割を果たせなくなる。

 第三に日本の総選挙の行方である。対北朝鮮強硬派の主張が選挙で支持されることになれば、その影響はきわめて大きい。本稿で見てきたような「穏健派」の国際協調を支えるような状況を、選挙を通じて日本でもつくっていく必要があるだろう。


いずみ かおる/九州大学大学院法学研究院教員
※出水氏のホームページはhttp://homepage2.nifty.com/IZUMI_Lab/

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