連載 ある学徒兵の戦後(19)

          上尾 龍介

2003.10.20 230


 針葉樹林の闇の彼方に透かして見える小さな灯りは、心なしか、わずかずつ近付いて来るように見えた。

 よろめく足が、この時、もし何かにつまずいて倒れでもしたなら、立ち上がることは困難だっただろう。もう、どうなってもいいから、そのまま雪の中に埋もれてしまいたいと、恐らくは、誰もがそう思いながら歩いていたに違いない。

 だからこの時、樹林の中に見えた小さな灯りは、兵隊達を限りなく力づけたのだった。

 「良かったな、おい」

並んで歩く川守田に話しかける。

 「うん」

と答えたまま、同じように黙黙と歩く。

 雪明りの中に、輪廓のぼやけた彼の長い顎は、何を考えているか。

 急に力を得たのか、兵隊たちは、残った体力を絞りきるように、一歩一歩と雪を踏みしめて歩いて行った。

 もう倒れても大丈夫だ。ペーチカに赤い火の燃える山の収容所が、もう、そこに待っている。

 父も母も、肉親の誰一人として迎えてくれる者など居はしないのだが、疲労に喘ぐ体を横たえる場所が近付いている。たとえそれが劣悪な所であったとしても、シベリアの広大なタイガの中で、ここだけが俺たちを待っていてくれる場所なのだ。

 その灯りは、今、一歩ごとに確実に近づいている。あと一キロも歩けば到着するかも知れぬ。いや、先頭は、すでに到着しているかも知れない。

 小さな一点の灯りは、明滅しながら、少しずつ大きくなってくる。

 「着いたな、おい。」

と、横の川守田をつついたのは、かなり大きくなった灯りが、窓らしい四角な形のものになって目に入るようになった頃である。

 それは、いくらか赤味を帯びた光であった。ランプかも知れないと思う。

 音を立てて燃えるペーチカと、天井から吊るされたラムプの明かり。配られる黒パン。・・・そんな情景が歩きながらチラチラした。そして、先頭部隊はすでに到着して、点呼を受けているかも知れないと、何度も思った。

 「おい」

と川守田をつついたが、彼は黙ったまま返事をしない。前方を、じっと見つめながら歩いている。
 すると、突然、

 「おかしいぜ」

と、上ずった声で、こちらを向く。

 「どうしたんだ」

 「駄目だ。違うぜ。」

と僕の綿入れ服の袖を引っ張るようにつかむ。

 電気に撃たれでもしたように、思わず眼鏡をずり上げ、闇の中を透かして見ると、ひっそりと静まったその家は、たしかに、大きな収容所などではなかった。それは、家の周りに囲いもない小さな民家であった。

 灰のように白い絶望感が雪崩れ込んで、気が遠くなるのを覚えた。声をあげて泣きたい思いがやがて全身から沁み出して来て、咽の奥に満ちた。その思いは波のようにこみ上げては崩れ、またこみ上げては、同じように崩れていったが、その中で僕は声を殺して、何度も父の名を呼んだ。

 右手の森の小さな板屋は、タイガを管理する木樵の家族の家だったのかも知れない。

 そこには、ラムプらしい橙色の灯りが、小さい窓に満ちていたが、その時、僕の心がそうであったように、兵隊たちの誰しもの心に郷愁の灯がともったに違いない。

 だが兵隊たちは、まだずっと遠くまで歩いて行かねばならなかった。その目的地は、誰にも見えてはいなかった。

 兵隊達の郷愁をさそった木樵の小屋は、雪に埋もれた道の近くにあった。タイガを貫いて延びる道路は、兵隊たちが四列縦隊で歩けば、両側にそれ程の余地はなかったので、そこに住む人には、或いは、二百人の兵隊の雪を踏む音は、二重窓の奥からも、何ほどかは聞こえていたかも知れない。

 夜もかなり遅い時間になって、集団をなして通って行く見なれぬ若者の群を、この家の住人は、どんな思いで眺めたことであろうか。

 だが、家の前に立つ人影はなかった。

 今にして思うことだが、寒夜の厳しさを知るロシヤ人たちは、不用意に深夜の戸外に出て身を曝したりはしないのであろうか。

 そうでなければ、もしかすると、深夜に移動して行く何等かの集団を目にする、などということは、当時のソビエトロシヤの人びとにとっては、或いは禁忌に触れることであったかも知れない。と、そんなふうにも思うのである。それは多くの場合、軍事にかかわることであったり、国家の動きに何らかの関わりを持つことであったりしたであろうからだ。

 だから、もしかすると、この深夜、人跡もまれなタイガの奥に住むこの家の素朴な夫婦は、この夜、カーテンの隙間に身をかがめ、外をうかがいながら、雪明かりの道を行く異様な若者の集団を、息を殺してのぞき見ていたのかも知れないのだ。

 この夜、秘密を・・・ひょっとすると国家の秘密かも知れないものを・・・盗み見てしまった恐怖は、辺境に生きる素朴な夫婦を、生涯苦しめ続けたかも知れない。と、そんなことを、今の僕は思うことがある。

 隊列は、ソ連の兵士に前後を監視されながら、音もなく通り過ぎて行く。それは絶望にひしがれた捕虜集団の無言の行進であった。

 集団の大部分は、二十歳ばかりの若い兵士であったが、これらの現役兵に混って、かなりの数にのぼる召集兵の人々が居た。

 これらの人々の或る者は各地の農村の人であったり、都市の人々であったりした。或る人はオフィスで働く人であったり、工場の労働者であったり、また教師であったりもしたが、時には僧侶だったという人が居たりもした。

 その中には、満州に残した妻子を想いながら歩く人も居たであろうし、故郷の山河や、父や母を想いながら歩く人も居たであろう。だが、もうどの姿も、歩くことの、もはや限界にあって、足はもつれ勝ちであった。

 この時の僕は、漠然とだが、死という安楽な中に逃れてしまいたい。などと思っていた。

 これ以上歩けなければ、どこかで落伍するかも知れないと思ったし、落伍してそこに横になることができれば、どんなにか安楽になることであろう。などと思っていたのだった。

 全員が疲労困憊(こんぱい)したこの時になって、意識を失って落伍するとなれば、そのまま雪に上に置いて行かれるしか方法はないかも知れぬが、それはそれでやむを得ないではないか。などと朦朧と薄れる意識の中で、そんなことを思い続けていた。

 この日の飢餓行軍の記憶は、ここでプッツリと切れている。

 このあと何が起こり、どのようにして収容所に到着したのか。それは真夜中だったのか既に夜明けに近かったのか。そこは無人の収容所だったのか、迎えるソ連兵が居たのか。
 それらの記憶は全くないのである。

 考えてみれば、ずっと思い続けていた到着先の収容所のことであるから、そのたたずまいや、到着した安堵の思いや、部屋割のざわめきのさまなど、印象に残らないはずはないと思われることが、まるで抜けたように消えている。

 よもやと思うのだが、到着寸前になって意識を失い、支えられて到着したのかも知れぬ。だが、今となっては、それを確かめるよすがはない。


かみお りゅうすけ/九州大学名誉教授

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