視点 終わらない戦争、終わらない反戦運動

               毛利 嘉孝

2003.10.20 230


  イラク占領統治終結を求めるロンドンのデモ

 土曜日の午後にロンドンでバスに乗ると、都心の中心まで辿りつけずに途中で下ろされることが少なくない。「今日はデモだから、デモの時間は交通規制があって入れない。地下鉄を利用するか歩いてください」と言うのである。乗客も慣れたもので、「しょうがないなあ」と文句をいいながらも、さしたる混乱もなくバスをぞろぞろと降りていく。アメリカとイギリスがイラクを攻撃することが議論された昨年の後半以後、私はたまたま一年ほどロンドンに滞在していたのだが、毎週のようにデモは市内のどこかで行われており、こうした光景はほとんど恒例化していた。

 デモであれストであれ、一般にイギリス人は寛容である。デモやストは、選挙以外に人びとが自分たちの意志を表明し、政治に圧力をかける当然の権利として大切に扱われている。健全な民主主義を守るためには一時期の不便もしかたがない、このことはまるで最低の合意事項として機能しているかのようだ。デモといっても大概はのんびりとしたもので、ほとんどピクニック気分である。家族で参加しているものもいるし、楽器を持ち込んでいるものもいる。パフォーマンスをするものもいる。国会議員からミュージシャンまでいろいろな人が参加し、広場で演説することもある。人びとは手に思い思いのメッセージを書いたプラカードをもっている。一種の歩行者天国のようでもある。

 イラクに対する攻撃を開始する直前の二月のデモには、一〇〇万人以上もの人びとがイラク攻撃反対のデモに参加した。ロンドンの人口が約七〇〇万人というから、英国中から人が集まったとはいえ、この数字がいかに大きなものか理解できるだろう。翌日の新聞やテレビはいっせいにロンドンを覆いつくした抗議デモをトップニュースで伝え、ブレアのアメリカ支持に疑問を投げかけた。

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 もちろんその後よく知られているとおり、世論の圧倒的な反対にかかわらず、ブレアはイラクに対する攻撃を開始した。では、デモは無駄だったのだろうか? 確かに攻撃直後は、人びとの間に大きな失望が広まった。開戦後、まもなくバグダッドは陥落し、ブッシュとブレアは一方的に「戦争終結」を宣言した。イギリスでもブレアの支持率は上昇した。

 しかし、ブッシュとブレアのシナリオはその後大きく崩れてしまう。「戦争」が終結した後のイラクでは混乱が続き、人びとの生活はフセイン政権の時に比べてはるかに悪化している。戦争を始める口実だった大量破壊兵器は発見できず、フセインの生死も不明のままである。イラク国内ではゲリラ戦が続いており、連日のようにイラクの人びとと米英軍の兵士が死んでいる。撲滅するはずのテロは、イラク攻撃後これまで以上に頻発するようになり、イギリス人がしばしばターゲットとされている。

 ブレアが戦争開始の際に、イラクの大量破壊兵器に関する報告書を改ざんするように指示したという疑惑が暴露され、それに関連した科学者デヴィッド・ケリー博士が自殺したことをきっかけにブレアの責任問題が追及されている。小泉政権同様に比較的高支持率で推移してきたブレア政権はかつてない危機に直面している。デモは、イラク攻撃開始は止められなかったかもしれない。しかし、ブレアの戦争に対する責任追及の厳しさは、デモに象徴される民意を無視した代価である。おそらくブレアは二度と今回のような無茶はできないだろう。デモの効果は、じわじわとではあるが、広がりつつある。

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 この風景を日本に重ね合わせよう。混乱の続くイラク情勢を見ないかのように、政府は七月イラク特措法を可決して、自衛隊のイラク派遣のための準備を整えた。アメリカに追従してきたイギリスは、ベトナム戦争なみに泥沼化しつつあるイラクでこれ以上犠牲をださないために一刻も早く手を引き、負担を減らしたいというのが今となっては本音である。

 日本の支援は、イギリスにとっては渡りに船だ。理のない「犠牲」、国民にもはや説明が不可能な戦争を肩代わりしてくれるような奇特な国があるのだから。自衛隊が紛争のない安全な地域に派遣されるなんて信じている人は日本以外ではだれもいない。安全なところなら、そもそも自衛隊のような軍隊などいらない。あたりまえの話である。

 では、なぜ日本は自衛隊をだすのか。その国の利益にならないことは究極的には国家は行わないというのは、国際関係論のイロハらしい。日本は、アメリカとイギリスに引きずられ、断りきれずにイラク戦争に巻き込まれているふりを国内では続けている。しかし、イラクに軍隊を出したがっているのは、アメリカでもイギリスでもなく、当の日本の小泉政権にほかならないことを今では世界中が知っている。なんといっても政権党の総裁選候補者は全員改憲論者だったのだ。戦後空前のタカ派政権は、イラクと北朝鮮を格好の口実にして再び軍事国家へと戻ろうとしているにすぎない。

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 この辺のことは、いろいろなメディアですでに論じられている。それに対して英国と同じように日本でも反戦運動は、引き続き起こっている。攻撃開始直後日比谷では五万人もの人が集まった。おそらくベトナム戦争以来の市民の盛り上がりである。私は日本に帰ってから、十月五日渋谷で行われた反戦デモにでかけた。サウンド・デモともライブ・デモとも呼ばれたこの若者たちのデモは、テクノやヒップホップなどの音楽を大音量でDJがかけながら渋谷の街を練り歩くというもので、回を追うごとに参加が増えている。これまで政治に関心のなかった若者が多いのがその特徴だ。五日のデモも一〇〇〇人近くが集まった。

 しかし、英国で毎週のようにデモに参加した私は、デモをめぐる風景があまりにもちがうので衝撃を受けた。なによりも信じられなかったのは、デモ参加者とほとんど同じ人数のものものしい機動隊員が配置されていたことである。機動隊員は、手に盾を持ち、デモに参加していない人からはデモの様子が見えないように、参加者を四方から取り囲んでいる。デモの間中は、途中からデモに入ることも出ることも、阻止されたのである。デモ隊は狭い一番端の車線のみを歩くことを強制され、その横をいつものようにバスや車が走りぬける。その度ごとに機動隊はデモに「危ないから内側に入って」と怒鳴り続ける。

 おそらく、機動隊や、その背後にある日本の政府や東京都にとってデモはあってはならない、人びとに見せてはいけないものなのだ。それは、規制の対象でしかないのである。デモのような直接的な政治行動が健全な民主主義を支える、などという発想はどこにもない。おそらく彼らにとって、デモに参加するような人びとは単に危険分子であり、できればいなくなってほしいものなのだ。これでは、まるで民主主義が成熟していない後進国ではないか。私は衝撃を受けるとともに、自分が住んでいる日本の現状に怒りだけではなく、悲しみさえ覚えた。

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 しかし、こうした意識はマスメディアによって飼いならされた良識的な市民とやらにも共有されている。世界中で拡大している反戦運動や日本の盛り上がりは、テレビなどのメディアではほとんど取上げられることはない。その一方で、マスコミはまるで健忘症にかかったかのように、満州植民地支配の中心的な人物であり、A級戦犯容疑者であり、政界復帰後は安全保障条約改定の責任者だった「昭和の妖怪」、岸信介の孫が自民党の幹事長になると、それを政界のサラブレッドなどと持ち上げている。私たちは、今好戦論を唱えている安倍や石原や自民党の議員たちの家族の多くが、先の戦争をきっかけに、国民を見殺しにすることを通じてその地位を獲得していった事実から目をそむけるべきではない。日本では国家や軍隊が戦時中に国民を守ったなどという歴史は存在しないのだ。

 かつて、小沢一郎は、日本を普通の国にしなければならない、と言った。もちろん、小沢の「普通の国」が問題含みであることは言うまでもない。しかし、いつの間にか日本は世界的水準からみても好戦的な、狂った、異常な国になりつつある。せめて「普通の国」に戻さなければならない。こんなことを言わなければいけないほど追い詰められている。


もうり よしたか/九州大学教員

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