犬死にしてはいけない

   −J君への便り−

          上尾 龍介

2004.1.1 232 


 上尾 龍介 氏

 もう随分お会いしてませんがお元気ですか。

 僕はいつの間にか七十八歳になっていて、自分でも驚きますが、まだまだ元気で、昨日は自衛隊のイラク派遣反対のデモに参加して来ました。今回はいつもより参加者が多くて沿道の声援もありました。それは政府が派遣を決めたので、市民が怒ったことの反映だったのだろうと思います。

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 昔、君らが学生だった頃、僕の部屋でお茶を飲みながらよく駄弁りましたが、あの頃、時々軍隊の話などをしたものでした。

 僕の入った部隊は北支派遣軍(北支那方面軍)第五十九師団という部隊で、この師団は中国山東省に展開して、「抗日第八路軍」という手強い中国軍と戦っていました。

 当時毛沢東は、抗日救国の根拠地を、延安に置いていて、そこには「抗日軍政大学」など、幾つかの大学も置かれ、そこで学んだ青年達が中国の北部一帯に展開して、抗日抵抗運動の末端の活動家となっていったのです。

 彼等は、日本軍に占領されている村々に、秘かに入って行き、村の若者達に近付いては危機に瀕した中国の現状を語り、如何にして中国を救うべきかを説いて、村々に「武装工作隊」などを組織して、日本軍の侵略に抵抗したのでした。つまり抗日遊撃隊(ゲリラ)を組織して戦ったわけです。

 その頃、侵略者である日本軍に協力して自国の軍隊である中国軍を攻撃してくる勢力がありました。つまり傀儡軍(カイライグン)ですが、この傀儡軍とも戦わねばならないという現実があり、その傀儡軍の背後には傀儡政府というものがあり、それは日本軍と協力して中国の民衆を弾圧していたわけです。

 華北の傀儡政府は北京にあって、日本軍がその背後にひかえて動かしていたのですが、それと一体になって動いていた日本の勢力というのは「新民会」という名の組織でした。新民会は北京に「新民学院」という大学を建て、そこで新民会の幹部となるべき人材を養成していました。

 延安の「抗日軍政大学」では抗日救国のスローガンの下に戦闘的な人材を養成していたのですが、「新民学院」の方は、それと対立する立場の人材、つまり「漢奸」を養成していたことになります。漢奸とは、中国で敵側に通じる者、売国奴の意味だということは周知の通りです。

 僕の手もとに『新民会外史−−黄土に挺身した人達の歴史』という二冊に及ぶ大部の書物がありますが、この本には、その時の傀儡政権内の一員として活動した人々の手になる歴史的な貴重な記録が集められています。その人々は当時二十代の青年で、旧帝国大学をはじめ、全国の国・公・私立の大学や各県の農業学校の卒業生などで、これらの人々が新民会活動の中核の部分を担い、また前線で働いたのでした。

 新民会外史には「この人達は皆、新しい中国を建設して行こう、という熱意に燃えていて、どの人も献身的で、どの人も純真で純粋であった。」と記されていますが、同時にまた、「当時の我々の心が、純粋であればあっただけ、また新中国建設の熱意に燃えて活動すればするだけ、中国への侵略は深まり、中国の民衆を苦しめることになった。我々の活動は、活動自体が当初から矛盾を孕んでいたのだ。」という、元会員の悔恨の弁も述べられています。

 この本の中に記録された歴史の証言は、世に言う所の「侵略」というものの裏面を、そして「正義」などというものの持つ危うさを、我々に雄弁に語ってくれます。

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 今度アメリカが、まるで他人の家に土足で踏み込むようにイラクに乗り込んで行ったこと、そして大量破壊兵器を探すためと称して、国内を武力で荒らし回ったこと、などを見ていますと、僕はどうしても、日本が中国の各地を荒らし回った第二次大戦のことを思ってしまいます。

 日本は最初、満州は日本の生命線だ、と言って侵略し、中国から奪って独立させ、日本の属国としましたが、その手を華北にまで伸ばして、そこも手中に収めかけていました。僕が入隊したのはその頃でした。

 毛沢東に率いられた抗日第八路軍が僕等の敵でした。当時の日本軍の火力と八路軍の火力とには格段の差があったため、彼等は正面から激突することを避けてゲリラ、つまり遊撃戦に出、日本軍の虚を突いて少しずつ勝利を収めて行ったのでしたが、その戦い方は「民衆の総力戦」でした。

 たとえば日本軍が村に近付いて来ると、子供も老婆も、そ知らぬ顔で歩哨の役を果たしたのです。日本兵が近付いて、いよいよ村に入って来るのを見かけると、それまで木陰で縫い物をしていた老婆が、ドッコイしよと立ち上ってトントントンと肩や腰を叩く。それが合図となって遊撃隊の動きが始まるわけです。子供達も遊ぶふりをして同様の役目を果たしていました。

 イラクでの戦争の報道を見ていますと、中国での遊撃戦と非常に似ているように感じます。中国人の誰もが、土足で中国に踏み込んだ日本軍を憎んだように、イラク人も全く同様であるに違いありません。彼等がとっている戦法はまさに遊撃戦であり、民衆の総力戦のように感じられます。米軍が強力な兵器で破壊して廻る間は鳴りをひそめ、米軍が手を引いた所にじりじりと盛り返し、反撃に出る。そして、死者の数を際限なくふやしていく。という戦い方です。日本軍に対する八路軍の戦い方が、まさにこれでした。これには恐らく一般のイラクの男女が深くかかわっているに違いないと思われます。

 中国における日本軍の場合は、民衆まで参加した彼らの遊撃戦法に手を焼いて、遂には「三光作戦」という非道な戦法をとるようになりました。三光とは「奪いつくす」「殺しつくす」「焼きつくす」ということです。「光(グワン)」という中国語には「すっからかんにする」「むきだしになる」という意味があります。一つの村を丸焼きにするのです。金品をすべて奪いつくし、女という女はすべて強姦の果てに殺し、生き残った男は捕虜として引っ立てて帰り、村は焼き払うのです。

 第二次大戦に汚名を残したこの残虐な戦闘を行ったのは第五十九師団、即ち僕の所属した師団でした。

 イラクで米軍が三光作戦を行ったという話はまだ聞きませんが、劣化ウラン弾という悪質な弾丸を大量に使用し、住民の人体に深刻な被害を与えていると聞きます。どのような弾薬か具体的には知りませんが、ウランという語が入っていることが非常に気になります。日本軍の三光作戦は、その野蛮さにおいて知れ渡りましたが、これと劣化ウラン弾と、どちらが野蛮であり卑劣であるか。僕は比較する知識を持ちません。

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 中国軍が遊撃戦法をとって優勢な日本軍と戦った時、彼等には毛沢東の筆になる救国の書があったことは知られていますが、それは一つは矛盾論と実践論で、これは人民の団結と闘争の指針であり、もう一つは遊撃戦論、持久戦論で、これは戦闘の指針です。

 中国人民はこれらを国防の指導理論として、困難な長い闘争を戦い抜いて遂に勝利を収めましたが、これに比較して言えば、イラクの人達の指針は多分イスラムの教えだろうと思います。

 僕の知友にはイスラム圏諸国の知識人がかなり居ますが、彼らの話によれば、イスラム圏の人々の間には共通の思いがあって、互いに深いつながりがあると言います。これについて思い当たるのは英国人作家サルマンラシディ氏の書いた「悪魔の詩」の事件です。当時のイランの最高指導者ホメイニ師は、これはイスラムを冒涜する書であるとして、作者に「死刑の宣告」を下し、イランの財団は彼の生命に百万ドルの賞金をかけたのです。一九八九年二月のことです。

 当時僕は大学で留学生センター長という役回りに在りましたが、この直後、イスラム圏と欧米圏の大学院生諸君に、この問題で討論をして貰ったことがありました。この時、イスラム圏諸国の学生は全員、「ホメイニ師の意志に同感で、自分らはその見解に従ってラシディを殺さねばならぬと考える」と言ったのです。僕は、「君らは皆がイラン人ではなくて、それぞれ国が違いますよね」と尋ねたのでしたが、彼らは「私達はイスラム教徒ですから」と答えました。これは僕に強い記憶として今も鮮明に残っています。

 後日、この本は筑波大学の五十嵐助教授という人の手で日本語に訳され出版されたのですが、その時、僕は直感的に、これはやられるな。と思ったものです。果せるかな、彼は何者かに大学の構内で殺されていました。彼は頸動脈と手首を切られていたと新聞は報じていましたが、なるほど、と僕は思ったものです。

 このように、イスラム圏の人々は相当に強い連帯感というか一体感を持っているので、そこを考えずにイスラム諸国の問題、イスラム教徒の問題を扱うと大きな誤りを犯すのではないかと思っています。

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 日本の政府は、今、自衛隊を派遣しようとしていますが、派遣すれば米国との連合の軍隊と見られるので、必ず攻撃を受けるでしょう。それは遊撃戦ですから殆ど敵の姿は見えないに違いないし、民衆そのものが、そのままゲリラ兵だと見なければならないでしょう。それは若い男だけではない、老婦人も子供達も、いつ、それが戦闘員に変らないとも限りません。それは僕達の部隊の戦闘がその通りだったのですから。

 イラクの人々は全員が、外国の軍隊は出て行ってくれと願っていることでしょう。たとえ口では反対のことを唱えていても心の中では全員が外国人は出て行け、と思っているに違いありません。それは中国人がそうであったのと全く同じだと思います。誰も民族を愛し国を愛しているのですから。その点は、原住民の虐殺の上に造られた移民国である米国と大きく違う所でしょう。

 現在イラクには暫定政府が造られていますが、これは米国の息のかかった政府ですからまさに傀儡政府そのものであり、イラクの民衆は心で決して納得していないに違いありません。イスラム世界の多くの人々も同じ気持ちであるに違いないと思います。

 だとすると、日本は途方もない道へ踏み込んだことになりますね。これまでイスラム世界の人々は日本にかなりの好意を寄せていました。僕の大学の留学生センターの卒業式の日に、日本の明治の女学生の服装をして、僕と並んで写真に写ってくれた女子学生が何人も居たことを、今、僕はなつかしく思い出しています。だが日本人は、今度の軍隊派遣という暴挙によって、一挙に彼らの友好的な感情を失うかも知れないし、自衛隊の出かたによっては敵対することになるかも知れないことを恐れます。

 明治の脱亜入欧の政策と、国民の欧米崇拝、アジア蔑視の感情が中国・朝鮮半島に反感を与えて、今日に至るまで様々な問題を引き起し続けていることを私達は苦い思いで噛みしめていますが、もしここで、イスラム世界を敵に回すようなことに、もしなってしまえばどんなことになるか。世界の大部分が日本から離れて行ってしまうことになります。

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 今、日本はその危うい分岐点に立っているのではないかと僕は思っています。小泉首相は、派兵の発表をする時、引きつったような表情でTVに映っていましたが、こんな日本の進路の分岐点になるような大事なことを、あのような感情的な表情で語るようでは、私達は安心してこの人に日本をまかせてよいのか、という思いに駆られます。派兵に至るまでの一連の判断が、冷静な分析と広い視野に立ったものであったのかどうか、まさか、一国の総理ともあろう立場の者が、思いつきや思い込みによって、国の運命にかかわる重大なことを決めたとは思えませんが、所詮は人の子、我々とそれ程の差があろうとも思えません。僕の受ける感じで言えば、世界を見る視点が少しズレているのではないか、過去から今日に至る歴史の流れを見誤っているのではないか。表現を変えて言えば、視野に幅がないのではないか、歴史を見る尺度が短か過ぎるのではないか。などと思ってしまうわけです。

 一口で言ってしまえば、教養が不足しているのではあるまいか。などと疑ってしまいます。もっとも、俗な冗談で、「教養が邪魔をして動きがとれない」などと言う表現もありますから、政治家などは、むしろその方がよいのかも知れませんが。

 しかし自民党の中には、もっと厚みの感じられる立派な人も居るように思いますので、人気投票的に、あれよ、あれよ、と言う間に総理に選んでしまった所にも問題があるのかも知れません。

 所で小泉氏の、派兵発表の際の、例の、顔を引きつらせて語った言葉の中で、「テロに対して・・・・・・しなければならぬ」という言葉が、二度ばかり使われたように記憶しますが、あれは、一般に政治がらみのことで暗殺が行われるいわゆるテロや、戦後の米国による被占領時代に発生した事件などとは、全くその性質を異にしていると思います。

 イラクで、恐らくは、明日も、あさっても発生するであろう襲撃事件は、広範なイスラム世界の支持を受けた、全国民的な、民族的な救国闘争であって、小泉氏が言うような、矮小化された殺人行動などではないことを、日本人のかなりの人は感づいていると思います。抗日戦の時に、八路軍が戦術としてとった遊撃戦の戦法そのものだと思うのです。

 もしかすると小泉氏は、イラク人の遊撃活動の本質を知っていながら、「テロ」と言う言葉で敢て事実を曲げて、国民に広めようとしているのかも知れません。それならば、国民を随分なめていると思いますが、そのような軽率な「言葉」でもって国民の眼をそらし、急場をしのぎながら、自分の思った方向に国の進路を変えて行くというのは、僕にはとても危険なことに思えます。第二次大戦に(十五年戦争に)踏み込んで行く頃の日本が、まさにそのようなものでした。その結果、膨大な数の日本人が命を落し国は滅びたのでした。

 それから、小泉氏は「テロリストに対して正当防衛しなければならぬ」などと言っていましたが、よその国に踏み込んだ侵略者がその国民から攻撃を受けるのは当たり前のことであって、イラク国民こそ、侵略者に対して必死になって正当防衛をしているわけです。そのために、屈強な男性ばかりでなく、若い女性までが勇敢に自爆して果てているという事実は、今や世界中に知れ渡っています。

 イラクの国民は、自衛隊には来てほしくない、と事あるごとに言っているのに、わざわざ踏み込んで行ってイラク民衆の抵抗に遭い、優勢な武器で撃ち返すという自衛隊側の行為のどこに正当性がありますか。こんな理屈は子供でもわかると思います。

 これを正当防衛だと言い張るような奴のことを「盗人たけだけしい」と昔の人は言いましたが、日本語もなかなか豊富な表現を持っていますね。

 所で自衛隊は、そのようなゲリラ的抵抗網の中に飛び込んで行くのですから、多くの死傷者を出すことは間違いありませんが、これが名誉ある死に方と言えるでしょうか。米国軍の侵略の片棒を担いで死ぬのですから、これは全く意味のない死だと思うのですがどうでしょうか。このような死に方を「犬死に」と言うのでしょうが、自衛隊の諸士が犬死にして果てるのは、僕には耐えられません。

 六十年の昔、シベリアの極寒の中での飢餓と重労働で、飢えたけもののように死んで行く無惨な死を、来る日も来る日も、次は俺かと思いながら見て来たし、文字通り紙一重で生き延びて老齢の日を迎えているのですから、戦友達には全く申し訳ないけれども、あの時もし、けもののような姿で僕も死んでいれば、今は凍土の下に居たと思うのです。

 文字通り紙一重の差で今の僕は生きているのです。自衛隊の人を、一人でも死なせてはなりません。一億円出す、などという言葉は死者に対する何と無礼な発想でしょうか。

 長い手紙になりました。どうぞお元気で。


かみお りゅうすけ/一九二六年生れ/四五年学徒召集、北支派遣軍配属、北部朝鮮で敗戦、シベリア抑留/四八年復員/六九年九州大学教官、九〇年同大学退官、名誉教授

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